一話 『幽霊になってしまったようです。』
ふと気付けば、少年の意識は其処にあった。其処というと? と聞かれたら、其処は暗闇だと答えるしかない。
しかし、少年は暗闇の中でも確かな視界を保っていた。
(……此処は?)
暗闇だ。その中にぽつぽつと光が蠢いているのが見える。
若干の恐怖を覚えながら、辺りを見回すと、明らかに人の手が入った石柱のようなものが等間隔に立てられている。
少年は地に足が着いていないような感覚に襲われながら、ゆっくりとその場から移動を開始した。
不意に空の雲間から月光が差しこみ、辺りの様子を露わにする。
其処は、所謂墓地と呼ばれるところだった。
石柱と思っていたものは墓碑であり、周囲は木々に囲まれている。
(……いきなり墓地って)
少年は思わず苦笑いを――しようとした。そこで、彼は気づいた。
自分の身体が、不安定であるということに。それも力が入る入らない以前の問題で――自分の身体が、実在していないということに。
(なッ!?)
少年は何処かに自らの姿を映せるようなものがないか探し、すぐ其処に水溜りがあることに気付いた。急いで向かい、やけに明瞭な視界を下に向けると――青白い火の玉のようなものが映った。
(ま、さか……)
少年――だった何か――は、神と名乗る存在とのやり取りを思い出し、あのやりとりの間で、そのままの姿で言ってもらうとは一言も言われていないことに気がついた。
つまり、今の姿から自分の存在を説明すると、
(鬼火って、ところかな?)
とりあえず、前世の記憶を整理することにした。
名前は燐也。偏差値平均の極々平凡な高校生だった。一回の交際経歴を持っており、やはり普遍的な生活を送っていた。
やっぱり普通だな、と無い頬を苦笑いで歪ませる感覚。
(じゃあ、同種族同士、交流でも持とうかな)
このままでは一生をこの墓地で過ごしそうになりそうだと思い、リンヤは他の鬼火の方へと揺らめきながら近づこうとした。
目と鼻の先の距離まで近づくと、目の前の鬼火とどうにかして意思疎通を交わそうとするが、
(うわッ!?)
鬼火は猛然とリンヤに襲いかかる。リンヤは身体から火の粉を散らしながらそれを避けるが、鬼火は執拗に襲いかかってくる。
(もし、かして)
リンヤはギリギリのところで躱しながら周囲を窺うと、蠢いていると思っていた光は全て鬼火で、目の前の鬼火のように争っているように見える。
そして視界の端で、鬼火が鬼火を吸収する瞬間を目撃する。吸収した鬼火はより一層大きな鬼火となり、新たな獲物を虎視眈々と狙っていた。
そういうことか、とリンヤは納得する。
つまり、あの神と名乗る存在は、こんな最底辺の存在から足掻いて足掻いて足掻きまくって、物語を紡いで見せろと、あの妖しげな微笑みの裏で語っていたのだ。
リンヤは目の前の鬼火に全ての意識を集中させる。
どうやって生き残っていくのかは分からない。
ただとりあえず、目の前のことに対して抗ってみよう。
前世では、出来なかったのだから。
突っ込んできた鬼火を躱し続け、隙が出来ないかを窺う。しかし、何時まで経ってもその時が訪れる気配はない。
リンヤは満を持してその隙を自ら作り出すことを決心する。上手く行くかは分からないが、こうなればやけくそだ。
尚も馬鹿正直に突進ばかりを仕掛けてくる鬼火をギリギリまで引きつけ、そして最小限の動きで躱し、後ろに(顔も背中もないが)回り込む。そして、渾身の体当たりを喰らわせた。
鬼火は面喰ったように仰け反り決定的な隙を作る。だが、致命的なダメージにはならなかったようだ。
どうすればいいか?
考えるよりも先に、身体が動いていた。それはおそらく、本能と呼ばれるものだろう。
リンヤの火の玉がぱっくりと半ばまで裂け、口のようなものを形成した。
それを使い、後ろから思いっきり襲いかかった。
音もなく閉じられた口に噛みつかれた鬼火は、苦しむようにじたばたと暴れるが、思考は停止し、所謂トランス状態に陥ったリンヤは容赦なく貪り続ける。
しばらくそれを続けると、鬼火の幽体は無くなり、完全にリンヤに吸収された。
それと同時、リンヤの中に混濁した意思のようなものが生まれるが、しかしそれを無理矢理押さえつける。
直後、自分の存在感が増したような感覚があった。
(そうか、これを、続ければいいんだな……?)
徐々に落ち着いてきた精神で、これから自分が何をすれば生き残れるかを認識する。
きっと、存在するだけでも辛い道のりになるだろうけれど、
(やってやろうじゃんか)
そんな曖昧な、それでいて確信的な何かを、リンヤは感じ取っていた。
後ろに気配を感じる。振り返ると、そこには更に鬼火がいた。
いなくなることへの恐怖はある。
しかしそれ以上の何かが――リンヤを突き動かした。
……
この世界に鬼火として生まれて、昼と夜をそれぞれ三六○○回ほど繰り返したころ、リンヤの幽体に異変が起こる。
リンヤはこの十年(と言って良いのかは分からない)、とにかく安全マージンを取りながら、ひたすら他の鬼火を吸収していた。吸収した瞬間他の思念のようなものを感じるのが不気味だが、背に腹は代えられないということで、多いときは一日に五つほどの鬼火を吸収したりもした。
活動時間は主に夜で、日の光に当たると溶けてしまうのだ。身体がではなく、精神的に。どうやら、精神ヒッキーになったらしい。
リンヤが吸収した鬼火の総計は万は下らないだろう。もしかすると、先程吸収した鬼火が、ちょうど一万だったのかもしれない。
火の玉状だったリンヤの幽体が、見る見るうちに人型を模り始めたのだ。
ただ、全身の消失線に靄がかかり、かろうじて人の形だと分かる程度だが。
(やっぱり、人の身体って、形だけでも優秀だなぁ)
だがしかし、このままでは目の前にあるものにすら触れない。
ちらと見た程度だが、人の形を模せる程度までになると、物体に憑依することが出来るようだ。今までは人型の幽体など、見ただけで逃げていたが、これでやっと同等になれた。
(成り上がり、って言うのかな、こういうの)
そう考えながら、リンヤは手ごろなものを探す。
『もの』と言えば、つまり死体だ。
最近、近くで大きな武力衝突があったのか、ここら辺まで血塗れの人間が行き倒れて、そのまま死ぬことがままある。
墓地にも埋葬されていない手ごろな死体が、そこら中に転がっているのだ。
(……出来るだけ、骸骨になってるのがいいよなぁ)
腐乱死体は御遠慮したいところだった。
きょろきょろと周囲を見回し、手ごろな白骨死体を探している時だった。
――強烈な何かが、幽体であるリンヤの身体を揺らがせる。
(な、なんだ!?)
リンヤはこれが魔力的な何かかと適当に辺りをつける。以前、明らかに格が違う魔物を見た時もこれと似た感覚があった。これは、以前の比ではないが。
視線を泳がせ、何が起こったのか原因を探る。
夜の闇が世界を覆い始め、そろそろ鬼火達、不死者達が闊歩する時間となってきた。
リンヤはこの幽体を揺らめかせる感覚だけを頼りに、その原因に近づいていった。
(……骸骨、いや……死神?)
それは、鎌を持ち、薄汚れた黒い布を被った骸骨だったが、頭蓋骨に大きな傷痕が見受けられた。全身から禍々しい瘴気を放っており、眼孔には黒色の焔が灯っているが、それも徐々に弱まっている。
その時、リンヤの中に暗い考えが浮かぶ。
(今、あいつを襲えば、あるいは……)
見たところ、あの骸骨にはかなり高位の幽体が宿っている。しかし、それも風前の灯火で、今にも消えようとしていた。
何故弱体化しているのかは知らないが、今襲えば、自分よりも強い幽体を吸収し、良い感じの骸骨も手に入る。
(……よし、行くぞ)
リンヤは即断し、死神へと襲いかかる。
骸骨に憑依し、先に憑依している幽体に勝ち合う。
一瞬ぎょっとした様子を見せた死神の幽体だったが、有無を言わせずに全身を貪り尽くし、吸収する。
あっという間の出来事だった。その間、実に五秒である。
むくり、と黒衣を纏った骸骨が起き上がる。
直後、眼孔に黒い焔が灯り、肋骨に覆われた心臓に当たる部分に鬼火のようなものが浮かび、全身から黒い瘴気のようなものが噴き出した。
「カタ、カタカタカタ」
やはり声帯が無い所為か声を発することは出来ないらしい。歯と骨を打ち鳴らすカタカタという音だけが無機質に響いた。
しかし、全身に得体の知れない力が漲る。
そして初めて実体を得たからか、約十年ぶりの重さという概念に懐かしさを覚えた。
(凄いな、これ……)
危険を冒して憑依した甲斐があったというものだ。
(よし、これで一つ、前進だ)
其処で、リンヤは疑問を持つ。
そう言えば、僕は何を目的にしているのだろうか、と。
今までは日々を生き残る――心臓は無いが――のに必死だったが、しかしこれからは幾分か余裕のある日々になるだろうことは何となく予想できる。
(目的を探すって言うのも、いいかもしれないな)
今の自分には、それが出来るかもしれない。
前世では、目的も――生きる気力も持てなかったが、何故か、今なら何でも出来る気がした。
(頑張ろう。……ちょっとずつだけど、きっと今なら、前に)
あの神と名乗った存在は見ているだろうが?
見ているのならば、きっと退屈しているだろう。
十年かけて、やっとこれだ。
(だけど――きっと)
リンヤは骸骨の身体をかたりと鳴らし、ゆらゆらと動きだす。
今はまだ、これでいい。
いつか、きっと――。
その想いを胸に、リンヤはこの世界の大地を踏みしめた。
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