41 疾走する微笑みの悪魔
困った集団というだけで相手の正体も実力もよくわからない。集団、というのだから相手が複数の人間であることは間違いないだろう。
相手の力がわからない以上、最終手段を使うこともあるかもしれない。もちろんそんなところを人に見られるわけにいかないので隠れて対処するつもりだが、念のため誤魔化す手段はあった方がいい。
「帽子ですか?」
「はい。最近陽気もよくて、当日見回りの間に熱さにやられたりしないようにと。でも私帽子なんてもっていませんし、家の都合もあるので当日何かお借りできないかと」
「わかりました。がっつり日差しを避けられるものをこちらで用意ておきます」
「ありがとうございます」
都合の良いことに職員室にはクルト先生以外の先生の姿は見当たらなかった。
机に向かい何かを書いていた先生は座ったままこちらに体を向ける。
あの力を使う時に一番目立つ変化は髪。手っ取り早く、違和感も少ない隠し方といえばやはり帽子だろう。しかし残念ながら帽子は持ってきていない。そもそも持っていなかった。
そこで一日だけなので学校の備品かクルト先生の私物でも借りられないかと聞いてみたのだ。もし借りられなかったら布でも頭に巻こうかと思っていたのだが、やはり帽子のほうが違和感は少ないので帽子が借りられるのはありがたい。
「あーそうだ、エフェメラ君」
「はい?」
「例の子なんだけど、君たちと一緒のクラスに通えることになりました。まぁSクラスなのは当然だよね」
お礼を言ってその場を後にしようと向きを変えた私をクルト先生が呼び止めた。
あの子、というのは間違いなくアルボの事だろう。
「そうですね、保護者がいないと困ります」
「そっち!? 僕は魔力の事を言ってたんだけど……」
「魔力もですが、リーゼがいないとアレの制御は難しいですから」
「うん……そうだねー……」
見た目だけならば癒されるその顔に疲れの色をにじませ、クルト先生は視線を落とす。
アルボは転入生という扱いだろうから転入試験を受けたはずで、恐らくその時何かあったのだろう。
「あとアルボ君――いや、アルボは僕の甥っ子ということになってます」
「なんでまた?」
「黙秘します。ちなみに寮はマリウス君と同室になりました」
「――寮の部屋はすべて一人用では?」
「そうなんですが、部屋に一人は怖いとかなんとか言って部屋の壁を破壊しました。隣がマリウス君だったので部屋が繋がって……」
「は?」
クルト先生は色々と言いたくないことがあるようでもごもごと言葉を詰まらせる。
訝しむ私にクルト先生は大きく溜息をついた。
「はぁ。どうやらあの石を埋め込まれてからしばらくの間、身動きの取れない状態で小さな部屋に閉じ込められていたらしいんです。トラウマってやつでしょうね。事情が事情ですから、学校側も配慮したんです。魔力を暴走させても困りますし。あ、ちなみに壁などの修復は本人がしましたよ」
「そうですか。一応リーゼにも伝えておきますね」
「いえ、彼女には僕からちゃんと説明しますから大丈夫ですよ。それより今日から現地の設営があるはずですが、こんなところにいていいんですか?」
身動きの取れない状態で見知らぬ狭い部屋。大きすぎる体の異変に当時のアルボはどれほどの不安と恐怖を感じただろうか。
リーゼや仲間という存在がいる今は安定しているのかもしれないが、その力や存在自体が特殊すぎることもあって学校側はこの例外を認めたのだろう。
精霊への対処はやはり難しいな、などと考えているとクルト先生は少し不思議そうに小さく首を傾げた。ちなみにリーゼたちや生徒の多くははすでに現地で仕事をしていて学校に残っているのは私やごく僅かな生徒のみ。代表補佐である私がここにいるのがクルト先生には不思議だったのだろう。
「大丈夫です。走りますから」
「え、騎士科があるルバルツへは馬車で一時間半かかる距離……」
「シスターほどではありませんが、その程度であればいけます。馬車よりは遅いかもしれませんが、馬車を待っている時間を考えれば十分早いですし。それでは、急ぎますので失礼します」
「お願いやめて! 後で『怪奇! 爆走する黒い影!』とか『疾走する微笑みの悪魔』とか変な噂が立つから! どうせ僕も行かなきゃいけないからアルボもつれて一緒に馬で行こう!」
大丈夫だというのに、クルト先生は私の服の裾を掴んで引き留めた。しかもいい大人だと言うのに涙目で見上げているのである。
具体的すぎる噂の内容も気になるが、あまりにも必死に一緒に行こうと懇願するその姿が気の毒すぎて渋々頷いた。
「それじゃあすぐ連絡して馬を連れてきてもらうから、おとなしくそこに座って待ってて!」
「はい」
「ぴっぴっぷー。 ……ベック? お願いしてあった馬今すぐ連れてきてー! 早くしてくれないと僕の寿命が縮むから!」
「――ぴっぴっぷー?」
「あぁ、通信具の呪文だよー。え? 学校の生徒に決まってるでしょ。そんなことより早く来てえぇぇぇ!!」
クルト先生に言われて近くの椅子に腰を下ろす。
クルト先生が変な言葉を叫んだかと思うと、懐から緑の石が付けられたペンダントを取り出して石の部分を耳に当てた。その様子からそれが対の石を持つ遠くに離れた人間と会話ができるという通信具であることはわかるのだが、如何せんその呪文がふざけているとしか思えない。
「ぴっぴっぷー……」
「もうそれはいいから、馬はすぐ来るはずだし外に出ますよ。僕はアルボを呼んできますから、エフェメラ君は校舎の玄関を出たところで待っていてください」
「わかりました。では先に行って待ってますね」
「走って先に行こうなんて考えないでくださいね?」
「クルト先生、しつこいです」
こほん、と咳払いして立ち上がったクルト先生は口調を正して私に念を押す。
私の言葉に先生は「言葉という鈍器で殴られるのも痛いですよね……」などと言いながらアルボを迎えに行った。
その様子に、もしかしたらクルト先生は見た目だけはいいので否定的な言葉に耐性がないのかもしれないんじゃないかという考えが頭に浮かぶ。
見た目だけなら爽やかで優しげな雰囲気を持っているし、すらりと背は高いが魔法科の生徒の多くのようにひょろひょろとしているわけでもなく必要な筋肉はしっかりとついている。
やはり見た目だけならば好みはあるだろうが十分格好いいと評されるんだろうなどと思いつつ、小走りで遠ざかっていくクルト先生の背中を見送った。
校舎の外に出ても私以外の生徒の姿はなかった。
一年生は現地での準備のため今日から当日までは授業がない。つまりほとんどの一年生は学校内にいないということだ。代表以外の上級生は前日のみ準備のために授業が休みとなるのだが、今の時間は授業中となるので生徒の姿が見えないのも当然だろう。
今から向かえばならお昼前にはルバルツに到着できそうだと、少しぼんやりしながら空を眺めていた私の耳に遠くから馬が駆ける音が聞こえた。その音は真っ直ぐこちらに近づいてきていて、この学校を目指しているのだろうとわかる。そしてその速度が恐ろしく早いことも。
「……ッ、先輩っどこですかっ!」
土埃を上げながら、速度を緩めることなく馬が突っ込んでくる。
その光景が入学式の時のあの瞬間のものと重なった。
「止まりなさいっ!」
辺りの気配を探り近くに私以外の人間がいないことを確認し、迷わず校門を飛び込んできた馬の前に立ちはだかる。もちろん魔法による補助は忘れていない。
圧縮した空気の塊を生み出し、騎乗している人間に向かって思い切り投げつける。
空気の塊は魔力。そのコントロールももちろん魔力。空気の塊は綺麗な弧を描いてスパンとその人間の頭に命中した。
がくり、と騎乗している人間の頭が落ちたがうまい具合に馬の背にもたれかかる形になり落馬は免れたようだ。馬は一瞬怯んで速度を少し落としたが、そのままこちらに向かっている。
突っ込んでくる馬を真っ直ぐに見据えて、私は誠意を込めた笑みを浮かべた。
「……おぉ、夢でうなされそうな笑顔」
ぽそり、と聞こえた声に振り返る。
そこにはちょうど校舎から出てきたアルボと頭を抱えるクルト先生の姿があった。
「エフェメラ君、何してるんですかっ!」
「暴走していた馬を止めようと」
クルト先生は私の肩をがっしりと掴んで揺さぶりながら焦りを隠さずに叫ぶ。
「危ない真似はやめてくださいっ」
「いえ、別に危なくは……ちゃんと補助魔法もかけてますから」
「――君が大丈夫なのはわかってます。問題はこっちです。いつまで寝てるんですか、ベック」
今回はあの時のように油断もしていないし、ちゃんと魔法による対策も施していたのだから体当たりで馬を止めたとしても怪我を負うようなことはない。そう説明しようとしたのだが、クルト先生はぱっと騎乗していた人間を振り返ってそちらに駆け寄った。
ふわり、と飛び上がり打って変って静かな口調でそう言うと、クルト先生は重力など感じさせない軽やかさで騎乗していた人間を馬から蹴り落とす。
「ごふ! ……ッ、先輩!!」
「何やってるんですか君は」
「先輩に言われて急いで馬を走らせて――そういえば、笑う悪魔を見たようなきがします」
「気のせいです」
落ちた際に顔を地面に打ち付けて気が付いた若い青年は、クルト先生の顔を見ると驚いたその表情を引き締めた。よく見ればその青年の着ている制服は恐らく軍服。所属などはさっぱりわからないが、先輩と呼んでいるのだから恐らくクルト先生の昔の知り合いだということだろう。
どうやらこのベックという青年軍人は馬に乗りながら夢を見ていたらしい。
「寝ながら騎乗するとか危険すぎます。何かあったらどうするんですか?」
「え? 俺は別に寝ては……」
「ベック、彼女の育ての親はあの人です。――それがどういう意味は、おバカな君でもわかりますよね?」
「え、まさか本当に?」
ベックさんに一言言っておくべきだろうとクルト先生の背中越しにベックさんを睨む。
一瞬ぽかんとした表情を浮かべたベックさんだったが、クルト先生が肩を掴み一言告げられるとみるみる顔色を無くしていった。あの人、というのはもちろんシスターのことだろう。
その後飛び上がったベックさんがクルト先生避け、スライディングのように土下座の体制のまま私の足元で停止した。
「ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありません。どうかあの方への報告の際はクルト先輩が諸悪の根源であるとお伝えください」
「はい」
額を地面にこすり付けるベックさんに私はあっさりと頷いた。クルト先生が彼を呼び出す場面を見ていたので全てではないが十分先生も原因の一つだと思ったからだ。
「ちょっと!? 何言っちゃってるのベック! それにエフェメラ君も了承しちゃだめだよ!」
「いえ、その必要はないかと思いまして」
「え?」
「ほら、あそこにシスターがいます」
「またまた、そんなこと言って僕を――――」
焦るクルト先生に、私は校門を指差してみせた。
驚かせようとした冗談だと思ったのか、クルト先生は乾いた笑みを浮かべながら校門を振り返る。
校内に、野太い悲鳴が響き渡った。




