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34 難しいのは初めの一歩

 ゆっくりと目を開くと、薄暗い中で焦りと漠然とした不安に襲われる。


 そうだ、急がないと。

 ――何を?


 逃げなくちゃいけない。

 ――何から?


「もちろん口の悪い魔法師っ!」

「うるさいですわね。明け方から叫ばないでくださいませ」

「スミマセン……」


 私を正気に戻すべく、鈍い音と共に振り下ろされたのは恒例となりつつあるリーゼロッテの杖。

 その外見も性格も可愛らしいリーゼの陰に、美人だが口の悪かった魔法師の姿が重なる。

 リーゼが前世を思い出した時、前世の過ちを謝るつもりでだったけれどその機会を逃してしまった。リーゼは私の前世の罪を一言も責めず、怒られたのは力の事を知られるのを恐れて再び取り返しのつかない過ちを犯しそうになったからだ。


 思えばリーゼロッテはとにかくお嬢様らしくないお嬢様だった。

 本人の話では、自分が貴族だというのに貴族が嫌いで家を飛び出し、とある魔術師の弟子となりその才能を開花させたのだという。ちなみにジークムントとは許嫁であったらしいが、本人は家を出たのだから無効だと言い張っていた。

 リーゼロッテがジークムントと出会った時はすでにフィーネと恋人同士となっていたからそう言っていただけなのかもしれない。良くも悪くも素直だったフィーネはその言葉をすんなりと信じていたが。

 リーゼロッテの言葉はフィーネに気を使っただけで、本当はジークムントを好き……いや、愛していたのだとしたら。


「本当に、泥棒猫で申し訳ありませんでした」

「何言ってるんですの」


 呆れたような目で私を見るリーゼは本当に何を言っているのかわからないと言った様子だ。すでに私を殴打した杖は手元になく、その後ろに四人の精霊たちが次々とその姿を現した。

リーゼロッテは常にあの杖を手元に置いていたので忘れていたが、本来あの杖はは妖精の世界にあり必要な時だけ手元に出せるという妖精の杖なのだ。確かに普通の杖より頑丈だが、決してツッコミ用の鈍器ではない。


「まさかリーゼロッテが本当はジークを愛していたなんて思いもせず……」

「フィーネに会った時は本当に顔を知っている程度の知り合いで恋愛感情なんてありませんでしたわよ。――そうですわ。まだ他の方が起きるまでには時間もありますし、せっかくですからその変な誤解を解いておきましょうか」

「え?」

「まずはジーク……いえ、ジークムントについてですわね。ヴェント、防音してくださいませ」

「うん、まかせてー」


 ふわり、とヴェントが浮き上がり小さな手をかざすと私たちの周りをを柔らかい風が吹き抜ける。風が過ぎ去った後には柔らかい魔力の壁、ヴェントの作り上げた結界ができていた。


「一応中の音は遮断するけど中の気配はわかるようにしてあるからあまり動かないでね。あとあの魔王さん? あの人には効果がないと思う」

「ヴィルは仕方がないですわね。それにあの人も記憶があるのでしょう?」

「うん」

「なら問題ないですわ。記憶があってあの態度ならば今すぐどうこうということはないでしょうし。それよりジークムントについてですわ」


 ふよふよと漂うようにしてヴェントはリーゼの膝の上に座り、リーゼを見上げながらそういうと、頭を撫でられて嬉しそうに目を細めた。

 いやまて、ヴェントの本来の姿は不思議な空気を纏った青年だったはず。精霊に年齢は関係ないだろうが、あの姿を知っているとどうしても犯罪に見えてしまう。ちなみに他の精霊たちも以前は似たような年齢の外見だった。

 テーロがヴェントをしばいてリーゼの膝から引きずり下ろしたことに、思わず賞賛の拍手を送ったのは仕方がないだろう。


 時間にして十五分ほどだろうか。

 リーゼは延々と自分とジークムントの関係について語ってくれた。

 要約すると、お互い特に恋愛感情はなかったが、フィーネ亡き後お互いのぽっかりと開いた穴を埋めるように、支え合うような形で二人は結婚したのだという。


「別に愛がなかったというわけではありませんわ。ただ、その愛が育まれたのが結婚より先か後かの違いで……」


 そっぽを向いてそう言ったリーゼの横顔は耳まで赤く、そんなリーゼを微笑ましく眺める。


「じゃあフィーネとジークムントの事……リーゼロッテは怒ってなかった?」

「どうしてそういう事になるんですの? むしろ親友の恋人を奪った形になったことが最後まで心残りでしたわよ。フィーネはジークムントとリーゼロッテをどう思ってますの?」

「どう、と言われても。フィーネとしての意識は死んだところで途切れてるし、私は過去フィーネではあったけど今は違う。……ただ、フィーネが本心からみんなの幸せを願ってたのは間違いない。だからリーゼロッテが負い目を感じていることの方がが辛いと思うわ」

「――そう。私も自分はリーゼロッテとは別人だと思っていますけれど、そう言ってもらえてすっきりしましたわ」


 ぐたぐたと悩んでいた心配ごとの一つは、口に出して尋ねてみればすぐに解決してしまった。

 それよりもリーゼロッテがフィーネに負い目を感じていたというがフィーネの命はあの場で尽きているのだし、その後でリーゼロッテが負い目を感じる必要なんてない。そもそもその原因も本人の判断によるものだし、本人は二人が幸せになることを望んでいた。


 悪意に疎く、自分から知る努力をしなかった愚かな聖女。

 聖女と呼ばれる自分が人のために命を懸けるのは当然で、そんな自分に向けられているのは好意だと信じて疑わなかった。魔王の討伐は天命で、自分や魔王すらも利用されているなんて思いもせず。

 フィーネは生まれてすぐ浄化の力の存在がわかると国によって保護され、神殿の奥で蝶よ花よと大切に育てられた。

 今思えばあれは保護じゃなくて隔離で、一般常識や世間の事など何も知らずに育てられた。教えられたのは国にとって都合のいいことだけだったのだろう。


「ねえリーゼ、教えてほしいの。フィーネがいなくなった後に何があったのか。うまく言えないけど……私はフィーネと同一ではないけれど違う人間でもない。だから真実を知りたいし、許してもらえるかはわからないえけれどみんなに謝りたい」

「――やっぱりフィーネもエフィーも何か変な考えをしているようですわね。とりあえず、あなたの知っている事と考えを聞きたいですわ」


 フィーネの意識が途切れた後、一体何があったのか。

 魔王を討ち倒した勇者ジークムントとその仲間であったリーゼロッテが結ばれたことは有名で二人の記録は多く残されているが、マティアスはその存在に触れる程度でほぼ記録がない。フォルカーに関してはその存在自体がなかったこととされているらしく当時の騎士団長であったにも関わらずその名前すら記録に残っていない。


 私はリーゼにフィーネの記憶が途切れるまでの主に魔王であったヴィルフリートの会話や、その内容から推測した考えを説明した。

 リーゼは真剣に私の言葉に耳を傾けながら、時折眉を寄せたり悲しそうに瞳を揺らす。私が知っていてリーゼが知らないことといえば精々魔王とのやり取りぐらいだろう。それでもリーゼは口を出すことなく私の言葉を聞いている。

 そして私が話を終えても、リーゼはしばらく考え込むように顔を伏せていた。


「リーゼロッテたち……この際私たちと言いますわね。私たちが利用されていたのは事実ですわ。フィーネはフォルカーを騎士団長としか知らなかったでしょうからその背後にいたのが誰であったかはわからなかった」

「うん。リーゼロッテとマティアスは従者として目覚めたからだって聞いていたけれど、何故騎士団長のフォルカーが同行することになったのかは知らなかったわ。最初はフォルカーも従者なのかと思ったけれど、すぐに腕は立つけれど普通の人だということはわかったし」

「フォルカーが同行したのは宰相がジークムントが従者として同行することを渋ったからですわ」


 従者というのは聖女と共に魔王を倒すために特別な力に目覚めた人のことを指す。けれど勇者というのは聖女のためではなく、人々を平和に導くために力に目覚めた者で……同時に現れることは珍しいが前例がないわけではない。

 魔王を倒すために私は聖女として生まれ、ジークムントが勇者として目覚めたのだと思っていた。


「――ジークムントが従者? 勇者じゃなく従者?」

「ええ。本当はジークは従者として目覚めただけですわ」

「……どういうこと?」

「ジークムントを勇者としたのは宰相。この国の――エルプシャフトの勇者ジークムント王子は作り物だったんです」

「でも、勇者でなくてもジークは従者で力があったのは事実でしょ?」

「ええ」

「魔王を倒しに行ったんだし、勇者といってもそこまで問題でもないような?」


 他の人から見れば魔王を倒してくれたとなればそれが従者であっても勇者と大差がないだろう。

 確かに勇者であるはずのジームントが魔王に手が出せなかったのは従者であったからならなのだろうが、勇者も従者も特殊な力を持つ人間という点は同じで、勇者と聖女の違いはその力の質のはずだ。勇者も聖女も従者も、人々や世の中のためにその力を持つという点は同じなのだから。


「そこだけを見ればそうかもしれませんが、宰相には大きな違いがあったんですの。少し長くなりますけど、遠い遠い昔話をしましょうか」


 細く長く息をついてリーゼは目を伏せる。

 その時ヴェントの結界が一瞬揺らぐのを感じ、はっとして振り返った。ヴェントも耳をピンと立て、リーゼも顔を上げてその揺らぎを真っ直ぐに見つめている。

 揺らぎは波紋のように広がり、その中心に現れた穴はゆっくりと広がっていく。

 人が通り抜けられるほど大きくなったその穴からひょっこり顔をだしたのは――やはりヴィルだった。


「外でも話は聞こえていたんだけど、直接聞いていたほうがいいかと思って来たんだ。俺も関係者だしここで聞かせてもらってもいいかな?」

「ええ、聞こえているだろうとは思っていましたから。魔王であったあなたの話も聞きたいですし」

「ありがとう。それじゃあ結界は俺が張るよ。俺の方が虫除けできるだろうからね」

「……お願いしますわ」


 結界はともかく鍵のかかった部屋にどうやって入ったのかが気になるが、相手がヴィルなので考えるだけ無駄だろう。

 リーゼが了承したことに満足そうに笑みを浮かべると、ヴィルはヴェントの結界の周りに新たに結界を形成する。薄く黒い結界は一見頼りなさげだが、それをどうにかできる手段を持つ者はごく僅かでこの場では恐らく私だけだろう。しかもヴィルの闇の魔力は私の力よりも他の人間に感知されにくい。

 結界はヴェントの物と同じ効果で音だけを遮断するものらしく、この場では一番適した結界のようだ。


 心置きなく話ができる環境が整い、私とヴィルを交互に見やるとリーゼは少し悲しげに、しかし懐かしむように昔話を始めた。

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