42 家族と血縁と他人
こちらにゆっくりと歩いてくるシスターの傍らにはカルラ先生。
蒼白になっているクルト先生とは対照的にカルラ先生は相当浮かれているらしく、あふれ出た魔力がぽこぽこと花へと変化しては地面に落ちる。きっと今カルラ先生の頭の中には立派なお花畑が出来上がっているのだろう。
シスターは私と目が合うとふんわりと微笑み、パタパタと足音を立てて駆け寄った。
「エフィー、元気そうね~」
「シスター、どうしてここに?」
「ちょっと色々面倒な事になったのよ~」
面倒だと言いながらも笑みを絶やすことなく、シスターは少しだけ眉を下げる。その様子からはあまり困っているようには見えないが、わざわざ学校に来るほどの何かがあったのだろう。
ただ、シスターが孤児院を離れているのだから最悪の事態ではないはず。だからこそその問題を『面倒』だと表現したのだろう。しかしその言葉の受け取り方が違ったクルト先生とカルラ先生の顔からはさっと色が消えた。
「問題というと……孤児院の子供が攫われたとかですか?」
「稀にそういう輩も現れますが、基本的にチビたちだけで撃退できるように躾けられています」
「エフェメラ君、それは躾けという次元じゃない気がします」
残念ながら、孤児の子供というのは何かと事件に巻き込まれることが多い。
クルト先生が言ったような、子供を攫うという場合真っ先に狙われるのは孤児だ。次に力のある子供。狙われる理由は胸糞が悪いので省略するが、そんな理由からもチビたちにはシスターがしっかりと躾けている。
「シスター、問題というのは?」
「ええ。そのことなんですけど……」
引き攣った笑みを浮かべるクルト先生の言葉を無視して尋ねると、シスターの笑みが一瞬深くなる。そして相変わらずカルラ先生が生み出し続けている花がふわりと風に舞い、同時にシスターの姿が消えた。
「すべての元凶は貴方なんですよ。本当に、どうしてやりましょうね~?」
「いたたたたっ!!」
口調はあくまでもゆったりと。もちろん標準装備の笑顔のまま、シスターはクルト先生の首に手を添えていた。
ギリギリと本来聞こえるはずのない音が聞こえたり、首に沿えた手の親指が先生の喉仏にめり込んでいるように見える。
「貴方があの人に教えたんですよね~?」
「は? あの人?」
「あの人はあの人です。先日あの人が孤児院に来たんですよ~。いい加減帰ってこいだなんて寝言を言っていましたので目を覚まさせて差し上げましたけど」
「まさか将軍……? いや、でも僕は将軍にはお会いしていませんし……」
答えを聞くためにシスターの手から解放され喉をさすっていたクルト先生は、シスターの言葉の意味が分からなかったようで一瞬キョトンとした表情となった。しかしシスターに詰め寄られるとみるみる顔色が悪くなる。
微笑んでいるのに目が笑っていないシスターと捕食者に追い詰められた獲物のように怯えるクルト先生を横目に、シスターの言うあの人というのが誰なのかを考えてみた。
クルト先生は将軍と呼んでいるようだが、この国の機関や役職に将軍というものはない。ただ軍のトップの役職でもある将官を将軍と呼ぶことがある。
シスターやクルト先生が元軍人だというのだから将軍が軍人、しかも将官であることはまず間違いない。軍の中でも最高位の地位にある人物。その人物がシスターに戻って来てほしいと言っている。
「それはシスターに軍人に戻れということですか?」
「ちょっと違うわ、エフィー。あの人は私に還俗して家に帰れって言ってきたのよ~」
「もしやあの人というのは……」
焦る私の言葉ににシスターは、ふぅ、とため息をつく。続いて告げられたその言葉で私の焦りはきれいさっぱりとどこかへ消え去っていた。
還俗して家に帰れ。そういった言い方をするということは……
「シスターの家族ですか?」
「私の家族はエフィーや孤児院にいる、可愛い私の子供たちよ~。あの人は一応血がつながっているというだけの他人だもの。エフィーにとっても私は家族よね~?」
「はい」
「その血のつながりを世間一般では家族と――失言でした。申し訳ありません」
「うふふふふ~」
零れ落ちた言葉をかき消すように、シスターがふんわりと私を抱きしめる。シスターの言葉に頷く私の後ろで、空気を読まずクルト先生が発した言葉にシスターは素早く反応していた。
なにやら固い音がしたので慌てて振り返ると、クルト先生が地面に倒れ伏している。シスターの雄姿を見逃してしまったと肩を落とす私を、シスターは先ほどより少しだけ力を込めて抱きしめた。
「っは!!」
その時、今まで静かにこの場を見守っていたベックさんが突然声を上げた。
「そういえば、以前先輩に馬を強奪された日にブラウン中将に捕まりました」
「あらあら。それでその時何があったの?」
「どこに行ったのかは教えてもらえなかったことと、戻った先輩の様子を伝えたところ大変興味を持たれたようで……」
ベックさんはシスターの目を合わせることなく視線を彷徨わせながら、ぽつりぽつりと話し始める。
カルラ先生は場の空気を読んで、アルボは特に興味もないので静観しているように見えた。しかしカルラ先生は表情こそ真面目だが、ぽこぽこと生み出す花の量が増えている。どうやら先ほどのシスターの雄姿で舞い上がっているようだ。
ベックさんの言葉にぴくりと肩を震わせたシスターは、天使のごとき微笑を浮かべクルト先生を振り返る。慈悲が滲み出たようなその微笑みに、その場の誰もが息を飲んだ。
「部下の不始末は上司の責任よね~」
「元部下です! それを言ったら僕だってあなたの元……ごふっ」
「返事は『はい』か『イエス』しか認めないわ~」
シスターの声が死刑宣告のように響く。
その言葉は無慈悲だった。
「それでね、本題なのだけど~」
クルト先生が空を舞ったり地面にめり込んだりということがあった後、すがすがしい笑顔でシスターは話を切り出した。
「今度交流会というのがあるのよね? そこの警備に騎士団が配置されることになってるそうなのだけど……」
「それはまた大げさな警護ですね」
「そうでもありません。どの科の生徒も国の将来を担う優秀な生徒です。しかも現在魔法科にはジークベルト殿下が在籍していらっしるのですから、厳重すぎるぐらいで丁度いいのですよ」
「そういえばそうでしたね」
もちろんジークが王子様だということを忘れていたわけではない。ただ、前世の記憶を取り戻し再び従者としての力を得たリーゼや元魔王様なヴィルがいるので、ジークには悪いが彼の心配は全くしていなかった。
思わず呆れたような言い方になってしまっていた私をカルラ先生が諭す。どうやらお花畑タイムは終了したようで、先生は普段通りの落ち着いた様子に戻っていた。
「それでね、本来は第三騎士団が警護にあたるはずだったところを、どうやらあの人が我儘を言って第一騎士団が警護することになったみたいなの~」
「第一騎士団がですか? 第一騎士団は守るというよりは最前線で敵を倒すことを得意とした一団のはずですが」
カルラ先生が眉をひそめる。
目撃されたという怪しげな集団のこともあるので念のため騎士団が配備されたということなのだろう。攻撃に優れた第一騎士団が配備された理由は、集団を殲滅することこそがその目的だからであると考えれば納得できなくもない。
「あの人が孤児院に来た時にちょっと誠意ある対応をしたら、『ならばお前の愛弟子である魔法学校に通っているという者を我が家族として迎え入れる!』なんて言いながら半泣きで帰っていったのよ~。それが原因かもしれないわね~」
「――将軍、相変わらず報われな……」
うふふ、と微笑むシスターから視線を逸らし、クルト先生は目頭を押さえていた。
シスターの話によると、第一騎士団はシスターの愛弟子を確認にくるということだがさすがに本当の目的は怪しげな集団の対処のはず。そもそも私はシスターの子供のようなもので弟子ではない。
「その方は私にシスターに家に戻るように説得させようと考えているのでしょうか?」
「それはないと思うわ~。私ではなく私の可愛い子供であるエフィーを自分の養女にしようとしてるのよ~」
「私の家はシスターやチビたちのいるあの孤児院です。それに卒業後は自立する予定です」
自立するにしても後ろ盾となる家があった方がいいのかもしれないが、それが将軍となると話は違ってくる。
将軍なら間違いなく相当な爵位持ちだ。そんな家の養女にでもなったらあの時のように面倒な立場に立ってしまう。聖女だと気づかれなくても面倒な事になるのは目に見えている。
利用し利用される。そんな人の悪意が渦巻くあの場所は私には向いていない。悪意だけでないこともわかっているけれど、自分だけでなく大切な人たちに迷惑をかけてしまうのが怖い。
特に脅威らしい脅威もない今の時代に聖女は必要とされていないどころか余計な火種を生み出すだけ。そしてなにより私は今の家族が大好きで、この家族を手放すつもりなんてない。
私の言葉にシスターは目を細め、その形の良い口元に弧を描いてゆっくりと頷いた。
「そうねぇ、あの人がしつこいようなら実力行使してしまいなさい~」
「わかりました」
「それじゃあ私は他にも用事があるからこれで。当日は一般の見学ができないから見に行けないけれど、頑張ってね、エフィー」
「はい!」
ひらひらと手を振って、シスターとカルラ先生は校舎の中へと入っていった。
二人の姿が見えなくなると、大きな溜息が聞こえる。溜息をついたのはクルト先生とベックさんの二人だ。
「はぁ、寿命が三時間ほど縮みました」
「それぐらいなら問題ありませんね」
「何言ってるんですか。心臓に悪いことに変わりはありません!」
「あっ、俺はそろそろ戻らないと。馬は騎士学校で預かってもらえるように話をしてありますから」
「わかった、ありがとう」
「では失礼します」
シスターたちに次いで慌ただしくベックさんが帰っていく。
連れてきた馬を置いていったので走って帰るのかと思ったのだが、なんとベックさんは転移魔法の使い手だった。
クルト先生に聞いたところによると、道具の補助が必要なので決まった場所にしか転移できないのだそうだ。そして道具の補助があっても転移魔法が扱える人間は数えるほどしかいない。それどころか転移魔法が使えるだけで王宮もしくは軍勤めがほぼ強制されるのだそうだ。そのことを聞いた時、私の顔が引き攣っていたのは言うまでもない。
「さて、予定より遅くなってしまっていますし出発しましょうか」
「はい」
「あ。そうそう、頼まれていた物用意しておきましたよ」
「ありがとうございます」
差し出された大きな包みを受け取る。何故か包みは帽子らしくない重量感があった。
首を傾げつつ見上げたクルト先生は疲れた様子で、この短時間の間にダイエットに成功したのか頬の辺りのお肉が落ちている。しかし本来余分なお肉がついていたわけでもないので、やはりここは無理なダイエットや痩せすぎはよくないと教えてあげるべきだろうか。
「あー、一応サイズを確認してみてくださいね。小さくて頭が入らないと使い物になりませんから」
「そうですね。でもこんなに大きいならそんな心配は――」
クルト先生に促され包みを一旦地面に置いて結び目に手をかける。
いったいどれほど大きな帽子が入っているのだろうかと包みを開いた私は思わず絶句した。
「可愛いでしょう? 交流会はお祭りみたいなものですからね、これぐらいの方が盛り上がりますよー」
うきうきと浮かれた様子のクルト先生を思わず半眼で睨みつける。
包みの中から現れたのは空色の可愛らしい熊のような動物の頭。
それは帽子ではなく被り物だった。
確かに被れば日差しは避けられるかもしれないが、熱がこもって逆に辛そうだ。
本来の目的である髪を隠すどころか顔も隠せるだろうが、これを持ち歩いているのを見られた時点でいざこれを被ったとしても遠目で見ても私だということがわかるだろう。
――とりあえず、これは色んな意味で使えない。




