38 最善の案
――って、なんでヴィルが目の前に?
至近距離で甘く蕩けそうな笑顔を見せているのは、見目麗しく色々な意味で人気者なヴィル。
普通ならばうっとりと見つめるのだろう。しかしこんな時こそ大切なのは落ち着いて考えて行動することだ。
そしてこういう場合の正解の行動は……
一、乙女らしく悲鳴を上げて侵入者を撲殺する。
――大声を出して人が来ると非常に面倒なので却下。それに自分が乙女らしい悲鳴を上げているところが想像できない。
二、乙女の部屋、しかも寝ているところに侵入したのだから問答無用で絞殺する。
三、シスターを見習って笑顔で抹殺する。
――うん、まったく落ち着いていないし頭は働いていない。
そもそもヴィルを始末することが可能なのかも疑問だ。二百年前もヴィルの本気を見ていない。
いい案が思いつかないので、落ち着くためにも自分の置かれた状況を確認してみる。
ヴィル越しに見えるのは見慣れた天井。寮であることは間違いないが、どの部屋も同じ天井のはずなのでさらに視線をずらして辺りを確認する。
部屋はそう広くもないので、すぐに視界の淵に机が映った。その鞄に結ばれたピンクのリボンが私の鞄であることを盛大に自己主張している。
――やはりここは寮の私の自室で間違いない。
寮は玄関と入ってすぐの交流スペース以外は男女別になっていて基本的にお互いの行き来は禁止。建物は同じだが、交流スペースを挟んで西側から入るのが女子寮で東側から入るのが男子寮と区別されている。
それぞれが使う施設が東西で分けられているわけではなく、二階が男子で三階に女子の部屋があるといったように、男女で使う階段が別で交流スペースを通らなくては行き来ができないという造りだ。だから私の部屋がヴィルの部屋の真上だという事態になってしまっている。
もちろん私の自室は女子寮にあり男子生徒であるヴィルが訪れることは禁止されている。仮に許可を取っていたとしても、寝ている乙女の部屋に無断で侵入している時点で粛清されても文句は言えないだろう。
マリウスに、アルボ同様ヴィルにも寮の規則についてきっちり教育してもらう必要があるかもしれない。
ヴィルから距離を取るように体を起こして後ずさり、驚きと警戒で身を硬くしつつ恨めしく睨む私にヴィルはくすりと笑みをこぼした。
「ごめんごめん、驚かせちゃったね」
「……要件は何? マリウスやリーゼに見られない方がいいからここまで来たんでしょう?」
「正しくはマリウスに、かな」
「――随分早いけど、戻る前に渡した羽?」
馬鹿にされたような気がして、無意識のうちに低い声で尋ねていた。
少し落ち着いて考えれば、ヴィルがわざわざこの場に現れた理由はすぐに検討がつく。誰かに見られたり気づかれると都合が悪いからこそ、一人でこのタイミングでここに来たのだろう、と。
過去の話であればリーゼがいない今ということはないだろう。リーゼに隠しておきたいことがあるなら話は別だがそれでも今来る必要性は低い。
他に思い当たるのはヴィルに預けた羽ぐらいだ。それならば私の精霊酔い対策なので早く受け取れる方がありがたいし、ヴィルもそのことを分かっているからこそ急いで持ってきてくれたのかもしれない。もちろん寝ている時に侵入してくる必要性は感じないが。
ヴィルは私の言葉に頷くと、そっと小さな布の包みを差し出した。
「多分これぐらいだと思う程度に抑えてみたんだけどどうかな?」
「ありがとう。試してみる」
受け取った包みを開き、羽を手に取る。
見た目は何も変わった様子はなく、部屋の明かりにかざしてみると光を受けてきらきらと煌めく。僅かに感じる違和感がヴィルの力によるものなのだろう。
羽を手にしたまま、寝る時すら身に着けたままであったメガネにゆっくりと手を伸ばす。
「フィーって寝てるときもメガネをかけてるんだね」
「だって起きてすぐ精霊酔いで布団に沈むなんて嫌だし」
「――うん、それは嫌だね」
再び手を差し出しながら、ヴィルは不思議そうに首を傾げる。
差し出された手はメガネを預かるという意味だろうとメガネを手渡しつつ答えた。力に目覚めたばかりの頃、何度かうっかりしていて起きてすぐ布団に沈んだ苦い思い出がある。
ヴィルはその様子を想像したのか、その形の良い眉を寄せて真剣な表情で呟いていた。
深呼吸してゆっくりと部屋の中を見回す。
精霊たちの存在は感じるが、あの鬱陶しいほどに視界にちらついていたその姿は見えずメガネをかけている時と変わりはない。
加減が難しいというようなことを言っていたはずだが、最初から私の望む程度に調節できているとは。
封印という作業は私にもできるが、この羽は私と力の系統が近すぎて封印どころかその力を感知することすら難しい。認識できないわけではないが、意識しなければ簡単に見逃してしまう。現にリーゼの精霊たちに指摘されるまでこの羽が天族のものだなんて全く気付かなかった。
羽から感じる天族の力というのはまるで自分の力の一部のようで、私は無意識のうちにそこにあるべきものとして認識しているらしい。これには神と天族と聖女の在り方が関係しているのだろうが、前世でもそのことについては教えられていないし神や天族に遭遇したこともなかったので確証はない。
とにかく、感知が難しい天族の力が私にとっての脅威となりうることは間違いない。恐らく同じく神を力の源とする勇者に選ばれた人間も。恐らくヴィルが部屋に入ってきたことにも気づかなかったのも羽の力だろうと考えると、天族の羽一枚ですら脅威だ。それを悪意を持つ人間が手にすれば……その考えを中断させるかのようにヴィルに声をかけられた。
「どう?」
「うん、丁度いいみたい。精霊たちにとっても問題ないみたいだし、意識すればちゃんと精霊の姿も見えるわ」
これまでは精霊がこの部屋に近づかないのはこの場所が精霊が好まないのか、下の階にいるヴィルの隠された力を感じ取ってを避けているのかと思っていたが、実際はこの羽の力のためだった。羽の力が抑えられた今、他の場所と同じ程度に精霊の気配がある。
ヴィルは私の答えに口角をあげると開いたままになっていた窓の枠に足をかけた。やはり窓から入ってきて、再び窓から帰っていく気らしい。
「よかった。それじゃあ俺は少し出かけてくるよ」
「どこに?」
「ちょっと天族を探して羽をむし――じゃなくて分けてもらいに」
「……やめなさい。そもそもどうやって天族を探す気なのよ。あんなレアな種族」
「探せば見つかるかなって」
何のために羽が欲しいのかは聞かなくてもわかる。
ヴィルはすぐに夕食の時間だと言うと、渋々だが今取りに行くことは諦めたらしい。だがそのうち取りに行こうという気なのは間違いないだろう。
お願いだからこれ以上面倒な能力を増やさないでほしいものだ。二百年前と違ってこの時代は基本的には平和なのだから。
「じゃあ交流スペースで待ってるから」
「準備ができたらすぐに行くわ」
「うん、それじゃ」
ひらひらと手を振ると、ヴィルは黒い霧を身に纏い窓からふわりと飛び降りる。
真下の自分の部屋へと戻っただけだろうが、他の人間に見つからないようにということだろう。私から見れば相変わらず怪しいことこの上ないが。
さて、マリウスへの羽の言い訳はどうするのが一番いいだろうか。
羽で精霊酔いを防げるんじゃないかと言ったのもマリウスで、そのままの状態では効果が強すぎるのも分かっている。ただ精霊との相性が絶望的に悪いマリウスは上位の精霊であるリーゼの精霊たちのように実体化した精霊しか見ることができないのでとぼけることは可能……かもしれない。
下手に嘘をついてもマリウスにはすぐ気づかれてしまう気がするので、とぼけるか誤魔化すというのが一番いいのかもしれない。何より教会の像の事があるので普段はこれまで通りメガネを愛用するつもりだが、その理由を羽の力が強すぎるから普段から持ち歩くのは好ましくないということにしておけばいいだろう。
羽はこれまでと同じように部屋に置いておいあるということにして、演劇当日は気合いで乗り切るつもりだと言うか。
強すぎる力のままでは演出の生徒の魔法に影響が出る恐れがあるので、本当に羽の力を解放してもらうわけにもいかない。もちろん力を押さえたこの羽ならばそういった問題は無いので、舞台から降りた後は精霊酔いを我慢しているふりをする。
我ながら卑怯な考えだとは思うが前世の記憶がないマリウスにヴィルがやってくれたのだと説明するわけにもいかない。
マリウスもジークも、リーゼのようにいつか――そう遠くない未来に思い出すのかもしれないけれど。
身支度を整え、リーゼの部屋へと向かう。
その日の夕食はアルボを交えた賑やかなものだった。マリウスの眉間の皺がさらに深くなったのは言うまでもない。
「おお! 聖女が犠牲になってしまうとは……!」
大げさな身振りで王様役のラフィカが床に崩れ落ちる。
それはフィーネの記憶が途切れた後、勇者たちが城に報告に戻った場面だ。マリウスが台本の見直しで席を外したため、とりあえずとその場面を練習することとなった。
「とりあえず、ラフィカは服を着替えてくださいませ。色々危険ですわ」
「問題ありません。ちゃんと見えても見苦しくないようにスカートの下には短いズボンを着用しています」
「見苦しいなんてことはありません。普通の殿方なら気になってしまって、効果のための魔法を練習の邪魔になってしまいます」
「そういうものですか……」
「ええ」
「ではこの先の場面の練習を個別にしていてくださいませ」
マリウスに任され監督を務めるリーゼは私たちにそう言うと、ため息交じりにラフィカを着替えに連れ出す。
遺された私とヴィルとジークは集まってパラパラと台本をめくった。
「次かぁ。僕は毎回参加できるわけじゃないから、結婚式の場面でも練習する?」
ジークは他にも色々仕事があるようで毎回練習に参加できるわけではない。
その言葉を聞くと、その場面に出番のないはずのヴィルがふいに立ち上がってすたすたと衝立の向こうへ消えてしまった。
私とジークが首を傾げているとすぐにヴィルは何かを手に戻ってくる。それは白い、ひらひらした何か。
「うん、やっぱり」
「……これはリーゼロッテ様が侮辱されていると思っていいのかな?」
困ったように眉を下げるヴィルにふるふると肩を震わせるジーク。そんな二人の視線の先にはヴィルが手にした白い何かがある。リーゼロッテの名前が出てきたということは……アレがウエディングドレスなんだろうか。
確かに舞台から離れて遠目に見る分には問題ないだろうが、近くで見る分には色々問題がありそうだ。デザインとは到底思えない、色だけ似通った違う素材の生地を組み合わせて作られたそれ。余り布で費用を節約しましたといったところだろうか。
「しかたない、ドレスは僕が用意するよ。まだ日数があるからなんとかなるはずだ。劇とはいえ、僕のお嫁さんが着るドレスなんだからね」
懐かしい笑顔が向けられ、息を飲んだ。
ときめいたとかそういうものではなく、懐かしい、嬉しいといった感情が溢れる。
私は背中に感じる冷たい空気が気にならないほど、その笑顔に見入っていた。




