66 魔王側の人間
マリウスが再び結界を張ると瞬時に外からは中の様子や音がわからなくなると同時に人が近づこうと思えなくなる空間ができあがる。
本来神官が扱う結界は邪悪なものを寄せ付けないといったもので、マティアスが使っていた結界もそういうものが多かった。だがこの場に張り巡らされているマリウスの結界はそれらと少々異なり、錯覚を起こさせ近寄らせないといった惑わせることを得意とする魔王側に片足を突っ込んでしまったんじゃないかと疑う効果が増えている。
まさか聖女の力を隠蔽するという結界は、ヴィルが天族の羽に施してくれた結界と同じようなものだったりするのだろうか。マリウスからそれらしい力は感じないのでさすがにそうではないと思うけれど。
今後マリウスが本当に魔王になってしまうことがないよう切に願うばかりである。
「さて、魔王の宝玉の欠片の話だったな」
「そういえば、どうして魔王の宝玉の欠片が神器に?」
「神器になった経緯までは知らないが、宝玉を安置する前に襲われ魔王の宝玉が欠けてしまった。あの時は逃げるのがやっとで欠片を回収できなかったんだが、その欠片が悪用されたんだろうな」
「マティアスが逃げるのがやっとの相手って、もしかして黒ずくめの男?」
私の言葉にマリウスがぴくりと体を震わせたが、すぐに納得したように細く息を吐く。
「ああ、ジークかリーゼに聞いたのか。確かに宰相の執務室に現れたやつらと同じだった」
「マリウスは黒ずくめの男が何者なのか知ってる?」
「詳しくはわからないが、人ではあるが魔王に近い存在だと考えている。襲われた時、ほぼ完全に魔法が封じられたからな」
マティアスが扱うのは神聖魔法と一部の精霊魔法。精霊魔法はともかく神聖魔法を完全に封じ込めたとなると闇の力が関わっていると考えて間違いないだろう。
ヴィルフリートは意図的に魔王にされただけで、本来は闇の力を持っていたというだけの人間だ。しかし闇の力は魔王がもつとされる力なのだから必死で隠すだろう。当時も今のヴィルのように力を隠している人物がいたとしても不思議ではない。
「それで、お前たちが見た神器はどうだったんだ?」
「魔王の宝玉の欠片だったわ。ヴィルも確認したから間違いないと思う。欠片とはいえ魔王の宝玉だから聖女の力に反応したのだろうけれど、実際は魔王の宝玉の欠片に長い時間をかけて魔力を蓄積させるものだった」
「場所を考えると蓄積された魔力の多くは聖職者のものか。交流会で上空に現れたという聖女――いや、聖女で魔王な少女というのも神器絡みか?」
腕を組み、目を伏せ思案するマリウス。疑問の言葉は私に向けられたものでなく自問しているものだ。
しばらくして考えがまとまったのか、顔を上げこちらを見たマリウスの眉間には深い皺が刻まれている。
「本当に、聖女でありながら魔王などという状態があり得るのか?」
「魔王から聖女になった瞬間を見たから同一人物であることに間違いないわ」
「魔王から聖女に……つまり聖女と魔王の力を同時に使えるというわけではなく、性質が切り替わるということか?」
「多分ね」
ちなみに私には闇の力など欠片もないし、もちろんヴィルに浄化の力もない。あの少女は私やヴィルからみてもかなり特殊な存在だと言える。
その時、夕刻の時刻を示す鐘が鳴った。多くの店の営業が終わることを知らせるそれは同時に私たちが学校に戻らなくてはいけない時間が差し迫っていることを示している。
「……時間だな。一旦学校へ戻って夜にでも集まるとするか。やつらには夕食の時にでも声をかければいいだろう」
「作戦会議ね!」
「まぁそんなところだ。お前以外からも話を聞いておきたいからな」
私の言葉に同意しながらマリウスは口元を歪めて不敵な笑みを浮かべる。そして私に先に学校に戻るように促した。
一緒に戻るところを見つかると面倒な事になるのは分かり切っているので、私はその言葉に頷きマリウスに背を向けて歩き出す。
「ん? ちょっと待て」
何故かすぐに呼び止められた。
結界は変な効果があるだけでその出入りに制限はないはずなのにどうしたのかと首を傾げつつ振り返るとマリウスの足元にハンカチが落ちている。それは以前ここで拾って今はお守り代わりにしている天族の羽を包んでいたものだ。
体を屈めマリウスがハンカチを拾い上げると小さな羽がはらりと落ちた。
「羽?」
ふわふわと舞うように落ちる羽にマリウスが手を伸ばした。
マリウスの長い指先が羽に触れた瞬間、羽から閃光が溢れる。
目を閉じ光の洪水をやり過ごすし、瞼の裏で光が収まったことを感じてゆっくりと目を開くと、マリウスが手の中で光を失っていく羽を呆然と眺めていた。
「なんだコレは」
「前に拾った天族の羽よ。ほら、精霊の森で一度見てるでしょ?」
「ああ、あれか」
「ヴィルにちょっと手を加えてもらって、程よく精霊除けができるようにしてもらったの。メガネがなくても平気なようにね」
「なるほど。どうりで交流会の時平気そうだったわけだ。まあ平気なら平気で便――いや、いいことだと見守ることにしたんだが。しかし何故光が……」
「ちなみに今まで光ったことなんてないわ」
私が触っても羽が光ったことは一度もない。
聖女に無反応で従者に反応したと考えるべきか、マリウスの魔力に反応したと考えるべきか。そもそもヴィルにしてもらった細工が原因ということも有り得る。
「エフィーが触っても反応しなかったのなら共鳴とは考えにくい。天族も浄化の力を持っているはずだからな」
「うーん、やっぱりヴィルの力が?」
「さあな。俺の力も神に関係するものに間違いはないからな。反発してもおかしくはないが……あれだけの光ならいざという時に目くらましには使えそうだ」
マリウスは羽を丁寧にハンカチで包み直して差し出し、私はマリウスの考える羽の使用方法に思わず口元を引き攣らせながら受け取った。
「ありがとう。それじゃあ先に戻ってるわね。……マティアスのこと、夜にでも教えて」
「ああ。だが話せることは少ない。期待はするなよ」
「……わかった」
ひらひらと手を振りながら振り返らずに言えばマリウスの声に溜息が交じる。その言葉が意味することを考えて、ぐっと手を握りしめる。
答えた声には辛うじて震えてはいなかったはず。
学校へと続く坂道まで戻り、マリウスの姿がないことを確認して一気に坂を駆け上がる。
人の目があるので全力には程遠いけれど、私の心臓はバクバクと嫌な音を立てていた。
話せることが少ない。
旅から戻った後のマティアスの記録が残っていない。
その二つのことから辿りついた答えだけが、ぐるぐると頭の中を巡っていた。
学校へと戻ると簡単な手続きをして寮へと戻る。
落ち着かないままバタンと扉を閉め、そのままの勢いでベッドに倒れ込んだところで控えめに扉を叩く音がした。
「エフィー。戻ったばかりのところ申し訳ありませんが、少しよろしいですか?」
「リーゼ? 待ってて、今開けるから」
がばりと体を起こし、急いで扉を開く。
そこには胸の前で腕を組み、心配そうに眉を寄せて見上げるリーゼの姿があった。
「何かあった、ようですわね」
「ありました……」
「怪我はないようですわね。あったとしてもエフィーは自分で治してしまうでしょうけれど。それで、何があったんですの?」
再びベッドに倒れ込んだ私をリーゼが覗き込む。私は枕を頭の上に被せてしばらく唸った後、大きく息をついてベッドの淵に座り直した。
リーゼはその間真っ直ぐにこちらを見つめるだけで、急かすことなく私が話すのを待っている。
「色々調べながら孤児院のある村に戻ったんだけど、そこで従者が増えたのよ」
「村で、ですか。まさかエフィーの育ての親であるシスターアンリが……?」
驚くリーゼに私はゆっくりと首を振る。
「では村人のどなたかが?」
再び首を振るとリーゼは可愛らしい眉を寄せ、顎に手を当ててしばらく考え込んだようだが、はっとして顔を上げた。
「まさか……マリウス?」
その言葉にゆっくりと頷くと、リーゼは口に手を当て言いかけた言葉を飲み込んだ。
「どうせみんなに説明しなきゃいけないし、詳しい話は夕食の後にでも集まらない?」
「そうですわね。その時間ですと寮から出るわけにはいきませんけれど……私たちなら見つからずに話をするぐらいは容易いですわね。私達の話もしなくてはいけませんし」
「夕食の時にみんなに集まってもらうようにいわなきゃね」
「それには及びませんわ。ファイロ、アクヴォ、テーロ、ヴェント」
これ以上の説明を放棄した私を責めることなく、リーゼはくすりと僅かに黒い笑みを浮かべ精霊たちを呼ぶ。
窓を開けていないのにふわりと風が吹き、キラキラと霧状の水が舞う。同時に一瞬炎が大きく燃え上がるが一切の熱を感じることも周りに燃え移ることもない。そしてそれらが消え去った後、ヴェントとアクヴォ、そしてファイロが姿を現した。
彼らの派手な登場の陰で、床に伸びたリーゼの影からゆっくりとテーロが姿を現す。
「テーロ、登場が地味」
「派手にする意味がありません」
「それもそうね」
思わず漏らした感想に、テーロは表情を変えることなく答える。
確かにこんな場所で土埃を上げたり岩石落としたりしても迷惑なだけなのでその言葉に同意し頷いた。やろうと思えばファイロのように周りに影響を与える前に消し去ることなどテーロには造作もないだろうなとは思いつつ。
「月が真上に来る頃、寮の屋根に来るように伝えてくださいませ。念のためヴィルには隠蔽の魔法をお願いしますとも。伝える相手はお任せしますわ」
リーゼが微笑めば、真っ先にヴェントが手を上げた。
「じゃあボクは王子様のとこいってくるねっ」
「恐らくアルボと元神官の彼は一緒でしょうから僕はその二人に伝えてきます」
「え。じゃあ俺があの元魔王?」
「おや。ファイロ、怖いのですか? しかたありません、私が一緒に行きましょう」
次々と伝える相手を決めていく中、ファイロの顔が驚愕に染まる。見れば普段は上を向くふさふさの尻尾も今は力なく垂れ下がっていた。
「別にヴィルは噛みついたりしないわよ?」
「ちがっ! そんな心配してなっ……!」
「では一人で行きますか?」
「……テーロと一緒がいい」
もう魔王ではないヴィルを怖がる理由はわからないが、安心させようとした私の言葉にファイロは顔を赤く染めた。けれど続くテーロの言葉に顔色を無くし、テーロの服の裾を握りしめとても素直になる。
やはりヴィルが怖いのだろうな、などと考える私にじろりときつい視線を向けるファイロ。そんなファイロに私は曖昧な笑みを向けた。




