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58 マリウスの憂鬱

「アレをどうにかしてくれ」


 それは交流会も終わり学校内も少し落ち着きを取り戻した頃。

 授業終了を知らせる鐘が鳴り、私とリーゼが教科書などを鞄に詰め込んでいる時だった。


 私たちの後ろに座っていたはずのマリウスがぐるりと前に回ると、ドン、と机に片手をつきリーゼに詰め寄る。手を止めマリウスを見上げたリーゼはあからさまに眉をひそめた。


 リーゼにどうにできそうなアレと言われてまず最初に思いつくのはアルボだが、そのアルボを振り返ればリーゼの向こう側でどこか遠くを見つめている。机の上に何気なく乗せているアルボの手の近くから、ぴょこりと小さな芽が生えていた。


「アルボ、机に力吹き込んじゃダメだって」

「えー? ……あー、ホントだ……」


 木属性の精霊だったアルボはとにかく植物との相性がよい。無意識のうちに僅かに流れた魔力の影響で机に芽が生えてしまったのだろう。

 ちょいちょいと指を指して教えれば、アルボはそこで初めて気づいたようでふっと芽に息を吹きかける。 するとしゅるしゅると芽は縮み、あっというまに消えてしまった。今の動作で送り込んでいた魔力を霧散させたのだろう。


 しかしマリウスのどうにかしろというのは今の木の芽のことではないはずだ。

 確かにアルボがやろうと思えばこの教室中の机から立派な木を育てることも可能だろうが、何よりアルボ本人にやる気というものが見当たらない。相変わらずシスター以上に間延びした話し方は健在で、それがさらにやる気が無さそうに見せている。やる気以前に私が声をかけた時点で解決されたのだから大した問題でもない。

 アルボでなければ思い当たるの問題はただ一つ。


「どうにかしてほしいのってジーク?」

「ああ」

「――ジーク殿下を?」


 尋ねればマリウスは苦々しい顔で頷いた。ジークの名前がでたことでリーゼはより強く眉を寄せ、眉間に深い皺を刻み込む。しかしマリウスはそれよりもっと深い、私が今まで見たこともないほどに深い皺をその眉間に刻んでいた。


「仮にも婚約者だろう?」

「仮でしかありませんわね」

「とにかくアレを何とかできるのはお前だけだ」

「ですから、殿下がどうしたと……」

「お前が愛を囁きでもすれば俺は解放されるはずだ……!」

「意味が分かりませんわ」


 何やら切羽詰った様子だが要点を得ないマリウスに、リーゼは怪訝そうに目を細める。


「二人とも、話なら場所を変えた方がいいと思うんだけど」

「――そうだな。では少し付き合ってもらうぞ、リーゼ」

「え? ちょっとマリウス……!?」


 さっさと荷物をまとめたヴィルは鞄を手にマリウスの隣に立つと、のんびりとした様子で周囲を見渡しながらマリウスとリーゼに声をかけた。

 確かに不本意ながら私を含めた五人はクラスでも目立つ存在であり、その目立つマリウスがリーゼにただ事ではない様子で詰め寄ったとなれば注目を浴びるのも当然だろう。

 ヴィルの言葉で現状に気づいたマリウスはリーゼの手を取り、引きずるようにして教室を後にした。


「――余計に目立つと思うんだけど」

「うん。でもとりあえず、リーゼの荷物を持って追いかけようか」

「そうねー……何だか面倒な予感しかしないけど」


 机の上に放置されたリーゼの鞄に急いで荷物を詰めて立ち上がる。

 アルボがうとうとと舟を漕いでいたので叩き起こし、首根っこを掴んで引きずりながらマリウスたちがいるであろう第三会議室へと向かった。


「……眠い……」

「アルボ、夜ちゃんと寝てる?」

「ぐっすりと寝てると思う」

「そういえばヴィルとマリウスとアルボの三人で同室になったんだっけ」

「うん。さすがにマリウスだけだと大変だからってクルト先生が。夜寝たら多分何をしても起きないと思うよ」

「教会でのことといい、さすがにちょっとおかしいわね」


 アルボは引きずられながらもまだうとうとしている。その様子に酷く違和感を感じた。

 教会での一件の時もそうだ。本来なら全力でリーゼを守っているであろうあの場面で、アルボは物陰ですやすやと眠っていた。リーゼを姫と呼び、鬱陶しいほどに全力で愛を注ぐ精霊達の一人であるアルボが、だ。


「半分人間になった影響と考えるのが妥当よね」

「だろうね。リーゼに確認をして、その後クルト先生に相談してみたほうがいいかもしれないな」

「……そうね。先生は精霊に詳しいだろうし」


 すっかり忘れがちだがクルト先生は守護精霊を持つ優秀な魔術師だ。しかも今は主流になっているという魔石を使った契約ではなく、忘れ去られた本来あるべき形の契約を交わしている。

 精霊にも魔石にも詳しいであろうクルト先生なら何かわかるかもしれない。リーゼと先生を交え一度話をしてみた方がよさそうだ。


「魔法で防音してるわけでもないのにやけに静かね?」

「まぁ音は聞こえないね」

「音だけね」


 第三会議室の前にたどり着いた時、そこは驚くほどに静かだった。

 内部に感じる気配は三つ。マリウスとリーゼと恐らくジークだろう。

 ため息交じりに扉を上げると、模造剣でマリウスに切りかかるジークとその剣を両手で挟んで受け止めているマリウスの姿があった。意味が分からない。

 ちなみにリーゼは窓から空を見上げ黄昏ている。


「アンネと仲良く手を繋いで来るなんて、妬けちゃうなぁ」

「逃げないように連れてきただけだ……ジークが考えるような意図はない」


 交わされる妙に力の入った声。

 さすが前世が肉弾戦担当だったからかジークはまだまだ余力があるようで、じりじりとマリウスが押されていた。

 

「ジーク、さすがに剣を持ち出すのは危ないんじゃない?」

「みねうちだから当たっても大丈夫だよ」

「模造剣とはいえ両刃だろうがっ」


 ジークは一層力を込め、マリウスも負けじと踏ん張る。両者真剣だが傍から見るととても間抜けな姿だ。


「リーゼ、いつまでたっても話が聞けないから……」

「はぁ、仕方ありませんわね」


 このままでは長引きそうなので、手っ取り早く事態を収拾するための手段にでることにした。

 リーゼに耳打ちして二人の、主にジークの注意を引くための作戦を伝える。


「――理想ですか? そうですわね、落ち着いた大人の方、でしょうか」

「一緒にいて安心できるっていいわよね」

「ええ。立場もありますから、あまり直情的では困りますわね」

「笑顔を絶やさず物腰柔らかな大人って素敵よね」


 少々わざとらしいとは思うが、思惑通りにジークの動きはぴたりと止まった。

 カランと音を立てて剣が床に落ちる。

 ぎぎぎ、と首だけを動かしてジークとマリウスが振り返ると恐る恐るといった様子でリーゼに尋ねた。


「アンネ、それはつまりヴィルのような……?」

「俺?」

「その条件ならクルト先生も当てはまる。何より先生は大人だ」


 ジークは驚愕の表情でリーゼに詰め寄り、突然巻き込まれたヴィルは困ったように眉を下げた。

 制服を手で払いながらマリウスが先生の名を出せば、今度はヴィルが私に窺うような視線を向ける。マリウスの口の端が僅かに持ち上がっていたので意図的に私を巻き込んだのは間違いない。おのれマリウス……


「マリウス、何か話があったんじゃなかったの?」


 ヴィルの視線から逃れるようにマリウスに尋ねると、マリウスはジークを横目で見ながら大きく溜息をついた。やはりマリウスの言う問題とはジーク絡みのことらしい。




「つまり、ジークに付きまとわれて困っている、と」

「ああ」

「殿下、何をなさったのです?」

「えー? ちょっとマリウスが行く先々に先回りしただけだよ」

「どうして俺の行動がわかるのかはわからないが、校内や寮の行く先々、そのすべてにな。図書館で椅子の下から生えてきた時は反射的にやりかけた」

「……殿下」

「ちょっとした悪戯心だよ」


 マリウスが神妙な顔でどこでどのようにジークが待ち伏せていたかを語っている間、椅子の足の間からにゅーっと出てきたジークを想像して思わず噴いた。もちろんマリウスに睨まれたのは言うまでもない。

 リーゼの冷たい視線を受けて、ジークはコホンと咳払いして表情を引き締めゆっくりと口を開いた。


「とにかく、せっかく知り合ったのだから仲良くしたいと思ってるんだよ。僕の立場が立場だから、本当に友人として付き合える人は少なくてね。――はっきり言って、友人に飢えているんだ」


 最後の一言で、マリウスのジークを見る目が可哀想な子を見るそれへと変わる。

 ジークの意図はよくわからないが、自虐的とはいえマリウスの気を引くという点は成功していた。


「マリウスとはいい友人になれそうだから。実際に君は僕を学校の先輩だとしか見ていない。ちゃんとそれなりの態度はとれるけれど、僕が王族だからという理由でむやみに敬ったり媚びたりもしないだろう?」

「権力には興味がない。仲間だから普通に話せと言ったのはジークだろう?」


 ジークは机に腰掛けて足を組み、口元に笑みを浮かべながら前に立つマリウスを上目使いに見る。


「うん、君は昔からそうだよね。最初に僕と会った時だって、『王族だろうが勇者だろうが関係ない』だったし」

「当然だろう。俺は国に仕えていたわけではな――……」


 くすくすと笑うジークにマリウスは呆れたように答えながらその違和感に気づいたのだろう。困惑した様子で口元を手で覆い言葉を詰まらせた。

 考え込むマリウスを見てジークは笑みを深くする。

 アルボは日の当たる席で昼寝をし、ヴィルは会話に加わる気はないようでアルボ隣に座ってこちらを眺めていた。


「エフィー」

「……うん」


 小さくリーゼが私を呼ぶ。

 その言葉は私とリーゼも知っている。


 それは二百年前、三人が初めて顔を合わせた時に交わされた会話であり、私の知る限りそのような会話をマリウスとジークが交わしたことはない。確かその言葉の続きは『俺は聖女のためにここにいる』だったはず。ただ、三人が顔を合わせその会話が成された時フィーネはその場にいなかったので、後になってリーゼロッテに教えられたて知っているというだけだが。

 マリウスの記憶の蓋も、以前のリーゼ同様開きかけている。ジークは揺さぶりをかけてその蓋をこじ開けるつもりに違いない。

 どうしたものかと視線を彷徨わせた私と目が合ったヴィルは、我関せずとばかりににこにこ微笑むだけだった。

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