08 先生が孤児院にやってきた
――人間、本当に驚くと顔がここまで青白くなるなんて。
シスターと目が合った瞬間、クルト先生は文字通り顔面蒼白となり、シスターはその笑みを深くした。
「わざわざエフィーを送っていただきありがとうございます」
「イエ……教師として当然のことをしたまで、です」
「さあ中へどうぞ。お茶ぐらい飲んでいってくださいね~」
「ありがたいのですが急いで戻らなくてはいけな――あ、ハイ、ありがとうございます」
クルト先生の様子がおかしい。そしてシスターも。
もしかしてこれは昔二人は恋仲だったとか……だとすれば、クルト先生の蒼白だった顔色が赤みが差しているように見えるのはきっと夕日のせいではないはず。この反応からみてまだクルト先生はシスターのことが好きに違いない。
幸いこの国の信仰する神は修道士の婚姻を推奨しているし、ここはやはり私が二人のキューピッドとなり二人の恋路を……
「ほらエフィー、馬鹿なこと考えてないで早く入りなさい」
「はい」
何故ばれた!?
――とはいってもシスターには日頃から「エフィーは考えてることがわかりやすいわ~」などと言われているので顔に出ていたのかもしれない。さすがのシスターでも人の頭の中を覗くことはできないはず。……多分。
孤児院の中でもすこし小奇麗な部類に入る応接室へ入ると、何故かクルト先生が椅子の上で正座をしていた。
ちなみに応接室は広くないので、他の子供たちは自分たちの部屋へと戻っている。
「お茶をどうぞ~」
「……アリガトウゴザイマス」
クルト先生の前にお茶が差し出される。
ふんわりと香りの良いお茶はシスター特製のハーブティー。リラックス効果のあるお茶のはずなのだが、クルト先生には効果はなかったようでその額から一筋の汗が流れ落ちた。
「エフィーが事故に合ったので大事をとって送っていただいたそうですね」
「ハイ」
「ありがとうございます」
「イエ」
机を挟んで反対側に座ったシスターは手を組み、微笑を浮かべクルト先生と向き合う。クルト先生も笑みを浮かべてはいるが、明らかに口元は引きつっているし脂汗が浮かんでいる。
「で、本当の目的は何ですか?」
「そんな、目的なんて……ない、デスヨ?」
「そうですか、残念です」
「……何が……デスカ?」
単刀直入の質問にクルト先生は目を泳がせ、シスターは悲しげに目を伏せた。
クルト先生は否定しているが、言葉がカタコトになっていて不自然極まりない。やはり惚れた相手の前では軽い――ごほん、紳士なクルト先生といえど平常心ではいられないということだろうか。
それにしても本当の目的、つまり先生が私を送ってくれた理由が私を心配してということではなく別の目的があるということ。
確かに、魔法で治療され私の体には擦り傷ひとつ残っていない。そして魔法の治療は暴れたからといって傷口が開くというものでもない。つまり再び怪我をするようなことが無ければ、治療した怪我をする前となんら変わりは無いのだ。
「きっと忘れてるだけですから、思い出してもらえばいいですよね~」
「ひっ……!」
「何だか私お邪魔みたいなので席を外しますね。外で待ってますので、お話が終わったら呼んでください」
「待ってエフェメラ君っ! 二人きりにしないでえぇぇぇ!」
「先生ったら照れてるんですね。でも私、そんな野暮な人間じゃありませんから」
「大丈夫、話はすぐ終わりますよ~」
なおも私に気をつかってか全力で引きとめようとするクルト先生と、普段と変わらないシスターに見送られ部屋を出ると、そこにはユディトが立っていた。
廊下の壁にもたれかかる様に、相変わらず不機嫌そうな顔で腕を組んでいる。私と目が合うとカツカツと音を立ててこちらに歩み寄り、開いたままの応接室の扉をぱたりと閉めた。
不機嫌であるのにバタンと音を立てて閉めないのは、やはりシスターの教育によるものだ。
呼ばれれば聞こえる程度に扉から離れ、ユディトと二人壁を背にして並んで立つ。
何か私に用事があるから待っていたのだと思うのだけれど、ユディトはただ黙って時折ちらちらとこちらに視線を向けるだけ。
ハッキリしないその態度に私が痺れを切らし、何のようなのか問い詰めようと口を開きかけたのだが。
ふわり、と部屋の中に魔力が満ちるのを感じた。
「部屋に防音魔法がかけられたみたいだ。さすがにもう聞こえないな」
「うーん、何か聞かれたくない話なんだろうね。でもシスターは魔法使えないから魔法をかけたのはクルト先生だろうし。――はっ! まさか再会してすぐ愛の告白とか……」
「……何言ってんだよ。シスターが嫌がるあの男に魔法をかけさせてたぞ」
ユディトは驚くほどに耳がいい。多少の防音された部屋の中の音でも簡単に聞き取れてしまうほどだ。
シスターがクルト先生に魔法をかけてもらったのなら、シスターが私たちに聞かれたくない話もしくは聞く必要の無い話だということなのだろう。
「で、何してるんだ?」
「学校の入学案内の書類見てる」
「……本当に合格したのか?」
「失礼な。ほら、見なさい」
ユディトも何も言わないし、ただ待っているだけというのも時間の無駄なので、合格者に配布された入学案内の書類を眺めていたのだ。
毎日孤児院からは学校へと通うことができないので寮か下宿生活になるのだが、孤児の場合は学費同様寮の費用も免除されるということなので寮に入ることになるだろう。
「寮に入るのか?」
「ここから通うのは無理だから。時間もだけど、何より馬車代が馬鹿にならないもの」
「そうか……」
「ユディトも来年受験してみれば? 受かれば学費免除で学校に通えるんだし。ユディトなら問題なく合格できると思うよ」
「……そうだな」
じっと横から書類を睨むように見入っていたユディトが、ふーっ、と長く息を吐く。
そして顔を上げた時には不機嫌さは消え去って、どこかさっぱりしたような顔をしていた。
「ヒィイィィィっ!」
突然の絹を裂くような悲鳴に、私とユディトは一瞬顔を見合わせお互いに頷くとシスターの部屋へと駆け込む。
――悲鳴の主は明らかにクルト先生だったが。まだ防音の魔法が消えていないというのに外まで悲鳴が聞こえるとは、なんて素晴らしい声量だろうか。
「お客様がいらっしゃるのに騒がしいですよ、二人とも」
扉が音を立てるのも気にせずに応接室に飛び込んだ私たちを、シスターは私が部屋を出たときと変わらない様子で迎えた。
一方クルト先生は部屋の隅で頭を抱えてしゃがみ込み、ぷるぷると震えている。
「えーっと、クルト先生とりあえず椅子に座ってください?」
「何で疑問系なんだよ」
「先生がそういう趣味をお持ちなら邪魔しちゃ悪いかと思って」
「そんな趣味ありませんっ」
私とユディトが来たことで正気に返ったのか、クルト先生は姿勢を正し椅子に座る。先ほどのように椅子の上で正座をしていないのでそれなりに落ち着きを取り戻しているようだ。
「では、エフェメラ君は僕が責任を持ってお預かりします」
「よろしくお願いしますね。では今日はもう遅いですし、部屋を用意しますのでそちらにご滞在ください」
「え……いやいや、馬を借りてきてしまっていますし早く戻ら――いえ、お世話になります……」
二人の関係性が全くわからないが、クルト先生がシスターに逆らえないということだけは間違いない。惚れた弱みというものなのだろうか。
シスターの無言の圧力に屈したクルト先生は客間に滞在することなり、ユディトが客間へと案内していった。
「シスター」
「大丈夫。あんな人だけど、半分ぐらいは信用できるわ」
「全面的にじゃないんですね」
「彼にも色々あるのよ~。そうそう、寮に入れるのは一週間後だそうだから、準備しておいてね」
「はい」
「それじゃあすぐに夕食にしますから、その前に荷物を置いてシャワーを浴びていらっしゃい」
「はい!」
色々聞きたいことはあったのだが、やはり乙女心の欠片程度は残っているのでシスターの言葉に素直に従う。嬉しくないことに慣れてきてはいたが、ねっとりとして気持ち悪いことに変わりは無い。
急いで応接室を出て自分の部屋へと戻ると、ベッドの上に鞄を投げ着替えを掴んでお風呂場へと直行する。
途中客間の前を通った時、「そうか、あんたも大変なんだな」というしみじみとしたユディトの声が聞こえた。私もユディトほどではないが、耳はよいほうだと自負している。
そんな意味のわからない会話よりも今はシャワーが先決だ。
私が体に残った血を洗い流し清潔な服に袖を通しご機嫌で食堂へ行くと、何故か意気投合したらしいクルト先生とユディトがお茶を手に語り合っていた。
――今も昔も、男の友情はよくわからないことが多すぎる。