07 愛は自由
私たちを乗せた軍馬は街を出て街道を走り抜けていく。
流れていく景色を見るのも風を切って走るのもとても楽しいが、一人で馬に乗れたらもっと素晴らしく感じるに違いない。練習すればいつか乗れるようになるだろうか。
しばらく馬を走らせ続け日が傾き始めた頃、それまで私に気を使って当たり障りのない会話をしてくれていたクルト先生が、それはそれは楽しそうに口を開いた。
「もっと速くても大丈夫そうだから、速度上げちゃうね」
「まぁ私は抱えられてるだけですから。クルト先生が大丈夫なら」
「ふふふ、もちろん余裕だよ」
上機嫌でクルト先生は歌うように言葉を紡ぐ。
聞いたことのないその言葉はどうやら呪文のようだったが、それは私の知識の中にはない未知のものだ。その言葉に応えるように、ずっとクルト先生の隣から離れることのなかった精霊が光を帯び、その力を増していく。そしてクルト先生の呪文が終わりを迎える頃、精霊は先導するかのように私たちの前に出た。
「ミリタリー・マーチ!」
クルト先生が高らかに叫んだその言葉を引き金に精霊が力を放ち、私たちの周りの風の流れが変化する。それと同時にぐんと軍馬の速度も上がり、それまでの倍近い速度となった。ものすごい速度で走っているが風の流れが制御されているため、息苦しくなることもない。
「なんですか、この魔法」
「移動速度を飛躍的に上げる補助魔法だよ」
「変わった呪文ですね」
「そうだねぇ、唄っているように聞こえるからね」
「吟遊詩人みたいですね。先生は格好いいからよく似合いそうです」
「歌のように聞こえる魔法を使う人間はバードと呼ばれるんだけど……知らないみたいだね。まぁ吟遊詩人と混同されがちだから知らない人のほうが多いかな」
その言葉に素直に頷く。
二百年前にバードはいなかったし、そのような魔法に心当たりもないので二百年の間に新しく開発された魔法なのだろう。しかもどうやら認知度が低い存在らしい。それに精霊の存在も気になるところだ。
「ところで、本当に格好いいと思ってる?」
「はい」
ふいに腰に回された腕に力が込められ、抱き寄せられる。……とはいってももともと密着していたに等しい状態なのでそこまで大差があるわけでもなく、私の頭がこつんとクルト先生の胸に当たった程度だ。
何するんだと眉根を寄せてクルト先生を見上げれば、先生は目頭を押さえて顔を背けた。
何か思うところがあるようだけれど、とりあえず手綱から手を離すのはやめていただきたい。
「あまりにも反応が無さすぎて、自分に魅力がないのかと落ち込みました」
「――つまり、生徒をからかって遊んだわけですね。そのうち勘違いされて後で痛い目を見ますよ」
「大丈夫ですよー。先生は大人ですから、その辺の対処はばっちりです!」
「……サイテーですね」
「女の子の恥らう様子はとても可愛らしいですからね」
思わずジト目で見上げてもクルト先生は気にする様子もなく、むしろ楽しそうで落ち込んでいるようには到底見えない。
間違いなく確信犯であり、その性質の悪い悪戯は私の中で少し尊敬していたクルト先生の株を暴落させるには十分なものだった。
それでもクルト先生の魔法の腕は確かで、移動の速度は一定に保たれたまま。魔法のおかげなのか馬が軍馬であったためなのか馬を休ませることもなく、二時間ほど走り続けた頃には孤児院のある町が見えていた。
「あの町ですね」
「はい」
クルト先生が空を切るように手を振ると、次第に精霊の光が弱まると同時に馬の速度も本来のものへと戻っていく。精霊が帯びていた光が消える頃には風の流れも通常の流れに戻っていた。
町の手前で速度を落とし、ゆったりとした歩みで町の中を進んでゆく。
馬上から見る景色は普段とは違い、見慣れた町が新鮮に感じられる。その景色を堪能していると、突然名前を呼ばれた。
「エフィー!」
「ん?」
私を呼ぶ声にクルト先生が馬を静止させ、辺りを見回す。
「うーん、誰もいないね」
「いえ、いますよ」
私の声に応えるように、すぐ前方に一人の少年が降ってきた。
それにしてもさすがは軍馬、突然鼻先に人が降ってきたというのにびくりと体を震わせただけで取り乱すこともなく、よく訓練されているとわかる。漆黒で引き締まった体はとても素敵で。……いいなぁ、この子欲しい。
私が軍馬にうっとりとしている頃、クルト先生は音もなく着地した少年に酷く驚いていた。
「えっと……君は?」
「お前、エフィーに何をした?」
尋ねるクルト先生に答えることなくその少年は先生を睨みつける。
どうやら私の姿をみて勘違いをしているようだ。
さすがに色々酷いのでマントを借りて包まってはいるが、完全に隠れるわけではなくところどころから血に汚れた服が見え隠れしている。
「僕は何もしていないよ。これは事故で……」
「事故って何だよ!」
「はいどーどー。ユディト、落ち着きなさい。
すいませんクルト先生。これは私と同じ孤児院の子供のユディトです」
宥めると同時に、ぴん、と指で弾くようにして魔力を込めた小さな空気の塊をユディトの額にぶつける。
空気の塊を打ち出すという簡単な魔法をさらに簡略化したものだが、この程度のものなら使って問題ないはずだ。それよりユディトを放置して暴れられたほうが面倒なことになる。
衝撃で後ろに仰け反ったユディトだが倒れることもなく、不機嫌そうな顔のまま私たちの隣へ立ち、こちらを見上げる。
「エフィー、どういうことだ」
「学校の前でちょっとした事故に巻き込まれたちゃったの。
大事をとってこうして先生が送ってくださったのよ」
「――ちょっとした?」
「……とにかく、むやみに殺気を放つんじゃありませんってシスターに言われてるでしょ。
それより先に戻ってシスターに先生が行くって伝えておいて。お茶ぐらいだしてもらわないと」
「……ふん」
後でシスターに怒られずに済むようにと気を使ってあげたというのに、ユディトは顔を背けて走り出す。それでも孤児院に向かって走っていったので伝言を伝える気はあるようだ。
あっという間にユディトの背中が見えなくなった頃、ぽつりとクルト先生が呟いた。
「どうしてあの子、足音がしないの?」
「バタバタ走ると近所迷惑になるからと、静かに歩くようシスターに教えられました」
「えー、静かとかいうレベルじゃないよ?」
「でもシスターの教育方針ですし。孤児院の子供たちはもっと小さな子もみんな音を立てずに歩けますよ」
「うわぁ……暗部みたい」
それでも畑を守るときなど、あの歩き方はとても役に立つので有意義な教えだと思うのだけれど。確かに普通の家の子供であれば必要はないことではある。
「なんだか孤児院に行くのが楽しみなような、恐ろしいような……」
「別にとって食われるようなことはないですし、恐ろしくはないと思いますよ」
「そうだろうけど――なんだか背中に嫌な汗が流れるんだよね」
「はぁ、そうなんですか」
私にはよくわからないがクルト先生は本当に何かを感じているようで、しきりにぶるぶると体を震わせている。
それでも小さな町なので、目的地である孤児院に到着するのにさしたる時間も必要としなかった。
孤児院は裕福ではないが、田舎町ということもって敷地面積だけはそれなりに広い。
入ってすぐは子供たちが遊ぶことができる程度に広い場所があり、その一角の木に馬を繋ぎ止めたクルト先生は、必要ないと断わる私が馬から下りるのを手伝ってくれた。これぐらいの高さならば一人で降りられるので本当に必要なかったのだが、よく言えば紳士的。悪くいうなら女の扱いにとても慣れていると言える。
その様子に私たちを取り囲んでいた子供たちは目を輝かせ、歓声を上げた。
「エフィー、彼氏さん?」
「うわっ、エフィーが女扱いされてる!」
……だから遠慮したかったのに。女の子は小さくてもこういった話が好きだし、男の子は男の子で失礼な言葉を吐く。
お客さんが来るというのでみんなでお出迎えしようと外で待っていたらしい。
「シスターアンリ、おきゃくさまきたよー!」
子供の一人が孤児院の扉を開き、シスターを呼ぶ。
すると何故か、またクルト先生が大きく身震いした。
「シスターアンリ? シスターはアンリって名前なんだ。
あれ……なんだか激しく悪寒が……」
「そういえば確かシスターは、修道名が本名と一緒なんだとか。名前は――」
シスターが呼びにいった子供に手を引かれ、ゆったりとした歩みで私たちのもとへとやってくる。
シスターの姿を見た瞬間、クルト先生が息をのんだ。
「――っ、アンリ、ブラウン……」
あれ、私まだクルト先生にシスターの本名教えてないはずだけど……まさか二人は知り合いだったのだろうか。