63 村とシスターの秘密
鮮やかな緋が朝の少し冷たい風に揺れる。
私と同じく散歩に来ただけといった軽装で手荷物すら持っていないようだがこの村の人間ではないはず。これほどまでに鮮やかな緋色の髪を持つ人物は、少なくとも私の入学前にはいなかった。
知らず知らずに握りしめる手に力がこもり、手のひらにじわりと汗が滲む。
緊張でカラカラに渇いた喉でごくりと唾液を飲み込んだ。
ゆっくりと、その人物が振り返る。
その人物は眩しいものを見るように目を細め、僅かに口の端を持ち上げた。
「この場合、久しぶり、と言うべきか?」
「マリウス……?」
当然だといわんばかりにマリウスは髪の先を弄びながら、口元だけで微笑む。
だがマリウスと会っていないのは昨日一日だけで、久しぶりなどではない。そもそも私の知っているマリウスの髪は茶色で決してマティアスと同じ赤ではなかった。
「マリウス、その髪はまるで……」
「マティアスのよう?」
「そう……――っ!」
思わずマリウスから逃げるように勢いよく後ずさる。同時に込み上げるように湧き上がった感覚に軽く眩暈を覚え目を細めた。それはリーゼやジークから感じるものと同じもの。
その瞬間、逃がさないとばかりに私の腕をマリウスががっしりと掴んだ。そして空いた右手で自身の左肩付近に触れ、自嘲気味に笑う。
「ああ、今回もか」
「今回も?」
「二百年前と同じ、ということだ」
呟くとマリウスはぐいと袖をまくり上げ、私にそれを見せる。
マリウスの左肩の少し下の辺りにあったのは空色の宝玉。リーゼは左耳、ジークは鎖骨の上あたりに同じものがある。
ほぼ確信していたが、それが間違っていなかったという証がそこにはあった。
「……思いだしたのね」
「思い出したな」
自分を落ち着かせるために大きく息を吐き出す。
それで観念したと思われたのか、とりあえず逃げないと判断されたらしくマリウスは掴んでいた私の腕を解放した。
「最近お前たちが何かおかしかったことと昔は関係があるんだな?」
「聖女で魔王な少女が現れたの。でも確かに昔の事も関係してるわね」
「――は?」
「詳しいことは学校に戻る途中で説明するわ」
少々間の抜けた声の後、マリウスの眉が怪訝そうに寄せられる。
確かに今の言葉では意味がわからないだろう。しかしここが滅多に村人が来ない場所とはいえ、聖女や魔王の話をするわけにはいかない。
幸いかどうかはわからないが私の目的は達成された。フィーネの宝玉は前世を思い出したマリウスに直接聞けばいいだけだ。それについても村や馬車の中で話すわけにもいかないので、早めに村を出て走ってウーアまで戻ればいいだろう。結界を張って防音と魔力による干渉を防げば安心して話すことができる。従者として目覚めたマリウスならウーアまで走るぐらい容易いはずだ。
「とりあえず一旦孤児院に戻って、朝ご飯を食べて村の人に挨拶ね」
「話が見えないんだが」
「あ! そういえばマリウス、髪の色がおかしいと思うんだけど」
「おいこら。自分だけで納得して話を進めるなと教えたはずだが?」
あまり時間がないので急いで用事を済ませてしまおうとしたため、確かに説明不足は明らかだった。それを咎めるマリウスの拳がごつんと脳天に落とされる。もちろん加減されてはいるが痛いものは痛い。痛む頭をおさえつつ、マティアスの時のような説教が始まる気配を感じた私は素直に膝をついてマリウスに謝罪した。
「それでマリウスの髪のことなんだけど……」
「この色は地毛だ。普段の茶色は染めている」
「何のために?」
きっちり今後の予定を説明し、孤児院に戻る途中で私は隣を歩くマリウスを見上げもう一度訪ねてみた。
マリウスはわかりやすく表情を歪めると、自分の前髪をつまんで溜息をつく。
「身内の恥だが――父親が研究を趣味としていて、日ごろから変な魔法薬を作っている。その中の一つに髪の色を変えるものがあるんだ」
「うん、それで?」
「家の周りには畑があるんだが、そこの作物の品種改良にも手を出した」
「うん?」
「何故かカボチャが巨大化し、俺を捕食しようとするようになった」
「え……?」
「しばらくしてどうやら俺の赤い髪に興奮しているらしいということがわかり、それからずっと髪を染めるようになった」
「えっと、それってカボチャを処分すればいいだけじゃない?」
「番犬代わりにもなると、母親がカボちゃんと呼んで可愛がっているからな。飼い主がわかっているのかあのカボチャ、父と母には従順だ」
「えっと、それ本当にカボチャ?」
「残念ながらカボチャだ。――間違いなくカボチャだが、肉食だ」
それ絶対にカボチャじゃない。
だが真面目な顔で語るマリウスにそんなことを言う勇気は私にはなかった。
結局今なら簡単にカボチャを処分することはできるが、それをすれば母親が嘆き、父親がまた面倒な事をするのが分かり切っているのでやる気は無いそうだ。
孤児院では、すでに起きだしたチビたちが洗濯物を干していた。私たちに気づき顔を上げたチビたちの顔が驚きの色に染まる。
「エフィー、そいつは?」
「エフィーお姉ちゃんの恋人?」
「えっ、エフィーに彼氏!?」
一歩前にでたユディトが顔をしかめ、その後ろから覗き込む女の子たちがきゃあきゃあとはしゃぐ。
お客様に向かって失礼な態度をとったユディトと「エフィーに彼氏だなんて世も末だな!」などとぬかしたちびに教育的指導を行い、後ろでにこにこと微笑みながら見守っていたシスターにマリウスを紹介した。
「あらあら、人生に迷って旅に~? 私にも似たようなことがあったわ~」
「シスターも?」
「ええ。若気の至りというか……恥ずかしい話なんだけれど、ちょっと父親と喧嘩してね~飛び出すようにして旅に出た先で戦争仕掛けようとしていた軍を見つけて~八つ当たり気味にぷちっと、ね~」
「ぷちっと……?」
「ありがちな話でつまらないでしょう? ごめんなさいね~」
若干引き攣った笑顔になった私とマリウスを見て、私たちがつまらないと思っていると勘違いしたシスターは口元に手を当てて微笑む。
こっそりマリウスが教えたくれたのだが、戦争を仕掛けようとしていた国では『エルプシャフト・カタストロフ』としてエルプシャフトには触るな危険という教訓ができていて、今はとても友好的な国となっているそうだ。
そういえば、学校で近年急に友好的になった国の話が出た。その理由については変にぼかされていたのだが、まさかシスター絡みだったとは。争いの種を消し去るなんてさすがシスター、素敵すぎる。
「ところで、少々尋ねたいことがあるのですが」
場所を食堂に移し、私の差し出したお茶を受け取ったマリウスは徐に口を開く。
「何かしら~?」
「この村は何という名前でいつできたのでしょうか?」
「村としての名前は無いわ~。私がここに孤児院を作って、気が付いたら集落ができていたというだけよ~。それがどうかしたの~?」
「いえ、ここに村があると自分の記憶になかったので少々気になりまして。それにしても孤児院を中心に村ができるというのは珍しいですね」
「そうね~。それはこの場所だから、ということもあるわね~」
「ああ。あの丘ですか」
「ええ~」
「丘?」
一見に穏やかな様子で会話は続く。だが両者とも腹の探り合いをしているといった印象を受ける、そんな会話だ。
そしてマリウスが発した丘という単語に反応した私にシスターは不思議そうに首を傾け、マリウスは何を言っているんだとばかりに眉を寄せた。
「も、もちろん妙に落ち着く場所だとは思ってたわよ?」
「そうね~。この辺り一旦にしばらくいると、不思議とギスギスした悪い子も落ち着いて良い子になるのよ~」
「それは興味深いですね。ではこの村に手練れが多いのも?」
「それは丘は関係ないわ~。私が教育したからよ~」
感心した様子で相槌を打つマリウスにふふんと胸を張るシスター。
全然気づいていなかった丘の怪奇現象に驚きを隠せない。その怪奇現象の原因はまず間違いなく私の探し物であるアレだろう。
シスターは恥ずかしそうに頬を染め、僅かに目を伏せる。そして言葉の続きを待つ私たちに、
「今だから言っちゃうけれど、私、こう見えて勇者なの~」
――と、特大の爆弾を投下した。




