三話 『不死王?』
今晩は綺麗な三日月だった。
どんな原理かは分からないが、一定周期で月が紅かったり青かったりするのだが、今日はいつも通り白い。
月明かりに照らされてぐっすりと眠る子供に視線を向けると、先程とは較べものにならないほど安らかな表情になっていた。
(きっと、この子は諦めなかったんだろうな)
おそらく、空腹と恐怖で精神すら安定していなかっただろうあの中で、言葉が通じないリンヤにすらその強い念で生への執着を伝えたのだ。それは何ら恥じることは無い、人として当たり前の感情だった。
リンヤは前世を思い出し、赤面する思いになる。きっとあの時、彼にこの小さな子どもほどの気概があれば、或いは……、などと仮定の考えが浮かぶ。
彼からすれば今の生活の方が充実しているし、後悔もおそらく無い。無いと思いたい。
しかし――。
と、リンヤが久しく物思いに耽っていると、身に覚えの無い――否、随分と懐かしい魔力を感じる。
手持無沙汰に握っていた鎌を握り直しふわりと浮遊する。
この魔力の感覚はおそらく、
『死を司る者よ』
本当に久しぶりにちゃんとした言葉を聞いた気がする。
おそらくこれは念話という奴だろう。本当かどうかは分からないが、今はそんなことを考えている暇はない。
『貴様は死者にも関わらず生者を庇い、あまつさえ生き長らえさせた』
魔力が膨れ上がる。それは憤怒の感情の増長にも似ていた。
『貴様はこの墓地の秩序を乱した。だが、その童を見捨て自然に流されるまま流すことを誓えば、我輩と此処の住人は、貴様を許すだろう』
何処からともなくリンヤの周囲に、鬼火や幽鬼を始めとした不死族の群れが現れた。
沈黙を保ち、大鎌を握りしめる彼の前に――不死者の王が現れる。
不死王。リンヤがちらりとだけ見たことのある、絶対に勝てないと踏んだ、この墓地の王だ。
目の前にいる不死王はどこぞの神官、しかし仕える神は邪神のような、禍々しい色合いをした服装をしている。手には頭蓋を模した装飾が施された魔杖を持っている。これだけではどこぞの魔法使いのようでもあるが、その存在の本質を表すように全身が腐敗している。
『さあ、其処を退け、死を司る者よ。死を宣告された者は、死ななければならない』
不死王が指示し、控えていた幽鬼がリンヤの横を通り過ぎようとしたが――それは大鎌の白刃により遮られる。
大鎌の切っ先が閃き、幽鬼の身体を無数に分割し塵と化した。
『貴様! 死者と生者の秩序を乱す気か!』
魔杖を構える不死王。それに相対するように、リンヤは大鎌の切っ先を不死王に向けた。
『いや、そんな気は無いけれど、其方がそう思うのならそうかもしれない』
久しぶりの意思疎通がこんな形とは。
そんな唯一の疎通相手も、すぐに失うことになるだろうことに、しかしリンヤはその事に対し何の遺憾も感じなかった。
『そうか。ならば――消え失せろ』
空間を歪ませるほどの魔力が魔杖に収束し始める。
一瞬だ。勝負は一瞬で終わる。
奴が放った魔法を最短最速の経路で躱し、手に持つ大鎌にて一刀のもと真っ二つにする。そこで出てきた幽体を吸収して――勝つ。
『冥界の槍よ、我が敵を貫けッ! 黒槍ッ!!』
魔杖が振られると、異常の黒い光がリンヤの核に当たる鬼火に向かって奔る。
それと同時にリンヤも空中を駆け抜け始めた。
リンヤは直前まで引きつけ一気に斬りつけることを計画したが、しかし、その直前で黒い光が八つに分裂し、上下左右斜めを含めた八方向から同時に襲いかかる。
絶体絶命に思われる状況において、リンヤの心は異常なほど冷静に物事を観察した。
――生き残れる方法は?
――奴までの道筋は?
それだけを考え、そして弾き出した答えとは。
大鎌を水平に構え、そして全身全霊の力を込めて振り抜き、それと同時に前進を開始した。
『馬鹿なッ!?』
直前まで嘲りを浮かべていた不死王の腐肉の顔が、焦りと驚愕に彩られる。
振られた巨大な鎌の白刃が振り抜かれると同時、黒い槍が砕け散ったのだ。
おそらく不死王はたかが格下と侮っていたのだろう。それは間違っていない、不死王と死神ではどうしてもワンランク劣ってしまうのは否めない。
だが、リンヤは普通の死神ではない。
最初から死神まで進化したわけではないのだ。
元より強い死神の幽体を吸収し、その躯に憑依した。
それから十年間毎日のように、いやそれまで以上に効率よく、多くの幽体を吸収してきた。
つまり――既にリンヤの存在としての格は、死神にして不死王の域に達している。
だが、全てを打ち砕けたわけではなかった。残った黒い槍がリンヤの纏う黒衣の端や、骨のいたる所を掠っていく。しかし、どれもこれも僅かな所で致命傷を免れていた。
黒い槍をギリギリのところで躱し、リンヤは不死王に殺到する。
『おのれ死神ィィィィィッ!? 土塊よ我が身を護れ! 土壁ッ!!』
鎌を振り上げたリンヤと不死王の間を分かつように、地面から分厚い土の壁が発生した。
しかし、死神の目に迷いはなかった。
振り上げた大鎌の切っ先が月光を浴びて煌めいた瞬間、残像を網膜に映し出すほどの速度で振り下ろされた。
その白刃は土壁をまるで半紙のように裂いた。
『おのッ』
断末魔すら強制キャンセルさせ、頭頂から股下まで一つの線が奔り、不死王の身体を真っ二つに断ち切った。
『まだだ、まだ終わッ!?』
油断せず、二つに分かれた身体から出てきた不死王の本体、幽体が飛び出してくるが、それの首を骸骨の手で掴む。
そこで違和感。あまりにも手応えが無さ過ぎる。
『は、離せぃッ』
じたばたと手の中で暴れる幽体の魔力も、はっきり言ってそこまでの魔力も感じない。どちらかというと真っ二つにされた死骸の方が魔力を感じる。
何よりも、手中にある幽体がとてつもなく小物臭い。
『まさか、お前偽者か?』
『そ、そうだ。強き器を運良く手に入れ、憑依していたにすぎない。わ、悪気はなかった。だから、離してく』
黒衣の奥のリンヤの口ががぱりと開き、情けなく喚き散らす偽不死王の幽体を頭部から咀嚼する。
数秒後、完全に吸収し終え、周囲で様子を窺っていた鬼火達を睨みつけると一瞬で散っていった。
(終わった終わった)
一先ず終わったことに、ほっと胸を撫で下ろす。胸は無いが。
どうやら偽者でもそれなりに強かったようで、身体に魔力が満ちるのを感じていた。
(さて、どうするかな)
おそらく、この墓地にあの偽不死王より強い存在はいないのだろう。つまり、この墓地では今自分が一番の強者ということになったらしい。
そのこと自体にはまるで問題を感じない。別に強いからどうというわけではないからだ。
とりあえずこれからのことを考えるべく、綺麗な三日月でも眺めようかとしたとき、がしっと何かに抱きつかれるような感触がした。何かと思い振り返ってみると、
(……起きたのか)
襤褸衣を纏った子供が、汚い黒衣に全身を押しつけながら抱きついていた。
直感的に、これは懐かれたと察する。
「――――」
黒衣から顔を離し、ぼそぼそと何かを呟くが、やはり聞き取れない。ありがとうか何かを言っているのならば、何処となく嬉しくも感じた。
しかし、どう扱って良いのか。二十年もの間墓地を彷徨い、喰うか喰われるかの日々を過ごしてきたリンヤにとって、こんな小さな存在をどうこうするだけの何かを持ち合わせていないように思えた。
しかし、何時まで経っても離してくれそうにない。
更に、時折リンヤの顔を見上げては、ぼそぼそと何かを言ってはまた顔を埋めている。
(……まあ、なるようになるか)
とりあえず、問題を先送りするリンヤだった。
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