62 ごろつきと八百屋
そこには小さな村があった。
侵入者を阻むものは腰程度の低い柵しかなく、魔物に攻め込まれればひとたまりもないであろう心もとない柵。
地図にすら載っていないような小さな村なのでこんなものだろうと男は特に気に留めることもしなかった。気づかれないように明かりとなる物を一切使用していなかったこともあるだろう。同行する他の男たちもその村の異常さに全く気付いていなかった。
気づいて引き返していたのなら彼らの未来がガラリと変わるようなこともなかったのだが、もちろん彼らがそのことに気づいたのはもう彼らのこれまでの日常に二度と戻ることがないと知るのと同時である。
「うん、相変わらずね」
浮遊と隠蔽の魔法を展開させふよふよと上空を漂いながら、村の様子を窺う。
続々と村へと侵入してこようとするごろつきたちは全く気付いていないようだが、彼らはすでに包囲されている。ある者は建物の死角、ある者は魔法によって姿を隠して。
もちろんその姿が私から見えるわけではないのだが、人や魔物が隠れているというのは大体わかる。フィーネは私ほど感知できていなかったので聖女の勘というよりは野生の勘というべきか。どちらにせよシスターによる教育の賜物である。
先頭の男が柵を越え、一歩村の中に踏み込んだ瞬間。男の足元に小さな光の輪が広がり、男はそのままの体勢でぴたりと動きを止めた。その様子を不審に思ったであろう仲間たちが固まった男を取り囲む。しかし一瞬見えた動揺はすぐに消え、彼らは身構え辺りの様子を窺う。
一瞬視線を集め、彼らの動揺を消したその男がリーダーなのだろう。魔境などと物騒な名前で呼ばれているらしいこの村にわざわざやってくるのだけあって、最低限の統率は取れている集団のようだ。
そこへ音もなくゆらりと空気を揺らし姿を現した人物が一人。 闇に溶けるような飾り気のない漆黒の服に身を包んだ壮年の男だ。その男に気づいたごろつきたちは一様に息を飲んだ――ように見えた。
面白そうなのでさらに魔法を展開しあちらの音が聞こえるようにして静かに傍観を続ける。
「マ、マクドック!? どうしてお前がここにっ……!」
「マクドックってあの森閑のマクドックか!? 」
黒ずくめの男がマクドックさんであると気づいたごろつきたちに緊張が走る。
ちなみにマクドックさんは普段はどこにでもいそうな八百屋のおじさんであるあのマクドックさん本人で、昔は若気の至りで少々やんちゃだったと良く笑って話していた。
やんちゃだったマクドックさんが何をしていたのかは知っていたが、シスターのような二つ名があったというのは初耳である。
「おや、俺を知っていてくれるだなんて光栄だね。だが今は善良な一村民、この村で八百屋を営むマクドックさんだ」
「この村で? たしかに森閑のマクドックは十五年ほど前に魔境に挑んで帰ってこなかった一人だが……まさかそのまま住みついていたのか!?」
「ああ。以前の家業からは足を洗ったのさ。なかなかいいところだぞ、ここは」
「ふんっ、十年以上前に足を洗い腑抜けた今のお前は脅威ではない!」
「まぁお前さんたちから見ればそう見えるだろうなぁ」
煙草でもふかしていそうなほどのんびりとした様子でマクドックさんが答えれば、血気盛んなごろつきの中でも比較的若い男が仲間の制止も聞かずに飛び出した。
「若いねぇ」
ふっとマクドックさんが笑ったような気配がして、瞬時にマクドックさんが纏う空気が変わる。
ごろつきの青年は手にした大ぶりの獲物を振り下ろすが、獲物はマクドックさんを切り裂くことなくするりとすり抜け青年は愕然とした表情でマクドックさんを振り返る。
――どうせならちゃんと見たかったので遠見の魔法も展開してしまった。さすがに今の状態ではこれ以上の魔法の展開は無理そうだが、今回私はただの傍観者なので問題はないだろう。
「ちっ、お前じゃ無理だ! 野郎ども、全員で一気にやるぞ!」
頷き一斉に飛び出すごろつきだち。一瞬マクドックさんが鋭い視線のままこちらを見上げてギクリとするが、ふっとその視線は緩められ逸らされる。
その場に静かに風が吹きぬける、ただそれだけだった。聞こえるのはごろつきが一人、また一人と倒れる音のみ。そしてほんのわずかの時間でその場に立つごろつぎは三人だけとなった。
「くそっ、散れ!」
リーダーらしき男が叫び、ごろつきが三手に別れ走り出す。マクドックさんは追いかけることなくその背中を見送ると、転がっている男たちを手際よく縛り上げ纏う空気を普段のものへと戻した。
「お、リーダーの男は孤児院へ向かったか。シスターか子供を盾に取る気だろうが……ご愁傷様としか言えないな。そうだろ? エフィー」
再びこちらを見上げ、いつの間にか本当に咥えていた煙草をふかしながらマクドックさんが笑う。
本気で隠れていて敵認識されると厄介なので隠蔽はほどほどにしていたとはいえ、やはり気づかれていたらしい。
「やっぱり気づいてたんですね」
「そりゃあね。いやぁそれにしてもこんな短期間でそんな魔法が使えるようになるなんて驚いたよ」
魔法を解除して降り立った私をマクドックさんは人の良い笑みを浮かべ迎えてくれた。
もちろん魔法自体は学校へ行く前から使えたが、村では魔力はあるが拳で戦うタイプだと認識されていたし、隠していたこともあるので今更訂正するつもりもない。
「こっちも驚きました。森閑のマクドックって何ですか、森閑って」
「恥ずかしい話だが、音もなくさくっとやるって意味らしい。あ、ナックには言わないでくれよ?」
「わかりました。ところでさっき何か光った様ですが……」
「あぁ、これかな」
マクドックさんが唯一使えるという魔法で生み出された淡い光がマクドックさんの手元を照らし出す。その手にはいつの間にか小さなナイフが握られていた。
「若いころからの愛用品でね。これを仕込んでいないと眠れないんだよ。職業病ってやつだね」
暗器と呼ばれる小さなナイフを弄びながらマクドックさんは照れくさそうに笑う。一見するとナイフがマクドックさんの手元で現れたり消えたりしているようで面白いのだが、若いころからの愛用品ということはかなり物騒な代物である。彼が元暗殺者であったという過去を考えればその使用目的は言うまでもないだろう。
そんな物騒な職業ををやんちゃで済ませるシスターとマクドックさんはかなり特殊だが、私も村の外に出るまでおかしいと思ったことはなかったのだから似たようなものか。
「リーダーはともかく他の二人が向かったのは……」
「フォン爺さんとフリオールの家の方向だな」
「――ですよね。ということはそろそろ……」
「だろうな」
ぷかり、と暗い空にマクドックさんが吐き出した白い輪が浮かぶ。それとほぼ同時に、村の二カ所で爆音が響き渡った。
フォン爺さんは元国勤めの錬金術師で趣味で常に何やら怪しい薬を作っている。元錬金術師という研究職のフォン爺さんだが、数々の薬品の実験と称して一人で山賊を壊滅させたという武勇伝がある。
フリオールさんは少々ヘタレ気味な自称元冒険家だが火球を生み出す魔法に特化していてその火力は山一つ焼き払うだとか。それを以前住んでいた国でやらかしてドラゴンの仕業と勘違いした国に退治されそうになったらしい。
実際子供以外大半の村人がこの周辺で気配を殺して様子を窺っているのだが、二人が自宅にいる理由は周りに被害を出すタイプの戦い方だからであり、今回のような場合は基本的に自宅待機となっている。ほとんど自給自足の暮らしを送るこの村では家畜や畑に被害が出るのが一番好ましくないからだ。
「今回は久しぶりに被害がでたか……」
「でもあの二人の家って時々爆発しますから大した問題でもなさそうですよね」
「身も蓋もない言い方になるが……多い時は週に一度やらかすからな」
「変わりないようで安心しました」
「それよりエフィー。そろそろ孤児院に行ったほうがいいんじゃないか?」
「そうですね。もう終わってるでしょうから行ってきます」
マクドックさんとの会話を切り上げ、辺りを見回す。
「それでは。また明日ご挨拶に行かせていただきますね」
小さくその場で頭を下げ孤児院へ向かう。その後隠れていた気配がそれぞれの家へと向かっていくのを感じながら先を急いだ。
「ねえシスター、これどうするの?」
「もちろんいつもの様に教育的指導をするのよ~」
深夜で明かりもほぼついていない孤児院からその場に似つかわしくない賑やかな声が聞こえる。やはりごろつきは問題なく対処されていた。
「あら~」
「……何しに来た」
「なになに?」
まだ孤児院までの距離は十分にあったし足音だって消していたのだが、シスターとユディトは気づきこちらを振り返った。まだ私に気づいていないチビたちは疑問の声をあげる。ユディトはそれに答えず、たんっと地面を蹴って一気に私の前へと駆け寄った。
「ただいま」
「おかえり――じゃなくて、なんでエフィーがいるんだよ。また何かやらかしたのか?」
「いいことしたご褒美に休みをもらったから戻ったのよ。色々あってごろつきを見かけたからちょっと遅くなったけど。あとちょっと調べたいこともあったからね」
「ふーん……」
胡散臭そうに私を頭の先からつま先まで眺め、「まぁいいや」とユディトは話を切り上げた。
チビたちが待っているからと急かされシスターたちの元へ駆け寄るとチビたちがべったりと足元に張り付く。みんな私を笑顔で迎えてくれ、つられて私も笑顔になり心はポカポカと温かくなる。
深夜ということもあり、その日はそのまま大部屋でチビたちに囲まれながら幸せな眠りについた。
ちなみにごろつきたちはシスターに引きずられ、村のはずれに向かったらしいがその後何があったのかはわからない。わかっているのは数日後には村に新しい住人が増えているということだけ。
夢を見ることもなくぐっすりと眠り、明け方誰よりも早く目が覚めた私は朝の散歩と洒落こむことにした。
朝靄が立ち込める中、入学して以来訪れていないお気に入りの場所に向かう。朝靄など滅多に発生しないからか、今朝は鳥の声さえ聞こえない。しかし特に嫌な感じがするわけでもないのでそのまま向かう。
辿りついたその場所にもうっすらと朝靄が立ち込めていたのだが、そこにはこの村では見かけたことのない緋色の髪を持つ人物がいた。




