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44 空色の熊

 エルプシャフト国立学校、騎士科。通称騎士学校。

 交流会会場となるその校庭は異彩を放つ人物の登場に騒然としていた。


 頭の両サイドで結った淡い紫の髪をふわふわと風になびかせて歩く、小柄だが品のある愛らしい少女。

 あたかも少女を守る騎士のようにその左右を歩くのは人当たりの良い笑顔の青年と周りに鋭い視線を向ける青年。その腕には魔法科代表の証である紫の腕章が付けられている。

 とても人目を引く三人の後ろをつき従うように歩く二人の生徒は腕章をつけていない。もちろんその生徒とは私とアルボだ。前を歩いている三人はリーゼとヴィルとマリウスである。

 三人がその容姿や佇まいから人々の注目を集めるのはしかたのないことだろう。しかし校庭を騒然とさせているのはその三人ではなくその後ろを歩く人物である。

 確かに私にも魔法科以外の生徒からはどうしてあの三人と一緒に歩いているのかという疑問の眼差しを向けられてはいるが、この事態の犯人は同じすべての科の生徒の視線を集めているアルボだ。


「アルボ、いい加減諦めたら?」

「……無理。まだ、人間が怖い……それに………顔を合わせるのは恥ずかしい」


 ふるふると首を振る、魔法科の制服を着た空色の熊。

 この場に多くの人間がいることを目にして初めて知ったアルボは、迷うことなく空色の熊の頭を装着した。そしてそのまま闊歩しているである。


「こっちの状態の方が恥ずかしいと思うんだけど」

「…………でも、これ、でいい……」


 素で歩けば魔法科の生徒から見れば見慣れない生徒かもしれないが、他の科から見ればその他大勢。注目を浴びることいっても微々たるものだっただろう。

 それに対して空色の熊の頭を被ったこの状態では悪目立ちして、好奇や戸惑いといった類の視線が常に突き刺さる。それなのに飼い主であるリーゼは「可愛いですわ」と全く問題視していない。それどころか喜んでいるといっていい。

 ヴィルとマリウスは他人のフリ、というよりはアルボの存在そのものをないものとし、クルト先生は笑いを堪えながら挨拶に行くと言って姿を消した。


 リーゼとヴィルは舞台の設置に立ち会い、マリウスは効果の生徒たちと細かい打ち合わせをしていたそうだ。衣装は明日、出演者である生徒は最終日に現地入りし最終確認が行われる。

 私の仕事は代表の雑用だが、精霊酔いすると困るので効果の確認は控えた方がいいだろうとマリウスに断られた。設置はリーゼとヴィルが色々と指示を出していて手伝えることがなさそうだったので、アルボを引き連れて設置の手伝いに加わる。

 設置の計画書を無言で見つめる空色の熊。熊はしばらく計画書を眺めてから、徐に近くの男子生徒の肩を掴んだ。


「な、何?」

「……設置に魔法……使って、いい?」

「も、もちろん。ただ、下手な魔法だと後で崩れたりして危ないから。詳しいことはあそこにいる生徒に聞いてくれ」


 男子生徒が指した先にいた生徒は腕に黄色の腕章をつけていた。どうやら設置担当生徒のリーダーらしい。

 アルボはその生徒の制服の裾を引っ張り無言のまま呼び寄せると、やはり無言のまま設計書のとある箇所と自分を交互に指差す。熊アルボに捕獲された設置のリーダーの生徒は、困惑した表情で私を見た。


「あー……それを自分がやるってことかな?」

「そうですか。ちょうどそれを出来る人手がなかったので是非お願いします。ところでシェンクさん、彼は……?」

「転入生です。クルト先生の甥で――」

「アルボ。アルボ=フォルトナー……よろしく」


 ようやく口を開いたアルボは名乗るとぺこりと頭を下げた。どうやら姓はクルト先生と同じにしたらしい。

 アルボがやるといったのは魔王城のオブジェの一つだ。多くはハリボテでそれっぽく塗られた物だが交流会の性質を考えるとより見栄えの良いものが求められる。

 ――それにしても、本物の魔王は森に囲まれた荒野に一人で立っていた。魔王城なんてものは見たことも聞いたこともない。しかし伝説では魔王城があったとされているし、なにより荒野では見栄えがしないので演劇としてはこちらのほうがいいのだろう。


 リーダーの生徒が戻った後、アルボは材料の置かれた場所から手ごろな木片を物色して戻ってきた。その木片と地面に置くと、すっと右手をかざす。

 ふわり、とアルボから暖かな魔力が木片に流れ込み、木片がゆっくりとその形を変えた。


「…………完璧」


 ふう、と息をつき、アルボが額の汗を拭う動作をするが頭には熊の被り物。そして本人が完璧だと称するオブジェはどう見ても設計書にあるものとは別物だった。


「魔王城オブジェ。魔王の城に相応しい、人々が恐怖を感じるデザインが好ましい……ね」


 計画書の一文を読み上げ、目の前のアルボが作ったオブジェを見る。

 ……溜息がでた。


「確かに、アルボにとってはこれ以上の恐怖はないのかもしれないわね」


 私の言葉に、こくり、とアルボは頷く。

 滑らかな曲線で作り上げられた女性の姿のオブジェ。教会の前のあの像同様はっきりとわかる顔ではないが、背中まで流れる豊かな髪、その服装、手にした杖がそれが誰であるかを雄弁に物語っている。


「……嫌われる事、が一番……怖い」

「うん。それはわかるんだけど、このままじゃダメね。恐怖……そうね、首を折って横に転がしておきましょうか。それならいけると思うわ」

「…………鬼」


 首の折れた美女の像。恐怖の演出として我ながら名案だと思う。

 さっそく実行に移そうと手を伸ばすと、アルボは像を抱きしめじりじりと後ろに下がった。


「リーゼ、ちょっと来てくれる?」

「何か問題でも?」

「あれ見て。アルボ作の魔王城オブジェ」


 仕方がないので大きな声で監督をしているリーゼを呼ぶ。

 首を傾げながらやってきたリーゼに、アルボの抱える像を指示した。


 数秒後。


「――これで問題ありませんわ」


 にこやかな笑顔で監督に戻るリーゼと、がっくりと地面に膝をつくアルボの姿があった。

 肩を落とし、力なく頭を下げた空色の熊の前にはぽっきりと折られたリーゼロッテの像。何ともシュールすぎる光景だ。

 像を見てこめかみを引き攣らせたリーゼは迷うことなく像の首をへし折り、手にした頭部は突如炎に包まれ一瞬で燃え尽きた。私以上に容赦のない対応である。

 その後首のなくなった像は他の生徒の手によりそれらしく色を塗られ、魔王城のオブジェの一つとして活躍することが決定した。


 その後も日が傾くまで私とアルボもそれなりに設置を手伝い、その日の設営は終了となった。



「――まだ被ってたんですか」


 呆れるクルト先生にアルボが頷く。どうやらすっかり空色の熊の頭が気に入ったらしい。


「さすがに当日は――被るんですね。はは……」


 再びアルボが無言のまま頷き、クルト先生の口から乾いた笑いが漏れる。


「とりあえず今日はこれで戻ります。明日は僕もこちらに泊まりますから、平気そうであればアルボもあなたたちと一緒にこちらに泊まらせようと思っているんですが……どうですか? アンネリーゼ君」

「そうですわね、マリウスとヴィルがいますから大丈夫だと思いますわ。最悪暴れても取り押さえますし」

「頼もしいですね。では明日はお願いします。――これでやっとゆっくり眠れます」

「それは……ご迷惑をおかけ致しました」

「いえ、そういうことではないんです。では今日のところはこれで。また明日、アルボを連れてきますね」

「はい」


 明らかにほっとした表情を浮かべるクルト先生。先生と一緒だった間、アルボは一体何をしでかしたのだろう。リーゼは深く頭を下げ、クルト先生は苦笑を浮かべた。

 すぐに苦笑を消して普段の笑みを浮かべクルト先生はマリウスとヴィルに交互に視線を向ける。


「それじゃ、マリウス君、ヴィルヘルム君。引き続き監督よろしくお願いします」

「はい」


 クルト先生の言葉にマリウスとヴィルが声を揃えて返事をし、先生は満足げに頷いてアルボを伴って預けている馬の元へと向かった。

 すでに学校へと戻る生徒とここに残る生徒の確認は終わり、戻る生徒たちと引率する先生はマリウスたちが送り出している。この後の代表の仕事は魔法科に割り当てられた宿泊場所で生徒を確認し、外に出ないよう注意をすることだけだ。


 魔法科に割り当てられたのは騎士科の訓練棟。

 シャワー室完備だが建物全体が汗臭いという貴族のお嬢様方には少々辛い環境だ。それがわかっていたのか、私とリーゼ以外の女子生徒は残っていない。残っているのは設置担当の男子生徒が大半を占めている。

 全員が建物内に入ったことを確認すると、マリウスが人の出入りを感知できる魔法を建物の周囲に張り巡らせた。これでもし生徒が外に出たり外部からの侵入者があってもすぐにマリウスが感知できる。


「臭いですわ」


 訓練等に入ってすぐ、リーゼが顔を顰めた。どうやらリーゼにも辛い環境だったらしい。ちなみに私は特に気にはならない。――これが最近よく耳にするようになった女子力の違いというものだろうか。

 中に入ると全員で私とリーゼが使う部屋へと向かう。訓練棟の数少ない小部屋を女子生徒が宿泊する場所として利用し、男子生徒は訓練場となっている場所で雑魚寝である。もちろんこれは差別ではなく区別だ。

 唯一救護室のみベッドが数台設置されているが、他の部屋にはベッドがあるわけはなくどちらも貸し出された布団や寝袋を利用する。今日宿泊する女子生徒は私とリーゼだけなので当然私たちは救護室を使うことになっていた。

 しかし私たちはすぐに救護室には向かわず、別の場所を目指す。


「俺たちが外で見張ってるから、二人はゆっくりしてきて」

「二人とも、ありがとう」

「ありがとうございます」


 マリウスとヴィルが見張りに立つのはシャワー室の入口となる扉の外。シャワー室には鍵がなく、しかもここには私とリーゼ以外には男子生徒しかいないということで心配した二人が見張りに立つということになった。

 その申し出に私とリーゼは顔を見合わせたのだが、マリウスに前世の記憶はないのでその申し出をありがたく受けることにしたのだ。もちろん自分達で扉に魔法の鍵をかけるが。さらに念のためにリーゼはテーロを呼び出し、姿を消した状態で扉の内側に待機させることにした。


「その場所から動いたら消す」


 念には念をと笑顔で告げた私の一言にテーロは引き攣った笑みで頷いた――ような気がした。

 私とリーゼは流れるシャワーと共に汗と疲れも流し、持参した普段はほぼ出番のない運動用に用意されている所謂体操着に着替える。

 余談だが、魔法の実技は制服のままで行うし運動にとられた時間も週に一度しかないので体操着の出番はほとんどない。大祭の時の模擬戦で代表となる生徒は学校側から支給される礼式用の制服を着るのでやはり体操着に出番はない。


 テーロにお礼を言い、マリウスとヴィルの待つ外へと出る。そのまま二人は私たちを今日の宿である救護室まで送ってくれた。

 救護室は消毒液の匂いがするが、リーゼにとって汗臭い他の場所よりは幾分ましだったようだ。

 帰り際、さり気なくヴィルが闇の結界を張ってくれた。これで部屋の中で魔法を使っても他の人に気づかれることはないだろう。その際特にマリウスに変わった様子はなく、マリウスにヴィルの力に気づかれるんじゃないかという心配は無用だったようだ。

 リーゼはアルボ以外の四人の精霊達を呼び出したのだが、驚いたことに精霊達はあの変な耳と尻尾の生えた子供の姿ではなく動物そのものの姿だった。確かに二百年前だってそうだったし、今でも上位精霊なのだから姿ぐらい変えられてもおかしくはないのだが、あの子供の姿が衝撃的すぎてすっかり忘れていたのだ。しかも動物の姿も二百年前と違って全体的に愛らしい姿だったので、とりあえず気が済むまでぐりぐりと撫でまわしておいた。


「これで安心して眠るわね」

「あら、せっかくですし少しお話しませんこと?」


 さっさとベッドに入り込んだ私に、窓の向こうの明るい月を背にしてベッドに腰掛けたリーゼがにっこりと微笑む。


 そして、ガールズトークが始まった。

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