五話 『色彩を得た日々』
日がかなり傾き、空が濃い橙と紫に彩られる夕焼け空を日陰で眺めていると、ここ一年で聞き慣れた声が聞こえた。
「ご主人。また死んでる」
声の主は、すっかり女の子と分かるようになったあの少女だ。この一年で、短い文節の言葉ならば見聞き出来るようになり、少女の名前も判明していた。
少女の名前は、マヤ。年齢は現在八歳で、しかし八歳にしてはかなり大人びた少女だ。
マヤは捨て子らしい。その理由については、昔の事だからと頑なに語ろうとはしなかった。驚いたのは捨て子という点ではなく、むしろそのことを事実として受け止めていることにあった。
とにかく、この一年の収穫は、彼女の言葉が分かるようになったことだ。おそらく器量の良い彼女の事だから、リンヤにでも分かるように短い文節で話しているのだろうが。
そんなこんなの、とある日の夕暮れ時。引きこもり体質が若干改善されてきたが、しかしまだまだ日に当たると溶けてしまう(精神的に)ので、早くても夕暮れ時が本格的な活動開始時間だ。
しかし、最近はこの墓地にも異常が起き始めていた。
先程、マヤの物騒な言葉通り、ここ最近墓地に迷い込んでくる瀕死の人間が増えてきた。以前から周辺の森に迷い込み、そこの魔物に瀕死にさせられ、鬼火達の幻惑的な灯りに釣られて入って来る人間もいた。
だが、ここ最近はその数が半端ではなくなってきていた。
この墓地に生まれ落ち早二十一年。今まで多くの行き倒れを見てきたが、ここまでの数ははっきり言って前代未聞である。
マヤに聞く所、外界では十年もの間戦争が続いていると聞く。それは行き倒れが多くなり始めたと感じた時期と一致する。
異常な行き倒れの数には大体見当が付く。
戦争の激化。それで死傷者が多く出たということもあるだろう。
しかしそれに伴う森林伐採などで生物の生息範囲が狭められ、生息数を減らした。このことが意味するのは、それらを獲物としていた魔物の餌不足による凶暴化だ。
いくら人を襲う魔物と言えど、腹が減っていなければ滅多に襲うことなどないだろう。もしくは、縄張りを侵した際にはそれなりの制裁が加えられるが。
詰まるところ、人間達は自らの手で自らの首を絞めているのだ。
(何というか、随分と知ったような口が利けるようになったもんなだぁ)
俗世間を離れ、殺伐とした日々を二十年超も過ごしていれば、仕方がないとも言えるか。彼自身としては、もう少し人間らしく暮らしたいというのが、小さな願いだったりした。
「お墓、作るの?」
マヤの質問に、リンヤは骨をかたかたと鳴らしながらの頷きで答える。
別に慈善的な感情で墓を掘っているわけではない。
ただ、このまま放置して疫病の媒介となるのを恐れての事だった。リンヤは病気の類に罹る恐れはまるでない(そもそも死んでいる)のだが、今はマヤがいる。時折迷い込んでくる行き倒れの服装から見ても、マヤの存在から察しても、この世界の生活水準はそれほど高くないように思える。
つまり、疫病など得体の知れないものに罹ってしまえば、その時点が人生の終着点になってしまいかねない。まあ、リンヤや魔物の存在を見るに、どんな病気でも治してしまう霊薬があっても不思議ではないが。
しかし。疫病などの流布を恐れての事ならば焼き散らせばいいのだが、それをしない理由が何なのかというのは、言うのもやぼと言ったところだろう。
墓作りは簡単なものだ。
リンヤの土魔法で土を抉り、其処に死体を埋葬後、殺菌の為に炎魔法で軽く焼き、木の枝を一本立てる。その行程を、マヤが隣で見ている。それだけだ。
マヤからそれなりに立派な木の枝を受け取り、それを墓とも言えぬものの上に突き刺した時だった。ぼそりと、彼女の口が動く。
「戦争、何でする? ご主人、分かる?」
時々、本当に難しいことを質問してくる。もしリンヤがこの世界であと八十年ほど日々を繰り返せば分かりそうなものだが、今は前世的な答えしか返せそうにもない。
宗教、経済、領土。挙げていけばきりがない。極論的に言えば、戦争がしたい奴は何が何でもしたいし、したくない奴はしたくないのだ。
しかし、そんな微妙な答えを返せるわけがなく、軽く首を振って答えとした。
「ご主人、お肉獲りに行く。ついてきて、くれますか?」
まだ疑問に思っているのか、顔を少し顰めているが、今は狩りが先決と割りきったのか、リンヤに話しかける。
頷き、鎌を取り浮きあがるリンヤ。
二人は一緒に、薄暗くなり始めた森へと、歩を進めた。
最近では、マヤが自分で狩りをしている。
弱冠八歳の、そして女性という身体で何を武器にして危険な森で狩りをしているのか。
適当な場所に着くと、リンヤはいつも通りふわりと中空に浮かび、樹上でマヤを見守る。
地上にいるマヤの手には、杖、それも偽不死王が使用していた魔杖である。
マヤの黒い瞳が木々の隙間から差し込む光を受け妖しく光った。おそらく、乱立した木々の向こう側に獲物を見つけたのだろう。
彼女の武器は、魔杖を用いた魔法である。
切っ掛けは、日々の生活の中でリンヤが使用していた魔法を「使いたい」という彼女の意見を採用してのことだ。
彼の中では、日々に色彩を加えてくれた彼女に対する恩返し的な意味合いも含んでいる。
そんなリンヤに魔法をどうやって使っているのか教えてもらったマヤは、この半年でめきめきと魔法の腕を上げていった。リンヤ自身、ほぼ感覚的な事しか教えられなかったので、ここまで上達したのは奇跡と言えるだろう。
マヤの魔杖に静かな魔力が灯る。色は黒、おそらく闇魔法の黒槍を使うつもりなのだろう。
彼女の視線の先には、巨大な角を持つ鹿のような動物がいた。此処いらに生息する草食性の動物の中でも一、二を争う大きさだ。このような肉食性の魔物も多い森に棲む動物らしく、その突進は木々をも薙ぎ倒す程だ。
息を殺し、木々に隠れながらゆっくりとゆっくりと近づくマヤの姿に、初めてのおつかいを見守る母親のような心境に陥るリンヤ。
一撃で仕留め損なえば、おそらく外敵を排除するために突進をかけるだろう。リンヤは鎌をぎゅっと握り、もしもの場合に備える。
マヤは攻撃可能範囲に入ると、照準を合わせるように木々から半身出し、杖の先を視線上に持って行く。
そして、一歩踏み出した時だ。
ぱきッ、と。地面の小枝を踏み折った乾いた音が響く。
鹿の首がぐるりとマヤの方を向いた。
その距離およそ二十メートル。
鹿の蹄が地面を抉り、甲高い嘶きが響き渡る。
リンヤは鎌を持ち、そのまま飛び出そうとした。
しかし、マヤはいたって冷静に魔法を構築、魔杖の先端に黒い魔法陣が展開し、そこから黒い光が帯を引きながら鹿に殺到した。
頭部、心臓、右前脚。
これらを貫かれた鹿はバランスを崩し地面に倒れ込む。傷口から鮮血を溢れさせ、全身をけいれんさせると、あっという間に絶命してしまった。
マヤはその死体にそっと近づくと、頭を一撫で。その後、リンヤがいる所を見ると、にっこりと嬉しそうに笑った。
成長したなぁ、という感慨と共に、ある種の寂しさも覚える。
心配したのが馬鹿らしくなってきて、解体をしようとしているマヤのもとに近づいていった。
二つの影が、やがて森の中から現れる。
その光景はあまりに歪で、酷く、滑稽だった。
しかし、片割れの少女の表情はとても柔らかい。
黒衣を纏った死神は、その鎌を肩に提げ、決して少女に向けることは無い。
そう――変わったひとつの幸せの形が、そこにはあった。
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