48 交流会3 聖女と従者
ゆっくりとジークが地面を踏みしめ私との距離を縮める。
返答に困って俯き、落とした視線の先にジークの足先が映った。
「ねえ、聞きたいことがあるんじゃない?」
「それはそうですが」
私が一歩後ろに下がればジークが一歩踏み出す。そんなことを繰り返し、ジークはほんの僅かの距離を保ち続ける。じりじりと後退するうち背中に木が触れそれ以上の後退が不可能となった。
「そうだ。言葉遣い、普段アンネたちと話しているときのようにしてくれないかな」
「不敬に、なりますので……」
「今更じゃない?」
私を追い詰めたジークはいつもの様ににっこりとした笑顔のまま、右手を私の背中にある木へと伸ばす。これによりさらに逃げ道の一部が塞がれた。何より問題なのは距離が近すぎることだ。
残った逃げ道は私から見て右側であるジークの左手側か、背後の木をなぎ倒し新たな逃げ道を作るしかない。
「それにほら。これを見れば、不敬だとか言う気もなくなると思うけど」
ジークが瞬時に結界を構築し、展開する。
結界外の景色が一瞬揺らいだことから恐らく幻惑系の魔法でここにいることを他人に悟られないといったものだろうが、その魔法の完成度は学生のレベルを凌駕していた。これならばまず魔法科の教師であっても気づくことはできないだろう。
ジークは妖艶ともいえる笑みを浮かべてしゅるりとタイをほどき、ぐいと首元を広げる。首元を見せつけて一体何をしたいんだと眉をひそめたが、次の瞬間ジークに起きた変化に目を疑った。
「なっ……!」
先ほどまで何もなかったジークの鎖骨の上あたりには空色に輝く石がある。そして感じるリーゼと同じ、彼が従者だという感覚。信じられないが、この感覚を間違えることなどありえない。
ジークは、間違いなく従者だ。
「どういう……」
「まず先に僕の質問に答えてくれる?」
ジークはくすりと微笑むと、人差し指を柔らかく私の唇に押し付け言葉を遮る。
「僕がまた従者の力を得たということは――エフィー、君は再び聖女として目覚めた。違う?」
「――――っ!」
その言葉に息を飲んだ。
違う? と聞きながらも確信している。"再び"と言ったということは、ジークには前世の記憶があるということだ。
「ああ、大丈夫。今まで君たちを見ていてそれを公言するつもりがないのはわかってる。それに僕だってそうだよ。だから隠してたんだ」
そう言ってジークが宝石を撫でるようにして触れると、宝石が消えジークから感じた感覚も消え去った。まるでそれが夢であったかのように。
「君の口から聞きたいんだ。僕だってほぼ完全に力を隠せる。君もそうじゃないのかい?」
「――その通りよ。私も力を隠してる。フィーネにはなりたくないから」
一瞬ジークの瞳に悲しそうな色が浮かんだが、気づかなかったことにして言葉を続ける。
「思い出したのは九年前。思い出してすぐに力を隠すことを決めたの」
「それで神器が一瞬反応したんだね。僕が従者の力を得たのも同じ時期だから、聖女が目覚めたことには薄々気づいていたけれど」
「でも、最近二度ほど力を使ってしまったわ。街と精霊の森で一度ずつ」
「あぁ、それは大丈夫。神器が反応するのは聖女が目覚めた時と聖女が触れた時。他にもしかるべき手順を踏めば聖女の姿を映し出すけれど、教会が聖女の出現に気づいていない今はその心配もない」
神器の存在を聞き、力を使ったことで教会に気づかれているかもしれないと少々心配だったのだが、それは杞憂だったようだ。けれどこの先聖女の存在が教会に気づかれればしかるべき手段が取られる恐れがある。やはり可能な限り力の事は隠しておくべきだろう。
「前世の僕はどうしても前世の君に伝えたいことがあった。もうフィーネには伝えられないけれど、フィーネであった君に聞いてほしい」
「…………」
木から手を離し、僅かにジークとの距離が広がる。そしてジークは再び従者の雰囲気を纏った。
「フィーネ、僕を愛してくれてありがとう。僕も本当に君の事を愛してたんだ」
こつん、とジークが額を私の額に当て、私がよく知る笑みを浮かべる。それはジークムントがフィーネと接していた時によく見せていた表情。今ジークはジークムントとしてフィーネに話している。
ふっと息を吐いて、少しだけ抑えていた力を解放する。さらり、と肩から銀色に変化した髪が流れ落ちた。
「……フィーネ」
「ありがとう、ジーク。その言葉だけで私はとっても幸せよ」
この時私はエフィーではなくフィーネとしてジークに答える。
くしゃりと笑顔を歪ませたジークの目尻には涙が浮かんでいた。ぎゅっとジークムントの腕が私を包み込む。
「――助けてくれてありがとう。そして色々ごめん」
「ううん。すべては私が自分で選んだ結果だから。私の方こそごめんなさい」
そこまで言って、目を伏せ再び力を抑え込み、ジークムントの胸を押して体を離した。そして今度は私自身としてジークムントに向き合う。
「今考えるとあの時は本当に物事を知らなさすぎた。だからみんなにとても迷惑をかけてしまった。魔王だって本当は……」
「いや。君は自分で気づいていないかもしれないけれど、フィーネは本当に多くの人間を助けていたんだよ。だからエフィー、フィーネを嫌わないで。責任があるのならそれは君だけのものじゃない。僕たちみんなのものだ」
ジークムントは空を見上げ、細くて長い息を吐き出す。視線を戻した時、ジークムントの雰囲気は消え、ジークのそれへと戻っていた。
「前世の僕はフィーネを守れなかったことを本当に悔やんでた。けれどリーゼロッテに叱咤されてね。いつまで落ち込んでるの、私たちにはまだやることがあるでしょうってね」
従者の力を消すと、ジークは眉を下げ困ったような笑みを浮かべる。
「多分僕たちはみんな何かしら酷く後悔していることがある。けれどそれで前世を否定したくはない」
そう言ったジークを見てなんとなくわかったような気がした。
ジークは私以上に後悔していることが多いのだろう、と。
「話の続きはまた今度ゆっくりと。お迎えがきたみたいだから」
ジークの張った結界があるのに? と一瞬疑問に思ったが、すぐに納得した。
突然伸ばされた手に引かれ、ジークの体が遠ざかる。同時に私とジークの間に体を滑り込ませたのはヴィル。術者本人には気づかれはしたが、結界を破壊することなく侵入してくるとはさすがだ。まぁ、隠す気もなかったのだろうが。
「ねえヴィル。君が元魔王?」
「…………」
ヴィルが眉を寄せ、私を振り返る。私は話しても大丈夫だという意味を込め小さく頷いた。
「やっぱり記憶があったんだ。なら俺の外見で容易に想像はつくか」
「やっぱり?」
「入学式の模範演技の最中にフィーが倒れた時。あんな表情で駆け寄ったんだ。何かあると思うに決まってる」
「アンネの友人だと思ったから、とは思わなかった?」
「それは無理があるな。それより前世の記憶があると考えた方がしっくりくる」
「それもそうだね」
そういえば確かあの時ジークが倒れた私を医務室まで運んでくれたのだっけ。
残念ながらその時は余裕がなかったのでジークの表情までは見えていない。リーゼも何も言っていなかったのでその表情は見ていないのだろう。とにかくヴィルは随分前からジークが前世の記憶があることに気づいていたらしい。
「ジークにはリーゼがいるんだから、俺のフィーに手を出さないで」
「誰が俺の、よ」
ヴィルは私の頭の上に顎を乗せしっしとジークに手を振り、ジークは苦笑しながら周囲に張り巡らせていた結界を消す。
そこでやっとヴィルも私から僅かに離れ、ぽん、とわざとらしく手を打った。
「そうそう。重そうな鎧着込んだ騎士がジークを探して歩き回ってるからって呼びに来たんだ。フィーの力を感じたから何かあったのかと気になって、すっかり騎士のことを忘れてた」
「こういう場は鎧ではなく騎士用の礼服でくるべきなんだけど……その騎士にすごーく、心当たりがある」
「騎士……」
「すぐ近くにいるよ。……ほら来た」
くすりと笑みをこぼし、ヴィルはジークの後ろを指し示す。
そこにどすどすと足音を立て、想像以上に重厚な鎧を着た騎士がやってきた。
「おおぉ、殿下。探しましたぞ!」
「……やあ、ブラウン将軍。久しいね」
ジークが騎士の勢いに気圧されるように一歩下がる。その際一瞬だが笑顔が引き攣っていた。
とりあえず、ジークがブラウン将軍と呼んだことからこの騎士がシスターの父で間違いないが――想像以上にゴツイ。イカツイ。暑苦しい。きっとシスターは母親似だ。
「そういえば、アンリは見つかったのかい?」
「そうなのです。それで殿下にお聞きしたいことがあったのです。娘は孤児院でシスターをしているのですが、そこで世話している子供が今年魔法科に入学したとか」
「へぇ」
将軍のいつまでも続きそうな挨拶を遮ってジークが話題を変える。
娘の話になり、将軍の目がきらりと光りを帯びた気がした。ジークは面白そうに口角を持ち上げる。
「名をエフェメラ=シェンク。淡い金の髪の娘だそうです」
「へぇー……」
「おや、そちらの娘も金の髪ですな。失礼だが名前を聞かせてもらってもいいだろうか?」
ジークは笑みを深くする。
私とヴィルの存在に気づいた将軍はとりあえず確認したいと言った様子で私に尋ねた。
正直に名前を言った後の面倒な事態は容易に想像でき、視線が宙を泳ぐ。気が重いが答えないわけにもいかないので口を開きかけた時、私の肩に手を置いてヴィルが私の前に歩み出た。
「彼女はエフィー。俺はフィーと呼ばせてもらっています」
「そうか。いや、女性に対し不躾に失礼だったな。申し訳ない」
「あ、いえ……」
にっこりと人好きがしそうな笑みを浮かべ、ヴィルは迷いのない口調で言う。確かに嘘ではないが、どちらも正式な名前ではなく愛称である。
家名を告げなかったことに少々違和感を感じたのだろうが、将軍も自分の問いが失礼にあたるということは承知しているようであっさりと引き下がった。
「あ、いたいた! 探しましたよ将軍! お見えになるならなるでちゃんと連絡していただかないと……って、ジークベルト君にエフェメラ君にヴィルヘルム君、君たちこんなところで何してるんですか。見回りがあるでしょう?」
ぱたぱたと駆け寄ってきたクルト先生は将軍の姿を見つけほっと胸をなでおろす。そして本来なら見回りをしていなくてはいけない人間がのんびりした様子でいることに首を傾げた。
そしてあっさりと私の名を呼んだのだ。シスターから将軍の目的を聞いているはずなのに。
「エフェメラ? エフィーではないのか?」
「エフィーは彼女の愛称ですよ。彼女の名前はエフェメラ=シェンク。間違いなく……将軍のお嬢さんの教え子です」
ジークが天を仰ぎ、ヴィルは苦笑して肩をすくめる。
溜息をついてじりじりと近づいてくるその人を見上げると、将軍は軽く両手を広げ、目の幅と同じ幅の涙を流しながら私ににじり寄って来ていた。……暑苦しい。




