03 白昼夢
空が白みゆく早朝、誰よりも早く起きだしたつもりの私をシスターが食堂で待っていた。
「おはようごさいます、シスターアンリ」
「おはようございます、エフィー」
シスターアンリは私たち孤児の面倒を見てくれているシスターで、若くみえるが実年齢不詳の彼女はその外見とおっとりした口調からは想像もつかない少々個性的な教育方針を持つ。
彼女の個性的かつ少々強烈な教育方針のおかげで孤児たちは強く逞しく生きていく強さを身に付けている。――……色々な意味で。
今の私があるのは彼女のおかげといっても過言ではない。
シスターに促され食卓に着く。そこには一人分の朝食が並べられ、シスターは私の向かいに座りにこにこと微笑んでいた。
「さぁ、暖かいうちに食べて。試験に遅れたら大変よ~?」
「うん、ありがとう。いただきます」
目の前の質素だがおいしそうに湯気を上げる暖かな朝食。じっくり味わいたいところだが時間も限られているので、手早く朝食を済ませ食器を片付ける。もちろん感謝の心は忘れずに。
壁に掛けられた時計を見上げれば、すでに馬車の出発時刻が迫っている。おっとりとしたシスターと過ごす時間は体感よりずっと流れが早く、思いのほか時間が経過してしまっていたらしい。試験に遅れてしまうと慌てて鞄を肩に掛け、出口へ向かう。
「いってらっしゃい。貴族に遠慮なんてしないで思いっきりしでかしてらっしゃいね~!」
「もう、シスターったら。いってきます!」
慌てる私とは対照的に落ち着いた様子のシスターに見送られながら孤児院を飛び出した。
大切な試験でしでかしてこいと言うシスターの言葉に軽く脱力感を覚えたが、自覚こそなかったけれどずいぶん緊張していたようで驚くほど肩が軽くなっている。シスターは気づいていたからこそ冗談半分に聞こえるその言葉を言ったのだろう――半分は本気だろうが。
聡明で逞しく、それでいて気が利くシスターは私の憧れであり、私もシスターのような女性になりたいと思う。
休むことなくほぼ全速力で走り続け、やっと視界に馬車の停留所とそこに停車している馬車の姿を捉えて、何とか間に合いそうだと思ったその時。
……無情にも、馬車は出発してしまった。
「待って、私もっ……乗せて……!」
慌てて魔法で御者に声を飛ばしてみたのだが、御者はびくっと体を震わせ辺りを見渡すとその後一切振り返ることなく、馬車はスピードを上げ走り去ってしまった。
……あの反応、まさかとは思うが幽霊か何かと間違えられたのだろか。相当気が弱い御者だったのか、魔法を使ったのは逆効果だったらしい。
「うわああぁ、どうしよう! 御者のヘタレっ!」
御者に八つ当たりしつつ、焦る心を落ち着かせようと胸に手をあて深呼吸する。
早朝ということもあり馬車の運行時間の間隔は長く、次の馬車を待っていれば確実に試験に間に合わない。
孤児の私が通えるのは学費が完全免除になる魔法学校だけ。ほかにも特待生制度がある学校はあるが、学費が完全免除になる学校はない。
魔法学園に入学することが、私のとってのそれなりの肩書きと安定した職業には必要なのだ。
独学で作った魔法薬より魔法学校で学んだ人間が作った魔法薬のほうがなんとなく安心感があると感じる人は多いだろう。それはただのイメージでしかなくても、人に持たれるイメージは良くも悪くも多大な影響力を持つ。安定を望むならばやはり肩書きがあるにこしたことはない。
そして魔王封印の地に立ち入ることが許されるのは、国に使える機関のエリートやその調査に向かう世話役や支援を依頼された者が同行者として認められる。そのエリートの魔術師の多くが魔法学校の卒業者なのである。
自分がエリートになるわけにはいかないので、エリートになるであろう友人を作り、将来その友人が調査に行く際に同行させてもらうというのが理想的な形だ。
つまりどちらの目的も、達成のためには魔法学校に入るのが一番確実。逆に言えば魔法学校に入れないと面倒なのだ。特に墓参りが。
馬車に乗り遅れたぐらいで諦めるわけにはいかないし、諦めることなんて出来ない。
学費免除のためならば、最終手段でできれば使いたくはなかったが、背に腹はかえられない。思い切って聖女の力、行使してやろうじゃない!
――そう、誰にも気づかれなければいいのだ。そもそも浄化の力としか伝わっていない聖女の力が、本当はどんなものかを知っている人間なんてまずいないはず。悪いことをするわけじゃないのだから、バレなければ何の問題もない。
くるりと踵を返してその場を離れる。向かったのは私以外の人間がほとんど訪れることはないあのお気に入りの場所。
予想通り丘に人の姿はなく、それでも念の為近くの茂みに身を隠し魔法で人の気配をさぐり、近くには人がいないことを確認する。
転移魔法の欠点は、行ったことない場所や記憶が薄い場所はうまく転移先が掴めずに予定とずれた場所に転移してしまうこと。
学校があるウーアの街は二百年前にはなかったし、孤児である私は住んでいる町から外に出たことはないのでウーアの街は未知の場所。しかも距離が離れているので望む場所に転移するのは少々難しい――つまり、少し難しいというだけで不可能というわけではない。
案内に同封されていた学校周辺の地図にちょうどよさそうな場所が載っていたのでそこに転移するのがよさそうだ。問題は転移する時の目標だが……普通は記憶にある場所を目標とするのだが、今回はウーアは行ったことがないので目標となる記憶は皆無。しかし目標がないのならば目標となるものを作ってしまえばいい。
メガネを外し、近くにいた淡い光を放つ精霊を一人呼び寄せて、地図を見せその一点を指差してお願いする。
――ちょっとこのあたりに集まってくれる?――
私の言葉に精霊が大きく頷いてひゅっと姿を消すとほぼ同時に、遥か遠くに力が集まっているのを感じる。さすが聖女と相性がいい光の精霊だけあって、お願いは無事聞き届けられたらしい。
精霊が見える人はごく僅かでその力を感じ取れる人はさらに少ないが、いないというわけではない。精霊や転移したところを見られると面倒なので行動は迅速かつ丁寧に遂行する必要がある。
私は久しぶりに――エフィーとなってからは初めて転移の呪文を唱えた。
転移先の距離が長いと次の瞬間目標地点に現れる、といったことは出来ない。上空を光で出来た道を不可視の存在となって風より早く移動するような感覚。時間にすれば数秒のことなのだけれど、その間の不思議な感覚は今も昔はお気に入りだ。
光の道の先には大きな光が見える。光がある場所が転移の目標地点、ウーアの街の一角。
近づくにつれ、大きな光は小さな光が集まって出来ているのがわかる。その光の一つ一つが光の精霊で、彼らが私を導いてくれている。この転移魔法は別名を『光の道』という聖女のみが使うことのできる魔法のひとつで、普通の人が扱う転移魔法とは根本的に異なるが、見た目にはあまり大差のない魔法。だからもし転移を見られたとしてもなんとか言い訳が出来るはずだ。
あっという間に大きな光は目前に迫り、そこで私はありえないものを見た。
……光の中に、人がいる?
逆光でどんな人なのかはわからないが、間違いなく誰かがそこに立っている。
ありえない、そんなことがないように精霊に導いてもらっているのだから。到着地点に人が入り込まないように精霊が細工してくれているはずなのに。
気合で軌道修正を試みるがすでに到着目前で気持ち逸れたかどうかといったところ。人影はすでに目前に迫っていて、反射的に目を閉じた。
結論としては、想像したような衝撃に襲われることはなく、最悪の事態になることは免れたらしい。
何かを踏んだような感覚に恐る恐る目を開いた私の視界に移ったのは誰かの頭。軌道が逸れたことによって私はその誰かの頭を踏みつけるような形で着地していた。
最悪の事態ではないけれど、それに近い事態であることは間違いない。とりあえず形だけでも謝罪しようと口を開きかけたその時、光が溢れ、押し寄せる光の奔流に耐え切れず目を閉じた。
しばらくして光が収まったのを感じ、ゆっくりを目を開く。
集まっていたはずの光の精霊も、光の中にいた人影もなく、少し開けたその場所にはぽつんと私が座り込んでいるだけ。
今まで……とはいっても前世の私がだが、この魔法を失敗したことは一度もない。今の魔力量も問題ないし失敗する要因がわからない。前世との違いといえば精霊が前よりよく見える、といったぐらいで失敗の原因になるとは思えないことだけ。
現時点ではわからないけれど、考え方以外にも変わっているところがあると考えるべきなのだろう。やはり聖女の力は出来るだけ使わないほうがいいらしい。
光の中に人影が見えた気がしたけれどそれも力を上手く制御できなかったための光の錯覚だったのかもしれない。光の精霊は錯覚を起こさせるのも得意だから。
――もしあれが本当に人だったら。
転移を見られたことより心配なのは、踏みつけた人が無事かどうかということ。転移してくる人間、つまり私は魔法で守られているのだが、その場にいる人はよくて大怪我、下手をすれば死んでしまってもおかしくないほどの衝撃を受けることになる。
幸いこの場に人は倒れていないのできっと錯覚だったのだろう。
……本当に、錯覚でよかった。
もし私が犯罪者にでもなっていたら、きっとシスターが粛清のために地の果てまでも追ってくる。
笑顔で追ってくるシスターを想像し、ぷるり、と身震いした。
倒れたヴィルの姿が頭を過ぎり、苦いものが込み上げてくる。……本当に、錯覚でよかった。
大きくため息をついて脱力すると、ひらり、と肩口から何か白いものが落ちてきた。