33 明けない夜はない
町に戻った時にはすっかりと夜も更け、町は静寂に包まれていた。
精霊たちは町の手前で姿を消しているが、半分人のようなもののアルボは姿を消すことができないのでそのままの状態で同行している。
「帰りまで寄っていただけるだなんて嬉しいわ。まぁ、お客様が増えているのね」
「ええ。深く聞かないで頂けると助かります」
「ふふ、お食事はどうされますか?」
「お願いできるのならば」
「ではお願いされましょう」
女将さんは夜分に訪れた私たちに嫌な顔をすることもなく、明るく出迎えてくれた。
こんな時間なので食事は酒場に行くつもりだったのだがありがたいことに準備してもらえるらしい。再び昨日と同じ部屋を用意してもらえ、クルト先生は食事ができる前にと荷物を部屋に置きに行った。
「聞きたいことは山ほどあるんだが……とりあえず二人とも大丈夫なんだな?」
テーブルを囲んで座ると、マリウスが私とリーゼを交互に見て口を開いた。
マリウスはあの場では基本的に傍観に近い状態であったので、とりあえず落ち着いた今その疑問を解消しようということだろう。
「私もリーゼも怪我はしていないし、少し驚いたぐらいよ」
「そうか、ならいいんだが」
私の言葉にリーゼが頷き、マリウスは少しだけほっとしたように息をつく。そしてアルボを一瞥すると、次の疑問を口にした。
「何故リーゼが攫われたんだ?」
「――先生が戻られたらお話しますわ」
「ならさっそく話してもらえるかな?」
いつの間にか戻っていたクルト先生がリーゼの背後に立っており、リーゼに言葉の続きを促す。クルト先生が空いている席に座るのを待ってリーゼは説明を始めた。
「私は精霊との契約は魔石を使って精霊を捕らえるものだと教えられていました。ですから今回契約をするということに、正直戸惑いがありました」
「アンネリーゼ君の家は精霊との契約している人が多かったですよね?」
「ええ、しかし私が知っている限り全員が魔石での契約でしたわ。ですから先生のような契約は魔石が特殊なだけで根本は一緒なのだと思っていたのです」
魔石に囚われた精霊は魔石から出ることはできないというが、その契約しか知らなかったリーゼは契約の方法が違うのではなく魔石が違うのだと考えてしまった。だから契約そのものが嫌だった、ということだろう。
「私は精霊は縛られることなく自然なままであるのが一番だと思っていました。契約を試みるその時が目前に迫り、逆に私が縛り付けられるような感覚に陥っていたのです」
「リーゼの様子が変だったのはそのせい?」
「ええ。うまく説明できませんけれど、とにかく契約というものがとても恐ろしく感じていたのですわ」
「――僕も教えていませんでしたからね。現地で説明した方がわかりやすいと思っていましたから。きちんと説明しておくべきでしたね」
リーゼはアルボも言っていたが、前世を思い出しかけていた。そのため魔石による契約が歪んだものだということを知らなくても、感覚的には知っていたのだろう。
感覚でわかっていても、それを理解することはできない。リーゼはただ漠然とした嫌悪と不安に襲われていたんじゃないだろうか。
「その感覚から逃れたいという私の感情に彼らが反応し、私をあの場から連れ出したようです」
「僕がアンネリーゼ君を苦しめている原因だと判断されたわけですね」
クルト先生の言葉にこっくりとアルボが頷く。
少し疑問を感じた私はそんなアルボにそっと耳打ちして尋ねた。
「アルボ、リーゼを助けようとしたのは事実だろうけど、リーゼを見つけて嬉しくて連れ帰ったっていうのもあるんじゃないの?」
「……どうしてそれを。あー、姫が黙ってろという意識を向けている」
無表情の中で一瞬アルボの瞳が揺れる。
きっと彼らは私たちがあの森に入った時にはリーゼの存在に気づいていたのだろう。そしてその姿を確認し、リーゼロッテの生まれ変わりだと確信した。
あの時私たちを襲ったのは炎だったので、攻撃してきたのは姿を消したファイロだろう。そしてあの場所に一番相性が高く、人の姿であるアルボがリーゼを運んだ。
四人の中でファイロであった理由は精霊たちのいた空間へ出入りするためでもあったのだろう。地形を考えると本来あの場への転送はアルボが担当していたのだろうが、精霊でも人でもない存在となった彼がその役目を全うできなくなってファイロがその役目を受け継いだとすれば一通り納得がいく。ファイロの火とアルボがいれば転送の術式を変更できるだろうから。
今回はリーゼの意思を確認せずに連れ去ったので大騒ぎとなったが、契約のために訪れていたのだからその時に彼らがリーゼと契約すれば問題なかったのだ。しかしリーゼが悩んでいる姿を見て、色々な意味で素直な彼らはリーゼをその場から連れ去るという選択肢を選んでしまった。
「彼らから契約を持ちかけられて、本当の契約がどういうものかを知ったんですの」
「ちなみにエフェメラ君は何をしていたんです?」
「え? ……変な妖精が目の前にいたので驚いたぐらいです」
「確かに彼らは独創的な姿をしていましたね。僕もああいった姿をした精霊は初めて見ました」
突然話をふられ、あたりさわりのないことを答える。クルト先生は今は姿の見えない四人を思い出しているようにあたりを見回して深く頷いた。
――よかった。現代では上級精霊はあんな姿が普通なのかと一瞬考えてしまったが、やはり彼らの姿が特殊なようだ。
「精霊の契約については相性としかいいようがありませんが、複数の精霊と契約するというのはとても珍しいことです。念のため、小まめに現状を報告してくださいね」
「はい」
「そして彼のことですが……」
クルト先生の視線がリーゼの隣に座るアルボに移される。それに合わせて全員の視線がアルボに集中した。
人でも精霊でもなくなってしまったアルボ。精霊としてリーゼと契約したが、そんな彼を今後どう扱うべきなのか。
「おまたせしました」
クルト先生の言葉を待つその沈黙を破ったのは朗らかな女将さんの声だった。
次々に運ばれてくる料理は久しく口にしていない一般的な家庭料理。学食は生徒に貴族が多いからか小洒落た料理ばかりで家庭料理が恋しくなる時がある。
私たちの中で貴族はリーゼのみ。クルト先生がどうかはわからないが、この宿の料理を好んでいるのならば庶民側の人間だろう。
「それじゃあ冷める前にいただきましょう。彼については食べながら説明します」
男性陣はわからないが、私もリーゼもお昼ご飯を食べていないのでかなり空腹だ。何よりまともに食事をしていなかったアルボは、相変わらず表情こそ変わっていないが目がわかりやすく輝いている。ちゃんと前に置かれた料理が食べ物だという認識はあるようだ。
習慣となった食事の前のお祈りをしていると、隣からリーゼの焦った声が聞こえた。
「ちょっとアルボ、それは手ではなくこちらの……ああっ、それは混ぜるのではなくこうやって――」
アルボはナイフやフォークなどを使ったことがないようだ。二百年前に見たことぐらいはあるだろうが、人間の食事に興味のなかったであろう彼らが覚えていなくてもしかたがない。
その食事風景はまさに自分で食べる練習を始めた子供のよう。ナイフもフォークもとにかく料理に突き刺し、うまくいかずにお皿から料理が飛んでいく。お皿に盛りつけられた料理はすべて混ぜてみたり、アルボの前はこぼれた料理やソースで大惨事となっていた。
「これは手ごわそうですね……」
「クルト先生、先生なんですからアルボに教えてあげてください」
「これはどちらかといえば小さな子供に教えるという母親の領分ですから僕には無理です」
「なるほど、シスターの出番ですね。しばらく孤児院にアルボを預けましょうか」
孤児院には赤ん坊の頃に連れられてくる子もいたのでシスターは赤ん坊の世話にも慣れている。私もある程度の世話はできるのだが、大きな子供であるアルボの世話をできる自信がない。
「あの人に任せたら危険人物になってしまうからダメです」
「そんな我が儘言っちゃだめですよ」
「これ我が儘じゃないからね!?」
その言い方ではまるで私が危険人物のようではないか。
特に何もしていないはずだがどうしてそんな認識をされてしまったのだろう。
「冗談ですよ。それで、アルボはどうなるんですか?」
「……彼のことは一応上に報告して、学校に通えるように掛け合ってみます」
「ありがとうございます」
「いえ。しかしすんなり許可が下りるとも限りませんから。場合によっては面倒な事になるかもしれません」
「……面倒な事、それは人工生命体ということですか?」
冗談だというのにクルト先生は今にも泣きだしそうに見えた。いい年した大人が冗談ぐらいで泣くのは痛々しいので勘弁してもらいたい。
それにしても相変わらずシスターが絡むと情けな――いや、情緒不安定になるようだ。
気を取り直したクルト先生は過度な期待はしないでくださいね、と苦笑する。食事を終えたマリウスは眉を寄せ、その言葉を口にした。
ちなみにヴィルもすでに食事を終え事の成り行きを見守っていて、アルボは一心不乱に食事を平らげていた。今はリーゼから分けてもらった分をお召し上がり中である。
「研究が禁止されているはずなのに、目の前にはその完成形に近い状態のアルボがいる。体だけは完成したけれど精神がなかったから精霊を埋め込んで精神としたってところかな」
「――でしょうね。そしてそんな研究を秘密裏に完成させることができるとなると……」
食後のお茶を飲みながら、ヴィルがのんびりとした調子で予想を述べる。クルト先生も同じ考えらしい。
研究には場所と資金が必要だ。研究者が一人で引き篭もって完成させるのは簡単ではない。それが国から禁止されたものであるならなおさらだ。
生命を弄ぶ行為。世界すら危機に陥れるかもしれないそんな愚かな行為を本当に実行した人間がいるなんて。神をも恐れぬその行為だが、神とのつながりが希薄となりつつ現代だからこそそういう人間が現れたのだろうか。
「シスターが知ったら恐ろしいことになる気がします」
「そういえば、あの人の愛用の銃ってまだ持ってる?」
「魔弾銃ですか? それなら毎晩手入れしてましたよ」
シスターは曲がったことは大嫌いだと豪語する人である。こんなことが知れたら犯人を捜しだし地の果てまで追い詰める気がしてならない。孤児院はユディトがいればしばらくは大丈夫だろうからあり得ないことでもないだろう。
クルト先生は何やら叫んでいるようだが声が出ていない。いくらシスターのこととはいえ動揺しすぎだ。
「魔弾銃って何?」
「うちのシスターが愛用している銃なんだけど、金属の弾を打ち出すんじゃなくて魔力を弾にして打ち出す銃よ。威力は普通の銃とは比べ物にならないわ」
「へぇ、面白いね」
「確かアンリ=ブラウンの銃は特別製だと聞いたことがありますわ。魔力が高いせいで普通のものでは暴発してしまうとか」
シスターのことを知らないヴィルが首を傾げる。二百年前にはなかったものだしそう目にするようなものでもないので知らなくてもおかしくはない。
そこにお茶のお代わりを手に女将さんがやってきた。
「前線で銃を持つアンリはそれはそれは凛々しかったのよ」
「何言ってるんですか! 厄災の堕天使、微笑みの死神、敵からは戦場の氷華とか称されてる人ですよ!?」
「堕天使以外にも呼び名があったんですね」
「とにかく共通する意味は”触るな危険”です」
「酷い言われようよねぇ」
「全くです」
シスターの話になってから人工生命体に関する話はうやむやになり、女将さんが嘆くクルト先生を部屋に押し込んでその日は休むこととなった。
ちなみにアルボはリーゼと同室がいいと寝言を言ってごねたのだが、冷気を纏うマリウスにクルト先生の部屋に蹴りいれられ、外からリーゼに朝迎えに行くまでその部屋にいるようにと命令され渋々その場に留まったようだ。
夜、横になった私たちの部屋に優越感に浸る四人の精霊が湧いたのだが、リーゼは迷うことなく再び杖を出現させて窓から精霊たちを外に打ち出す。
可愛いリーゼの後ろにちらつくリーゼロッテの影に、思わず涙がこぼれそうになった。




