50 交流会5 開演
出演者は衣装に着替え、衣装担当と共に舞台裏で最後の確認をする。
演出の生徒は舞台と客席側とに分かれ、今日の天候も視野にいれた最終確認をしていた。
「エフェメラさん! どこいっていたんですか!?」
「ルナーリア、生理現象ですからあまり大きな声で問い正さないであげてくださいませ」
「――っ、すみません!」
少し遅れてやってきた私の元に、泣きそうなルナが衣装を抱えてパタパタと駆け寄ってきた。
同じタイミングでにこの場に出てきたリーゼに咎められ、ルナは勢いよく頭を下げる。私はごめんね、とルナに謝りながら着替えに向かった。
もちろんこの場から姿を消していたのは生理現象でもなんでもない。
一旦着替えのために裏へと向かった私とリーゼは、主演で他の生徒より衣装の数が多いことやルナ都合で物騒になった衣装の暴発を防ぐため特別に用意された場所へと移動していた。そこは都合よく個室状態であったので、リーゼにヴェントを借りて少し偵察に出ていたのだ。
私はヴェントの力を借りてルバルツの上空にきていた。見上げればすぐに気づかれてしまうので、人目を欺く幻術をかけてある。
日差しは強いが空は青く澄み渡り、遥か彼方には海が広がり空と海との境界が溶け合う絶景といってもいい景色。しかし残念ながらその景色を眺めている余裕はなかった。
私もリーゼも昨日感じたあの力がどうにも気になっていた。その力を感知する能力はリーゼよりも私の方が優れている。ヴェントと一緒、そして力を探るだけで他には何もしないと言う条件で何とかリーゼは了承してくれたのだ。
「どう~? 聖女サマ、何か見つけられた?」
「……このままじゃ無理みたい。少しだけ、解放してみるわ」
「わかった~。ボクはこのまま辺りに何かないか気を付けてればいい?」
「ええ。お願いね」
私たちはルバルツの遥か上空に浮いている状態だが、私の周りはヴェントの力で快適な気温に保たれていて強い風もない。緩やかな風が頬を撫でているぐらいのものだ。
ほんの僅かの力を解放し意識を集中させる。そして目的のものを見つけた。
風が吹けば吹き消されてしまいそうなほどに微かな力。ここまで微かな力だと聖女でなければ気づくことは難しい、浄化の力とは相反するその力。私と天族とのようにこの力と同属性のヴィルには気づくことは困難だろう。
問題はその微かな魔力を線で結ぶと円を描くようにルバルツの街を囲んでいるということ。何かあるとしか思えない。とりあえず近くの部分だけ浄化してみて自身の力の具合を確かめる。
「切れた糸みたいに魔力の残りが漂っているという感じね。とりあえず時間も無いし、これぐらいにして戻りましょ」
「はーい」
再び力を封じて幻術を維持したまま舞台の裏手側にもどり、術を解除してリーゼの待つ場所へと戻る。今日だけで何度もこの力を使ってしまっていることに少々不安になるが、意訳ではあるがジークも人目に付かなければ大丈夫だと言っていたのでこれは必要な事だと割り切った。
私たちの様子をヴェントを通して見ていたリーゼは少し心配そうに私を見る。そこへルナが駆け寄ってきたのだ。
「力を使ってしまって大丈夫ですの?」
「人目に付かなければある程度大丈夫ってジークが」
「殿下が? まさか殿下に聖女であることを気づかれ……?」
きっちりと外からの視界が遮られたその場所で、リーゼが心配そうに尋ねる。
私は心配かけまいと軽い調子で返したのだが、リーゼは驚きで目を見張った。――そういえば、ジークが前世の記憶があるということをリーゼに伝えていなかった気がする。
「ジークって隠していただけで結構前から前世の記憶があったみたいなのよね。また従者の力を得たから、私も聖女の力に目覚めてるんだろうってほぼ確信してたみたい」
「あ、悪夢ですわ…………」
ふらりとリーゼがよろけ、慌ててその体を支える。
聖女の衣装のリーゼはまさに天使のような愛らしさで、私は鏡に映る自分の姿を見て現代で聖女に過剰な妄想を抱いている人たちに何ともいえない申し訳なさを感じた。
「エフィー。メガネを外すのを忘れていますわよ」
「そうだった。羽をこの辺に入れて――うん、これでいいわね」
リーゼの指摘に慌てて懐に天族の羽を仕舞い込み、メガネを外して脱いだ制服の上に置く。
途中で着替えることになる他の衣装をもう一度確認してから外に出ると、ちょうどこちらに向かってくるルナの姿があった。
「ルナ、どうしたの?」
「あ……私はお二人の衣装替えのお手伝いです、から。劇の最中は、この中でお二人をお待ちしています」
「確かにありがたいけれど、リーゼと二人だから客席で見ていても大丈夫よ?」
「いえ、誰かが間違って衣装に触れると大変ですから。それに……私は人の多い場所は、その、苦手で……」
「じゃあお言葉に甘えてお願いするわ。ありがとう、ルナ」
「いえ……」
「――ありがとう」
ルナが待っていてくれる一番の理由は私の衣装だろう。間違ってではなく意図的にどうこうしようとする人間から守るため。
もう一度お礼を言うと、ルナは嬉しそうにはにかんだ。
その後は立ち位置の確認などをして最終確認は無事に終わり、ほどなくして魔法科の出し物である演劇の開幕時間を迎えた。
「――お前たちだけにこのような辛い役目を負わせてしまい、申し訳なく思う」
王様役であるラフィカが跪く聖女役のリーゼに歩み寄り、同じく膝をつけその手を取る。
――客席から黄色い悲鳴をかき消して野太い歓声が響いた。その歓声のほとんどは騎士科の生徒たちである。
さすがラフィカの家は名のある騎士の家だけあって騎士科の中でも知名度が高いようだ。リーゼの後ろでヴィルと共に跪きながらこっそりと客席を観察すると、その中にあの騎士科の生徒の姿を見つけた。鼓動は早くなったが、先ほどのように息が詰まることもない。客席からは見えないようにぐっと胸元押さえて視線を戻した。
聖女はその後対面した王子に目を奪われ、恋に落ちる。しかしすでに王子は顔見知りであった貴族の出である魔法師と恋仲だった。
目が合うと二人は微笑みあう。それを聖女はその瞳の奥に悲しみを隠して見つめていた。
王子であり勇者役であるジークが微笑むと客席の女子生徒から悲鳴が上がる。しかし残念ながらその相手である魔法師役は私という残念な状態だ。髪が短すぎるということでウイッグを被らされてそれっぽくなってはいるが、ジークの相手役としては随分劣っていることだろう。
しかし今日の私は女優である。多少引き攣るが笑顔をつくり、必死に役をこなした。ちなみにリーゼは先ほどのことなど知らなかったかのように完璧に聖女を演じている。
勇者と恋人演出をするたびに胃から何かがこみ上げてくるような感覚だった。演技だというのに砂……いや、もっと甘ったるいものが吐けるような気がする。
やっとクライマックスである魔王と対峙する場面になった時には私はすっかり精神的に疲れていた。
「ふっ。聖女とはいえ人であることに変わりはない。魔王である我に敵うはずなどなかろう。死をもってそれを思い知るがいい!」
魔王マリウスが手を振るうと舞台上に風が巻き起こる。演出の生徒の一人が必死に練習した派手な見た目とは違い威力は無いに等しいという普通であれば使い道のない魔法だ。そこに他の魔法を合わせ、さらに派手にみせている。
「ふっ……ふははは! やはり所詮は人か。これまでのようだな」
少しだけ高い位置から倒れ伏す私たちを見下ろし高笑いをするその姿が異常なまでに似合っている。本当は彼こそが神官で、私の隣で倒れたふりをしているヴィルこそが魔王だった存在だとは誰も思いはしないだろう。それほどまでにマリウスは魔王役がよく似合っている。
「……っ、魔王、あなたの思い通りには……させないわ」
ゆらり、と聖女が立ち上がり魔王を睨みつける。私たちは何とか上半身だけを起こして二人の魔法の応酬を見守る。もちろん演出の生徒たちによる派手な見た目だけにとことん追求された魔法だ。
しかし徐々に聖女が魔王の強大な力に押され始める。そこで改めて聖女はゆっくりと仲間たちを見回す。魔法師を、神官を、そして勇者を。
「私の愛するこの国、そして仲間たちをあなたの好きにはさせないわ」
聖女が光に包まれる。
ここがこの演劇の一番の見せ場だ。
「たとえ私が――」
そこで突然リーゼの声が途切れる。私は嫌な気配がしてぶるりと体を震わせ辺りを見回した。
「……きた、か」
ヴィルが小さく呟くと同時にリーゼとマリウスの間から闇が溢れだし、舞台と客席を闇で包み込む。
会場からどよめきが上がるが、異常が起きた際には指示があるまで動くなということを前もってジークに伝えられていたので、魔法科の生徒たちはその言葉を守り混乱は避けられていた。一方会場側の生徒たちも魔法科が落ち着いているからか、演出の一部だと受け取った様だ。
もちろん全員がそういうわけではないが、客席にも先生や騎士はいる。そのため現時点では本当の混乱は回避できていた。しかし長引けばその限りではない。
「この力は今朝感じたあの力と同じですわね」
「ええ」
視界が閉ざされた闇の中でリーゼとヴィル、そしてジークは私の周りに集まっていた。
「俺が行くよ。フィーたちはこの場が混乱しないように誤魔化しておいて」
「私も行くわ」
「――わかった。それじゃあリーゼにジーク、ここはお願いするよ」
「そんな簡単に……」
「適当に戦ってるようなフリでもすればいいんじゃないかな?」
あっさりと私の同行は認められ、ヴィルはこの場を一旦リーゼたちに丸投げする。
リーゼは困惑した声をだすが、この場を放棄するわけにもいかないので渋々頷いた。
「フィー、俺に捕まって」
ヴィルは私の腰に手を回すと自身の生み出した闇を纏ってふわりと浮きあがる。
「魔王、なんて卑怯な!」
「私にこの闇を払う力が残されていないと思っているのね!」
そんなジークとリーゼの台詞を聞きながら、ヴィルは一気に会場を包み込む闇から抜け出した。
会場が十分に見える程度の先ほどヴェントと一緒にいた場所よりはるかに地上に近い場所。足場などない空中、そこに一人の少女が浮いていた。
「あら驚いた。同族がいるなんて聞いてないわ。それにそっちは……隠しているけど聖女でしょ」
まだあどけなさの残る少女はヴィルを見て一瞬驚いた様子を見せたが、すぐにくすりと不敵な笑みを浮かべる。そして私を見てさらに口角を持ち上げた。
背中まで伸びたヴィルと同じ漆黒の髪。ワンピースとはいえ身に纏う色はやはり黒。そしてヴィルととても近い力。
外見こそ幼いが、間違いなく魔王と呼ばれる存在がそこにいた。




