59 二人の宝玉
「僕はこの後用事があるから失礼するよ」
などと言い残してジークが無駄な爽やかさを発揮しつつその場を後にしてもなお、マリウスは依然として難しい顔をしたままだった。
蓋が開きかけた前世の記憶をそうとは認識していないことによって、マリウスは内心かなり混乱しているのだろう。
すぐに混乱の原因が自分の前世の記憶だと考える人間は少々思考回路に難があると思う。そもそも記憶は断片的すぎて、変な夢を見たか過去にあった似たような何かを勘違いしていると考えるほうが自然だ。根が真面目なマリウスなら尚更だろう。
ちなみに私の場合はシスターに拾われたのとほぼ同時期に前世を思い出した。
それ以前にリーゼやマリウスのようにおぼろげに思い出すこともなく、突然すべてをだ。それはそれで幼少期で柔らかくはあったが優秀とはいい難い頭に大層な負担がかかり、結果三日三晩高熱にうなされた。
リーゼの場合、記憶の蓋は開きかけていたとはいえアルボによって強制的に全開にさせらている。その反動でしばらく前世の記憶に引きずられてリーゼロッテが君臨したわけだが、このままジークによってマティアスの記憶が戻ればマリウスにも同じことが起きる恐れがある。
――――二度目の人生、終わるかもしれない。
マティアスはとにかくフィーネに容赦がなかったのだ。
常識のない馬鹿な行動をした時など、最初こそ丁寧な物言いではあったが旅を続けるにつれ言葉は辛辣に、時には脳天に拳が振り下ろされる。そして涙目になったフィーネをジークムントが慰める、という一連の流れがお決まりの日常だった。
純真培養されたフィーネが口でマティアスに勝てるわけもなく、今の私だってマリウスに口で勝てるはずがない。――つまり、怒らせると怖い。精神的苦痛が大きすぎる。それだけでなく、マリウスの私の扱いを考えると拳で語られることになってもおかしくはない。
自分の少し先の未来を思い、遠い目をした私に救いの手が差し伸べられた。
「マリウス、交流会の疲れが出たのでは? 交流会で一番仕事をしていたのはマリウスですし、今日は早めに休んだ方がいいと思いますわ」
「……そうだな。そうさせてもらおう」
リーゼが心配そうにマリウスに声をかけ、マリウスは難しい顔をしたままではあったがその言葉に素直に頷く。
窓から差し込む柔らかなオレンジ色の光を背に受けたリーゼは教会に飾られている絵画の天使のようだ。一時的な時間稼ぎにしかならないかもしれないとはいえ、私の窮地を救ってくれたのだから女神というべきだろうか。いや、リーゼが天使だから私を助けてくれたということなのか。
そう考えているあたりジークの思考に毒されているような気がしないでもないが、とにかくこの状況からの解放はありがたい。
「……エフィー、何故私が拝まれているんですの?」
「あはは。多分、今フィーの思考回路が限りなくジークに近づいているから、かなぁ」
思わず手を組んで膝をついていた私を若干引き攣った顔でリーゼが見つめる。
私が答えるより先に、ヴィルがくつくつと笑みをこぼしながら私の心を読んだかのように正確に私の状況を説明した。
「エフィー、治るまで私の半径三メートル以内には近づかないでくださいませ」
「これって病気扱いなの……?」
「身の危険を感じるための処置ですわ。さすがに殿下にはできませんけれど。……ああいった方は一人で十分ですもの。二人に増えたら対処できませんわ」
「確かにジークは身分が身分だからね……」
そう溜息をつく様子から、ジークの高すぎる身分にリーゼが苦労していることがよくわかる。
リーゼは貴族だから私たちよりずっと面倒な事を多く抱えているのだろう。
「はぁ。とりあえず先に戻らせてもらう。明日は交流会の報告会があるから授業後またここに集まってくれ」
「了解。そうだ、少し話があるから後で部屋に行くよ」
「わかった」
ゆらりと体を揺らして立ち上がったマリウスにヴィルが軽く手を上げて答える。
マリウスは小さく頷くと再び溜息をついて部屋を後にした。
「疲れてるわねー……」
「記憶が戻るように揺さぶられるのは色々負担がかかりますもの。私も深く眠っていましたし、それにその後は――」
疲れを隠せない背中を見送った後、ぽつりと零れ落ちた言葉にリーゼが手を頬に沿えて目を伏せた。
どうやらリーゼにとってもリーゼロッテ降臨は好ましくない出来事であったらしい。
「ところでマリウスの記憶が戻ったらまたあの教会に行くつもり?」
「そうですわね、記憶が戻らなくともあの台座に埋め込まれた物騒な欠片は早く回収するべきですわ。蓄積された力をエフィーが浄化した以上、あの魔王がすぐに奪いに来るとは思えませんが絶対にないとも言い切れませんし。なによりまたあの欠片は神官たちの力をじわじわ吸収しているのでしょう?」
「物騒だなんて心外だな。早く回収した方がいいというのには同意だけれど、力を吸い取る心配はないよ。魔力を蓄積させる効果そのものが浄化されているから、今のアレはただのヴィルフリート、つまり前世の俺の欠片に過ぎない」
「仮にも魔王だった人間が変化した宝玉の欠片がただの、っていうのはちょっとどうかと思うわ。精霊の森の磁場の原因なんだし」
「そうだね」
ヴィルの説明から考えると、神器自体に何かしら魔法の力が働いていた。宝玉自体に魔力を集める力があるわけではなく、魔力を蓄積する効果に優れているだけだが魔王の魔力は聖女以外には感知しづらいので隠蔽にはもってこいだったということだろう。
「フィーネもヴィルフリートもどちらも普通とは言い難い存在ですもの。その宝玉も普通では――」
私の言葉に頷いたリーゼだったが、そこではっと息を飲んだ。
「フィーネの宝玉も悪用されていたり、精霊の森のように怪奇現象を起こしている恐れがあるのでは……」
「ちょっと待って。フィーネは一応伝説の聖女という扱いなんだから、宝玉がある場所はサンクチュアリとして崇め称えられてるとかじゃないの?」
「俺は聖域と呼ばれている場所に心当たりはないな」
「あっ! そういえばリーゼはフィーネの宝玉のある場所がどこか知ってるのよね?」
がばりと顔を上げリーゼに身を乗り出すようにして尋ねると、リーゼは視線を落として首を振った。
「残念ながら知りませんわ。マティアスが静かに眠らせてあげたいといって一人で安置しましたから。もちろん私やジークも落ち着いてから教えてもらう予定でしたけれど……」
「その前にマティアスが?」
「ええ、姿を消しました。その頃私たちは立場上極秘で出かけるということが難しい立場になっていましたし、姿を消す前のマティアスが祈りは天へと届くと言っていたこともあって無理に探すことはしませんでした」
「わかっているのはフィーネの好きだった丘、ということだけ?」
「ええ。けれどフィーネはどこの丘でも風が気持ちいいとはしゃいでいる人でしたから、残念ながら丘というだけでは……」
二人の視線が向けられ、ふとフィーネを思い出す。
確かにキャッキャウフフと丘の上ではしゃいでいた思い出したくない心の奥底に仕舞い込んでいた記憶。
あの頃は吹き抜ける風が心地よく、そこから見える景色に心癒されていたものだ。考え事をしたい時などはこっそりと宿を抜け出して一人で丘に行ったりもした。どこの丘が一番好きということもなくとにかく丘という場所が好きだったため、フィーネの記憶を持っていてもマティアスが宝玉を安置したという丘に心当たりはない。リーゼロッテやジークにその場所がわからなかったというのも当然といえば当然だ。
「マリウスが思い出してくれれば話は早いのですけれど」
「丘というだけで探すとなると大変だろうね。二百年の間に地形が変わっている場所だってあるし」
「ヴィルのものほど周りに影響を与えているとは思えませんけれど、もし魔王側の手に渡れば悪用されないとも限りませんしフィーネの宝玉も探しておいた方がいいですわね」
「でもとりあえず教会にある欠片の回収が先よね」
「ええ、そうですわね」
そろそろ寮に戻らなくてはいけない時間となり、そこで一旦話を切り上げ部屋を出る。まだ眠っていたアルボはヴィルが背負ってマリウスの部屋まで届けることとなった。
「力が垂れ流されることによる影響……大量ならすぐわかるだろうけど微量だと難しいわね。精霊達も感知できていないのよね?」
「ヴェントに確認しましたけれど、特に気づいたことはないそうですわ。次の休日一度実家に戻って怪奇現象が起きている場所がないか調べてみますわ。噂程度でも何かわかるかもしれませんし」
「俺も力を探ってみるよ」
「お願いしますわ」
「私は……」
三人の後ろを歩きながら、人に聞かれても大して問題はないであろう言葉を選んで尋ねる。
浄化の力が強く働いていれば精霊にとって居づらい場所になるだろうと思ったのだが、ヴィルフリートの宝玉の欠片同様に感知しづらい状態であるらしい。
私に何かできることはないかを考えてみたが、ヴィルのように感知することは難しいし、当たり障りのないことだけだとはいリーゼのように国の内情を知ることも難しい。
「エフィーはあの力を感知するのは得意ではありませんし。けれどもしかしたら私たち同様、その力を心地よいと感じるかもしれませんわね。今までに何かそういったことを感じた場所はありませんの?」
「そう言われても……布団の中とか? あとは孤児院も心地よかったわね」
「布団は論外として孤児院も長年過ごしたエフィーの大切な場所ですから、今回の事にはあまり参考になりそうにはありませんわね」
「そうね、私もそう思うわ」
前世の自分の宝玉だというのに、残念ながら私は役に立てそうにはない。
三人と別れて部屋に戻った後は夕食までの間、私は私にしかできないフィーネの記憶をだどることにした。
結局マティアスが宝玉を安置した丘につながることは思い出せず、一方のマリウスは気分が悪いから夕食は遠慮しておくと学食へは来なかった。




