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70 予想外の来訪者

 精霊の森に行ってから三日後の昼下がり。

 私たちは学校内だが滅多に人が立ち寄ることのない穴場といえる場所にいた。


「やった! とうとうやったのよ……!」


 天高く、喜びに打ち震える拳を突き上げる。

 その拳が小刻みに震えているが、今はそんなことは問題ではない。この青く澄み渡る空も私を祝福しているのだと今なら断言できる。


「大変興奮しているところに水を差すようで心苦しいのですけれど、纏う魔力にも変化は感じられませんし、何がどうやったなのか説明していただけますか?」


 頬に手を当て不思議そうにこちらを伺うリーゼを柔らかな風が撫で、その淡い紫の髪がふわりと舞う。

 隣に当然と言わんばかりに立つジークが、その様子に頬を緩めるという普段であれば一歩後退したくなるであろうその光景も、今の私は微笑ましく見守ることができる。冷たいマリウスの視線だって気にならないし、拍手を送るヴィルの賛辞も素直に受け止められる。

 それほどまでに私が成し遂げた成果は素晴らしいものだった。


「ふっふっ、あの苦しい修行の後もさらに鍛錬に励んだ結果、私はフィーネ以上に繊細な力の制御に成功したのよ!」

「それはすごいね。具体的にはどのようなことが出来るようになったんだい?」

「指先に力を凝縮させてそのまま打ち出し、山程度なら貫通できるだろうと思われるぐらいの威力に高めることに成功したわ!」

「素晴らしいですわ、エフィー!」


 よくぞ聞いてくれたとささやかな胸をはり、ぴんと人差し指を立てびしっとジークを差す。

 簡単なようだが高い魔力を凝縮し、それを正確に撃つというのはかなりの技術を要する。それは力が強くなればなるほどに、だ。

 それがどれほど大変なことなのか誰よりも理解しているリーゼは破顔し、感極まったように私に抱き着く。今までの経験から色々危機を覚えて顔を上げると、ジークは遠い目をしてあさっての方向を見つめていた。


「あー、うん、頑張ったね。でも、なんだがそんなことをした人物にすごく心当たりが……。もしかしなくても、参考にした人が身近にいたりする?」

「さすがジーク。シスターの扱う銃を参考にしたのよ」

「あはは、やっぱりね」

「山を貫通する程度の威力は出せても、今はまだシスターみたいに衝撃波まで生み出すことはできないわ。それに結局防御結界の強度は上がらなかったし。何故か腕力は上がったようだけど」

「だれが攻撃特化しろと言った。本来それだけ制御できれば俺と同等の結界を張るぐらい容易いはずなんだが」

「これも生まれ持った特性、かしら」


 私とジークのやり取りを静かに見ていたマリウスは木に預けていた体をゆっくりと起こし、額に手を当ててひどく呆れた様子で肩を落とす。

 マリウスの言う「何故」の理由を考えてもはっきりとした答えはわからないが、ただ漠然と感じていたことをぽつりと漏らせば、マリウスは顔をあげて私の前へとやってきた。

 笑顔ではあったがその口元をひくひくと引き攣らせつつ、さらには冷気を振りまくという高等技術を披露しながら。


「そんな特性今すぐどこかに捨ててこい」

「でも攻撃は最大の防御って言うじゃない」

「時と場合による。そもそもお前は――」


 詰め寄りさらに言葉を続けようとしていたマリウスがはっとして顔を上げる。つられて空を見上げたその瞬間、辺りの空気が一変した。

 それまで雑多に感じていた精霊の気配は消え、キンと張りつめたような緊張感のある空気がその場を支配している。


 その変化にいち早く反応したのはヴィル。空を見上げるその視線は険しい。


「今も昔も育った環境が特殊すぎるんですよ。普通を望んでいたはずですが、主に人の普通は解りませんし、少々的外れなところもあります」


 その声の主は私たちの見上げた先、太陽を背にゆっくりと降りてくる。逆光で顔はわからないが、その背には立派な翼。そして意図しなければ気づけない、私にとても馴染んだ力がその人物が何者であるかを物語っていた。


「天族……」


 呟くヴィルの視線はさらに鋭さを増す。

 元魔王のヴィルにとって聖女と同じく浄化の力を持つ天族は天敵と言えなくもないのでしかたないのかもしれないが、リーゼは素早く出現させた杖を握りしめ、ジークも軽く身構えている。警戒する彼らの中で、唯一マリウスだけは身構えることなく、何故か眉間を抑えていた。

 ゆっくりと天族が地面へと降り立つ。私たちがいるのは学校の一角であり、昼間の学校内に降り立ったというのに私たち以外には誰も天族に気づいた様子はない。やはり先ほどの変化は天族が何かしらの力を使った結果だろう。


「久しぶり、ですね」


 そこ言葉に身を固くしつつも私の前に出ようとしたリーゼを制して一歩、ゆったりとした動作で歩み出る。そしてわざとらしく首を傾げた。


「久しぶり、ということは以前ルバルツの街にいた天族はあなたということかしら?」

「ルバルツ。ああ、確かに以前立ち寄ったことがあります」

「あの時間近で見たはずなのに、何故か顔は思い出せないのよね。全く印象に残ってないというべきかしら」

「そういった魔法もあるということですよ」


 

 やはりルバルツで出会った天族と同一人物らしい。あの時はあの少女と神器のことがあったとはいえ、後で思い返してみても恐ろしいほど天族の容姿は記憶から抜け落ちていた。そしてリーゼたちが警戒する一番の理由はこの天族とあの少女との関係だ。

 交流会で姿を見せた時はあの聖女状態の少女と姿を消している。だがその後少女は魔王として教会で再びその姿を見た。その時天族は私たちと一緒に少女と戦ったとはいえ、全面的に信用できるかと言えばそれは当然否だろう。


「イシュト。何の用があってここへ来た?」

「マリウス……知り合いなの?」


 苛立ちを含んだマリウスの声が、どう対応するのが正解なのか思案していた私の思考をぴたりと停止させる。一方マリウスにイシュトと呼ばれた天族は楽しげに目を細めると、不敵にその口元を緩めた。


「本当に久しぶりですね、マティアス。いや、今はマリウスでしたか?」

「そんなことはどうでもいい。何の用だと聞いている」


 楽しそうな、それでいて少し人を馬鹿にしたかのような響きを乗せた天族の声。そんな天族とは逆にマリウスの声に含まれる苛立ちは増していく。

 ゆっくりと天族に近づいていくマリウスが軽く手を振れば、その手に魔力で作られた光り輝く剣が現れた。勇者様の剣だと言われれば納得しそうなほどに神々しい。


「そうか、ならば死ね」

「せっかちな男は嫌われますよ?」


 迷いなく言い切るマリウスに天族は余裕を崩すことなく笑みを深くする。


「やはり死ね」

「全く。相変わらず冗談が通じませんね」


 ぶんとマリウスが剣を素振りすると、天族は相変わらずの余裕の態度を崩すことなく肩を竦めてみせる。 どうやらこの天族はマティアスと顔見知りらしいが、改めてよく観察してみれば何やら違和感を覚えた。


 ルバルツの時より口調は丁寧だがあの時は状況が状況だ。状況によって口調が変わるというのはありえないことではない。

 少し癖のある髪も、意志の強そうな瞳もあの時と同じ透き通るような空色。日の光を浴びる今は輝いてすら見える。外見は人で言えば二十五・六歳といったところで、口調こそ丁寧だが私たちと向き合う彼はどこか挑戦的な笑みを湛えていた。


「…………」

「何か?」


 じっくりと観察する私の視線に気づいた天族が小さく首を傾げた。やはり感じる違和感に眉を寄せ、なおも見つめつつ、じりじりと距離を詰める。

 制止しようと伸ばされたリーゼの手を振り返ることなくきゅっと握りしめれば、納得したのか諦めたのか、ため息と共にその手は離れていった。


「――マリウス」

「知らん。不用意に姿を見せたお前が悪い」


 助けを求めるようにマリウスに眼差しを向けたがばっさりと切り捨られた天族は、たじろぎつつも私に視線を戻す。

 じっと見つめあうこと十数秒。ふいに天族の視線が泳いだ。


「ユディト」

「……それは誰ですか? 私の名はイシュトバーンです」


 今のように見つめあうというよりは睨み合うような状態になった時、決まってユディトはばつが悪そうに視線を逸らす。その一連の動作がぴったりとユディトのそれと重なった。

 改めて観察してみれば、外見の年齢や色は違えど目元にユディトの面影がはっきりと見て取れる。


「うん。魔力の質は多少違うけれど、やっぱりユディトね」

「ですから私はイシュト――」

「諦めろ」


 天族なので私と同じ力へと変化しているがやはりそこには微かにユディトの魔力を感じる。

 否定を続ける天族の肩に手を置き、マリウスは憐れむような眼差しを向けた。やはりこの天族はユディトで、マリウスがその正体を知っていたのは間違いない。

 私とマリウスを交互に見やり、髪をがしがしとかきまぜながらユディトは大きく息を吐き出した。


「――はぁ。仕方ない、認める。確かに俺はユディトでもある。だがこの状態の時はユディトじゃなくイシュトバーンだ」

「んー、長いからイシュトでいい?」

「いいよ。はぁ、まだ気づかれないほうが都合がよかったのに」


 自分がユディトであると認めたイシュトは口調もユディトと同じになっている。もしかしたら丁寧語の口調が素なのかと思ったがそうでもないらしい。

 とりあえず今はイシュトが敵ではないと判断したリーゼとジークも肩の力を抜き聞き役に徹することにしたようだが、二人とも油断なくイシュトの様子を伺っていた。


「さて、聞きたいことが多すぎて何から聞けばいいのか悩むわね」

「制約があるから答えられないことはかなり多い。それに俺は天族としては少し特殊だからな」

「ヴィルも制約がどうとかって言ってたわね」

「俺の制約は彼に比べればずっと少ないけどね」

「神に近い存在ほど多くなるんだよ。一番制約に縛られているのはその神だ」


 どかりとその場に腰を下ろしたイシュトの翼が光の粒となって消える。どうやら翼の出し入れは自由なようだ。あとは髪と瞳の色さえ変えれば美形ではあるが人として違和感なく紛れ込めるだろう。そもそもユディトに翼なんてなかったのだから少し考えればわかることだが。


「ユディトは元々イシュト、つまり天族だったの?」

「いや、俺は人間だった。だから天族としては特殊なんだよ」

「人が天族になれるものなの?」

「実際になったんだからなれるんだろ。特殊なだけで」

「ふぅん、じゃあユディトとして孤児院にきたのは何故?」

「一部制約、残りは黙秘だ」

「つまり言いたくないってことだね」

「さあな」


 矢継ぎ早に質問を浴びせるとイシュトは少々投げやりな態度ながらも答えてくれた。ただ、ユディトとして孤児院にいた理由は言えないということらしい。くすりと笑みをこぼしたヴィルの言葉にイシュトは眉を寄せたが否定はしなかった。


「よくわからないわね」

「制約というのは世界を壊さないために力あるものへとかけられる制限と思えばいい」

「でもヴィルにはあって私にその制約はないのよね?」

「あいつも元魔王だからな。色々あるんだろう」


 補足してくれたマリウスには悪いが、いまいち納得のいかないままにとりあえずはそういうものなのだと理解する。そして再びイシュトを見れば、イシュトはユディトが良く見せる目を細めて何か企んでいそうな笑みを浮かべていた。

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