47 交流会2 純黒王子
『焦らず、ゆっくりと深呼吸してください。――そう、その調子です』
すっ……っはー。すー、すっ、はあぁぁぁぁ。
促されるままにたどたどしく深呼吸を繰り返す。その間ずっと少し茶色がかった金の瞳は心配そうに私を覗き込んでいた。
「――くっはぁ。もう落ち着いたから大丈夫。ありがとう」
『いえ。今姫もこちらに急いで向かっていますから、無理せずここで休んでいてください』
「リーゼが? 大したことないのに……」
『私にそう言われても困ります』
「わかってるけど――」
「フィー! 大丈夫!?」
少し離れた人目に付きづらい木陰で休む私たちのもとに、ヴィルが息を切らせ走り込んできた。
ここで大それた魔法を使うわけにもいかないので走ったということはわかるが、そこまで焦る必要があったとは思えない。何よりテーロ経由でこちらの状況を把握できるリーゼならともかく、何故ヴィルが私の異変に気づいたのかが疑問だ。
「大丈夫。ちょっと驚いて息が詰まっただけだから」
「本当に? 顔、よく見せて」
「本当に大丈夫だってば」
「本当?」
ぐい、とヴィルに顎を掴まれ覗き込まれる。
普段のヴィルから考えると随分乱暴に感じるが、それだけ心配されているのということはわかるのでじっと見つめ返す。だがヴィルの真っ直ぐ向けられる眼差しにあっさり敗北した私は視線を逸らし彷徨わせた。
「エフィー!」
そこにヴィル同様にリーゼが息を切らせて到着し、やはり私の顔を覗き込む。運動して頬が紅潮したリーゼの可愛らしさに思わず顔がにやけた。
リーゼは半眼になりつつ、ぺちり、と軽く私の両頬を叩く。
「大丈夫そうですわね。まったく、何があったんですの? テーロがいたからよかったものの、エフィーが一人だったらと思うと――」
「ああ、やっぱり君はリーゼの……」
『はい。では、私はこれで』
ヴィルの言葉に頷くとテーロは姿を消した。姿を消したとはいっても見えないだけで近くにはいるのだが。
「エフィー。何があったのか説明してくださいませ」
「うーん、何かと言われても……演武に出ていた騎士科の生徒と目が合っただけで、何かされたというわけでもないわ。体が勝手に反応した感じ?」
「騎士科の生徒?」
魔力を受けたわけでも魔力酔いを起こしたわけでもない。見知らぬ騎士科の生徒と目が合った、ただそれだけだ。私の言葉にヴィルが眉を寄せる。
「その生徒も驚いた様子だった。確かに目が合った瞬間は目の前が一瞬真っ赤に染まったような気がしたけど、それは魔力によるものじゃなくてどちらかといえば白昼夢みたいな感じだったし」
「その騎士科の生徒の特長は?」
「騎士科一年生代表の一人ですわ。確か名前は――テオバルト=アメルン」
「なるほど。確かその生徒……」
リーゼはテーロの目を通して見ているのでその時の状況を知っている。しかし魔力などによる外的要因がなかったため、その時私に何があったのかはリーゼやテーロにもわからないのだろう。ヴィルはリーゼの言葉でその騎士科の生徒が誰であるか思い当たったようだ。
「二百年前のあの時、フィーたちと一緒にいたあの騎士だよね」
「え?」
「あれ、もしかして二人とも気づいていなかった?」
何気ないその一言に私とリーゼは揃って間の抜けた声を上げた。
ずきり、と胸が痛む。意識せずに胸を押さえていた手のひらに、ぬるりとした暖かいものを感じて慌てて見てみるがもちろん何も変わったことはない。すべては幻覚、過去の記憶に引きずられた思い込みによるものだ。
「エフィー……顔色が悪いですわ」
「いい思い出、とは言い難いからね」
嫌な感覚を振り払うように手を軽く振り、顔を上げる。
――大丈夫。一瞬記憶に引きずられたけれど、その記憶に取り込まれてしまうほどでもない。軽いトラウマといったところか。
「まさか自分にトラウマがあるなんて思ってもみなかったわ。恐怖より驚きが強いけど」
「操られてたとはいえ、フィーネを殺した人間なのですから仕方ありませんわ」
フィーネであった頃より強くなったつもりでいたが、思いの外繊細だったらしい。そんな私にリーゼは半ば呆れた様子で小さく溜息を落とした。
「――フィーを殺した……?」
怒りを含んだ低い声に、ぞくりと背筋が震える。
「あの時すでに魔王であったヴィルは死んでいたのですから、記録にも残っていない以上知らないのは当然ですわね」
「この前聞いた話で俺が死んだ後、すぐにフィーも死んでしまったのは知っている。けれどその経緯はまだ聞いていないまま。まさかあの騎士が……?」
確かにリーゼから教えられたあの時は時間も無かったのでヴィルに説明をしていない。
後で説明するようなことを言っておきながら今まですっかり忘れて放置していたわけだ。ヴィルも気になっていたはずなのに、あれから説明を求められてもいない。
もしかして、私が話したくないと勘違いでもしているのだろうか。だから私が自分から説明するまで待とうだとか……――ありうる。やたら私に甘いヴィルのことだから大いにありうる。現に今も気遣うような視線を向けられているのでまず間違いない。
実際は本当にきれいさっぱり忘れていただけだ。しかし色々怖いのでその勘違いをあえて訂正するつもりもない。我ながら酷い人間であるとは思うが私は自分の身が可愛いのだ。
「えーっと、その騎士はフォルカーって名前なんだけど、フォルカーも脅されて利用されてたの。元を辿れば黒ずくめの男に」
「うん、それは前に聞い事と同じだね」
「フォルカーは宰相の命令でジークムントを殺そうとしてたの。けれどフィーネが咄嗟に庇って……」
それだけでヴィルは理解したらしく大きく頷く。
「そういえば当時の二人は恋人同士だったね。そういった記録は残されていないけれど」
「そうね」
そのことについても説明した覚えはないが、あの短時間対峙しただけのヴィルにも気づかれていたことを考えればフィーネの態度や行動は相当痛々しいものだったのだろう。無かったことにして忘れて欲しい。
「恋人を庇って命を落とした……けれどその事実は国のために隠された、か」
眉を寄せ、淡々とヴィルが事実を言葉に乗せた。つられるようにリーゼの表情も険しくなる。
「原因が国の人間ですから当時の情勢を考えてフォルカーの件を伏せることにしたのは私たちですわ。けれど恋人であったことが伏せられていること。魔王を封じる為に自ら犠牲になったとされていること。どちらもどうしてそんな話が現代に伝わっているのかはわかりませんわ」
「ちなみにフォルカーはフィーネを殺した後、どうなったの?」
「マリウスに取り押さえられた際に自害しました」
「ふぅん……」
「嗚呼、夕日が目に染みる」
「まだお昼前ですわよ」
事実から目を逸らし、横を向いて目頭を押さえた私をリーゼが冷たく切り捨てる。
一方ヴィルは薄ら寒い笑みを浮かべていた。
「あの騎士科の生徒と話をしたいな」
「同感ですが、それができるのは交流会が終わってからでないと無理ですわね」
「そうだね」
代表の生徒は多忙を極める。本当はリーゼもヴィルもここでのんびり話をしているような余裕はない。見回り以外に雑務も多くある。それはどの科の代表にも共通していえることだ。
ふと表情を戻したヴィルが、そういえば、と口を開く。
「朝感じた力の事なんだけど、ちょっと面倒な事になるかもしれない。――というかまず間違いなくそうなるかな」
大したことでもないといった口調だが、ヴィルが面倒だというのだからそれなりに重大な事だろう。わざわざそう言ったということは、私やリーゼも関係がある、もしくはその影響があるからだ。そうでないならヴィルは問題があっても何も言わずに一人で片づけてしまうだろうから。
「リーゼ。もし今聖女が現れたとして、すぐに見つかると思う?」
「――残念ながら、聖女が現れたということはすぐに。教会が所有する神器が聖女が現れるとその力に反応し光を放つと言われていますわ。確か十年前にその兆候が表れたらしいのですが、誤作動、もしくは錯覚であったとか。もしかして――」
「…………それに関しては思い当たる点があるわ」
「では聖女が現れたということは確実に知られますわね。個人を特定するには多少時間がかかるでしょうけれど」
それは正しくは九年前。私が前世を思い出した時だ。
思い出した瞬間に力を封じ込めたので気づかれずに済んだのだろう。今まで力を使ったのは二回。とりあえず現時点では気づかれていないと思うがこの先も大丈夫だとは限らない。
「うぅぅ、やっぱり力は使わない方がいいってことね。でもそれって公の情報じゃないわよね?」
「殿下は幼少より聖女と勇者に憧れていましたから。笑顔と権力を上手く使い色々と情報を集めていたのです。その話を聞いた時も、本当に聖女様が現れたのならよかったのにと酷く残念がっていましたわ」
幼少から勇者の生まれ変わりだとか生き写しだとか言われていただろうから人より早く、より強く興味を持つことは十分にあり得る。
その外見と権力を十分に利用し教会の極秘の情報まで手に入れることはジークムントからは想像がつかない。現代のジーク、恐るべし。
「前から思っていたけれどジークってすごいよね。純粋なのにやってることは黒いっていうか……」
「ヴィル、貴方がそれを言いますか」
「ふむ。純粋で黒――確かに今のジークってそんなイメージよね」
「……略すと純黒?」
「どうしてそういう省略を――」
ヴィルの言葉に賛同し、パンと手を打つ。その後妙な略し方をしたヴィルにリーゼが呆れた。
「あはは、褒められちゃった」
「褒められているようには聞こえなかったぞ」
突然背後から聞こえた笑い声に振り返ると、今まさに噂の的であった純黒王子ことジークが面白そうに立っていた。その隣にはマリウスの姿もある。
「お前たち、こんなところでサボりとはいい度胸だな。仕事をしろ、仕事を」
マリウスは怒気を含んだ冷気をまき散らせながら、リーゼを促し、ヴィルの襟首を掴んで引きずり行ってしまった。その場には私とにこにこ笑ったままのジークが取り残される。
「まいったなぁ、置いて行かれちゃった」
まいったといいつつもジークに困った様子はなく、相変わらず笑顔のままだ。
「急いで追いかければすぐに追いつきますよ」
「それはそうなんだけど……きっと君が僕に話があるだろうと思って」
にこにことしたジークの笑みが落ち着きを含んだ大人びたものに変わる。
フォルカーにヴィルの言っていた面倒事、そしてジークの言葉とこの笑顔。
この交流会に嫌な予感のみを覚えるのは間違っていない――そう確信した瞬間だった。




