56 身近な魔王様
「ヴィル、傷を見せて」
一刻も早く宿に戻る必要はあるがまずはヴィルの傷の手当が先だ。振り返った私と目が合うと、ヴィルは申し訳なさそうに眉を寄せる。
「闇に一瞬意識を持っていかれかけたから落ちちゃったけど、本当に大したことはないよ。あれは傷口から侵入して相手を操る類の魔法で威力は弱いし、魔法自体は肩をかすめただけだから」
確かに肩から流れ落ちる血は痛々しいが、今すぐ死に直結するほどの大怪我ではないし、毒や魔法の影響も今は見られない。
小さく息をつき、傷口に手をかざし呪文を唱える。生み出された淡い光が傷口を照らすとみるみる傷口が塞がっていく――はずだった。
予想もしていなかったその光景に思わず目を見張る。
「目がっ!!」
「エフィー!?」
まさに自滅。
私が生みだした光は突如その輝きを増し、強い光は閃光となって見開いた私の目に焼き付ついた。戸惑いの声を上げたリーゼは咄嗟にジークがその背中に隠し難を逃れたようだ。
聖女としての力を完全に解放しているからか、神聖魔法の加減を間違えて必要以上に大きな力を発揮してしまったらしい。普段でも力を解放した今でも浄化の力は問題なく扱えるが、他の魔法は勝手が違うようだ。
そもそもフィーネは常に聖女の力全開であったので気にしたこともなかったが、確かに今の状態は魔力そのものが上がっているのだから不思議ではない。これは早急な対処が必要だ。
「うん、肩こりまですっきり」
「ジーク、じじくさい」
「あはは、王子っていろいろ大変なんだよ。これぐらいは大目に見て欲しいな。それより神器が大変なことに」
「え?」
首を左右に曲げて右の肩をほぐす様にぐるぐると回すと、ジークは王子らしからぬ発言をする。
一方神器には重大な問題が起きていた。神器の中心にある黒い宝玉が変色していたのである。闇を彷彿とさせる深い黒が跡形もなく消え去り、今は爽やかさすら感じる明るい水色となっていた。
「神器も気になりますが、今は早く戻りませんと。アクヴォが切実に助けを求めていますから……」
アクヴォと感覚を繋げているリーゼはぶるりと体を震わせる。
きっとアクヴォが直面していると思われる、マリウスが発する冷気を感じ取っているのだろう。
マリウスを包んでいた闇を消したという光。ヴィルの闇を消し去ることができる力を持つのは聖女か天族ぐらいだろうが、私もあの魔王の少女もあの場にいたのだからありえない。そう考えると天族ということになるが、わざわざ天族が消したりするものだろうか。
首を傾げつつも聖女の力を抑え、合流したヴェントの力で再び空を駆け抜け宿へと戻る。
神器も気にはなるが、残念ながら見て何かがわかるということもなく今はじっくり調べている時間もない。恐らくもうあの魔王はここにはこないだろうというヴィルの見立てもあり、まずはマリウスの問題をやりすごし、後ほどヴィルから知っていることを聞き、後日ジークがそれとなく神器を確認することとなった。
すっかり存在を忘れかけていたアルボだが、途中から物陰でスヤスヤと寝ていたことが発覚しリーゼに怒られ意気消沈しファイロとテーロに慰められていた。
直接マリウスの待つ部屋に行ってもよかったのだが、戻る際に廊下を通れば護衛の目に着く。再び窓から戻ればいいかもしれないがそれではさらにマリウスを怒らせるだけだと判断し、まず私とリーゼの部屋へと戻り、その後ちゃんと廊下を通り隣の部屋へと移動した。護衛の騎士が涙目だったのは気の毒としかいいようがない。護られる気のない護衛対象ほど厄介なものはないのだと痛感した。
「どういうことか説明してもらおうか」
「えーっと……」
ぎろりと睨みつけられて体を縮こまらせる。
窓から部屋に入ると私とリーゼ、そしてジークはマリウスの前に並んで正座させられた。横目で盗み見れば、ジークとリーゼも肩を竦めている。
ヴィルは完全に眠ってしまったアルボを手際よくベッドに寝かせると布団をかけ、満足そうに軽くぽんぽんと布団を叩く。まるで自分は関係ないとでもいった様子に、マリウスはちっと舌打ちすると再び私たちにその鋭い視線を向けた。
「じゃあ僕が説明するよ」
しかたないなぁ、といった様子でジークは口を開く。
「月が綺麗でね。もしかしたら同じ屋根の下、愛しのアンネも同じ月を見上げているんじゃないかと淡い期待を込めて月を見ていたんだ」
「――は?」
さすが、こういう時は頼りになる! きっと巧みな話術でこの危機を回避してくれるに違いない、そんな期待は早々に消え失せた。
ジークがどういう意図でそんな話をしているのか理解できない。それはマリウスも同様だったようで、訝しげに片方の眉を持ち上げた。
「その時月に影が浮かんだんだ。翼の生えた人の影がね」
「天族か?」
「思わず窓から体を乗り出してその影が行く先を目で追っていたら、隣の部屋の窓からアンネも顔を出していたんだ。さすが心が通じているだけはあるよね。お昼の事もあるし、再び天族が現れたとなると気になるというもの。それでアンネの精霊の力を借りて、少し様子を見に行くことにしたんだ。確かに王子の僕が深夜に出かけるというのは不用心だとは思うけれど、場合によってはこの国どころかこの世界すべてに関わることかもしれない。天族は人の前に姿を現すこと自体が稀だからね、やはり何かあると考えるべきだ。行こうとしたところでエフィーとヴィルも気づいて一緒にいくことになった。君はよく寝ていたから、そのまま声をかけずにいっただけだよ」
早口にまくし立てると、ジークはにっこりと微笑む。
うん、胡散臭い。……というかこの説明はどうかと思う。相手に口をはさむすきを与えないという点ではいいのかもしれないが、内容が酷すぎる。
「ではアクヴォだったか? この精霊がお前のフリをしていたのは何故だ?」
「護衛に見つかったら厄介だからね。それに僕にはアンネやヴィル、それにアンリの教え子のエフィーがいる。もし何者かが襲ってきたとしたらその犯人の命の方が危険だよ。それでもこちらに危害を与えられるような相手なら、残念だけど護衛の騎士がいてもどうにもならないさ」
「それについては否定のしようもないな」
こちらを向いたマリウスと目が合う。すぐにマリウスはジークに向き直るとため息交じりにジークの言葉に同意し、ジークは笑みを深くする。
今の会話で彼らの中で私が危険物扱いだというのは理解した。
確かに賊が出てきてもまず問題なく返り討ちにできる。だがそれは孤児院では全員に自衛のためにとシスターに教え込まれているのであって、ある程度孤児院で過ごしたチビたちならば全員が可能だ。聖女であるという点を除けば私が特別だというわけではない。
もちろん彼らが孤児院に来たことはないので言葉だけではわかってもらうことは難しいのかもしれないが……おかしい。目から青春の汁が垂れてきた。
「で、追いかけた天族はどうなったんだ?」
「教会に忍び込んでいたよ」
「……意味がわからないんだが」
「うん、僕もよくわからない。あの教会には神器があるから、それが関係してるのは間違いないとは思うけれど。すぐに教会から光が溢れて、その光に紛れるようにして消えてしまった。あまりにも眩しくて、残念だけどそこで見失ってしまったんだ」
「神器、ね……」
「本当はちゃんと確認したかったのだけれどね。人も集まってきたし、君に抜け出したことを気づかれたから慌てて戻ってきたというわけだよ」
私とリーゼは項垂れたまま、二人の会話に耳を傾けていた。
標準装備の笑顔のままにいけしゃあしゃあと話を作り上げるジークに、表情を平時のように保つことが難しかったからだ。下を向いたまま、ぐっと唇を噛み締めてジークの話を無駄にしないように耐える。噴き出しそうな私とは違い、リーゼは色々と否定したい衝動を抑えているようだった。
「お前たちの言い分はわかった。時間が時間だからエフィーとリーゼは部屋へ戻れ。話の続きは明日学校でじっくりとさせてもらう」
「うう、わかったわ」
「……ともかく無事でよかった。お前たちの力はわかっているが、世の中絶対大丈夫だということはない。あまり心配させるような真似はするな」
私とリーゼを部屋の入口まで促したところで、マリウスが今までで一番大きな溜息をつき私とリーゼの頭に軽く手を添えた。
「マリウス?」
「ほら、早く戻れ。おやすみ」
「……おやすみなさい」
威圧感たっぷりに自分を呼ぶ声にぴたりとマリウスの手が止まる。そしてぱっと両手を離すと、少しだけ強くぐりぐりと私の頭を押し付け私たちを部屋の外へと追いやった。
ぱたりと閉められた扉の前で、ぼさぼさになった髪を撫でつけながらリーゼと顔を見合わせる。視線をずらすとリーゼの向こうに立つ護衛と目が合い、ぺこりと頭を下げて慌てて自分たちの部屋へと戻った。
「姫、怖かったです……」
「ごめんなさいね、アクヴォ」
部屋に戻るとアクヴォがきゅっとリーゼの腰にしがみついた。
パッと見は小さな子供が抱きついているように見えるが、実際中身は年齢不詳の精霊である。いくら人の常識が当てはまらない存在とはいえ、フィーネの記憶がある私から見れば犯罪でしかない。そろそろ引きはがそうかと思っていると、私より先にファイロとテーロがアクヴォの左右の腕をがっちりとつかみ引きはがす。
リーゼから引き離されたアクヴォの目前に、ヴェントはふよふよと漂うように近づくとアクヴォを覗き込んで首を傾げた。
「アクヴォ、嘘はダメダメ~」
「何を言うんです、ヴェント。直面すればわかりますよ。本当に怖かったんですから」
「ん~。でもどうせばれてるなら、姿を消せばいいだけでしょー? あの人には見えないんだから」
「……確かに、アクヴォがそれに気づかないはずがありませんね」
「え、ちょっと待ってください。あの恐怖の前にそんな余裕は……」
「くっ、アクヴォの裏切り者っ!」
ヴェントの言葉に他の精霊たちがぴくぴくと耳を動かす。
じりじりとアクヴォににじり寄りその距離を縮めていくヴェント以外の精霊たちの目は据わっていた。




