29 予期せぬことはいつでも起きる
凍える冷気の発生源はヴィルとマリウスの二人。
「先生と同室だなんて認められるわけないじゃないですか」
「もう少し教育者としての自覚を持ってください」
マリウスはクルト先生の教育者にあるまじき発言にお怒りらしい。確かに先生と二人きりでも私は気にならないが、一般的に考えておかしいことはわかる。
「それじゃあ君たちの部屋に入れてあげればいいよ。それじゃ、僕もう休むから」
「フィーと同室か。それなら問題ないな」
「問題あるに決まっているだろう。先生が俺たちの部屋に来るという選択肢はないんですか? 床が開いてますよ」
「フィー、俺と一緒のベッドを使えばいいよ」
「遠慮します」
「ヴィル、お前も大概にしておけ」
ひらひらと手をふり部屋に戻ろうとするクルト先生の肩をマリウスが掴み引き留めた。そして嬉しそうに私に向き直り問題発言をしたヴィルの頭を空いている手で掴むと、ぎりぎりと音がするほどその両手に力を込める。
「痛っ!」やら「冗談だって!」などという二人の声を無視するマリウスはとても爽やかな笑顔だ。普段そんな笑顔を見せることがないのでその爽やかさが逆に恐ろしい。
―馬鹿な事を考えているのはこの頭か?―
脳裏に笑顔のマティアスの姿が浮かぶ。
伸ばされるマティアスの腕が、痛いと感じる絶妙な力加減で私の頭を掴む。そんな状況になったのも昔の私が色々やらかしてしまったからなのだが、その時のマティアスの笑顔は今目の前のマリウスと同じ悪寒のする爽やかな笑顔だった。
――ああ、懐かしさと同時に寒気がする。
「エフィー、先生をこちらで預かってお前が先生の部屋を使うということでいいか?」
「別にマリウスたちと一緒の部屋でも床で寝るのも構わないけど……」
「先生の部屋を使え」
「ハイ」
こちらを振り返ることなく尋ねるマリウスに本心を素直に答えたのだが、どうやらその答えがお気に召さなかったらしい。爽やかな笑顔がこちらにも向けられたので、慌てて首を上下に振って了解の意思を伝える。
その時ふと部屋の中で人が動く気配を感じて顔を向けると、がちゃりと扉が開かれた。
「まったく、騒がしいですわ」
扉から顔を覗かせたのはもちろんリーゼ。
身に着けているのは制服ではなくゆったりとしたローブ状の簡素な服で、それが用意されているという部屋着らしい。普段は頭の高い位置で二つに分けて結んでいるツインテールが、休んでいた今その長い髪はおろされている。それが何とも無防備で愛らしく、ジークが病的なほど心配したり邪魔者を排除しようとするのも納得できてしまうほどだ。
「明日は早いのでしょう? 早く休みませんと。先生方も早く部屋にお戻りになってくださいませ」
「あー、問題も解決したようですし、そうさせてもらいます」
リーゼはそう言うと私の腕をぐいと引いて部屋の中へと引きこむ。そしてそのままばたりと扉を閉めてしまったのでクルト先生たちに挨拶をする間もなかったがまぁ問題ないだろう。
ぼんやりとベッドへ向かうリーゼの後姿を眺めていたのだが、私を振り返ったリーゼが訝しげな表情になる。
「エフィー?」
「あ、お風呂ってどうすればいいのかなって」
「明日精霊と契約するのですから明日の朝入ればいいのでは?」
ふと思いついたことを口にしたのだが、リーゼの思い切り寄せられた眉にそれが失言であったことに気づく。
精霊と契約しようとするならば、できるだけその直前に身を清めた方がいいというのが常識。フィーネであった時も契約していなかったし、契約していなくても精霊は力を貸してくれていたのですっかり失念していた。
「リーゼ、気分はどう?」
「心配いりませんわ」
「――ところで、リーゼって今まで契約しようとしたことないの?」
「どうしてですの?」
「うーん、リーゼって精霊との相性がすごく良さそうだから契約していないのが不思議で」
「……縛り付けるのは好みませんわ」
部屋着に着替え、部屋の左右の壁際に置かれたベッドに横になりると顔だけをお互いに向ける。
契約の事を聞くと、リーゼは寝返りを打って壁の方を向いてしまった。
「もう休みませんと明日に響きますわよ」
「そうだね。おやすみ、リーゼ」
「おやすみなさい」
こちらを振り返ることはなくそう告げると、リーゼは眠ってしまったようだった。
明日は早朝に出かけるはずで、その前にお風呂にいこうと思うとかなり早く起きなくてはいけない。私も早く寝ようと布団を頭まですっぽりとかぶって目を閉じた。
明かりを落とした部屋の中を照らすのは窓から差し込む月明かりのみ。けれどその明かりで寝返りを打つ前、リーゼの表情が一瞬苦しそうに歪むのがわかった。
リーゼは縛り付けると言っていたが、精霊との契約は精霊を自分に縛り付けるようなものではない。契約というのは精霊が気に入った相手に持ちかけるものだから。
二百年の間に魔法の発動に鍵言葉を使うことが常識となったように、精霊との契約も何かしら変化しているのかもしれない。もう少しこの時代の魔法をきちんと勉強しておけばよかったのだが、今更後悔してもしかたがない。それにクルト先生は契約についての詳しい説明は明日してくれると言っていたので、一般には知られていない事なのかもしれない。
精霊との相性はその人の持つ魔力の質と強さによって決まる。だから精霊の姫とまで呼ばれるほどに精霊と相性の良かったリーゼロッテと同じ魔力のリーゼが精霊から好かれないはずがない。リーゼは間違いなく契約に成功するだろう。
――私は?
精霊が見えるのだから相性が悪いわけではない。前向きに考えるなら、気持ち悪くなるほど見えるのだからリーゼ同様に良すぎるのではないだろうか。後ろ向きなことは考えると限りなく凹みそうなので考えないようにして。
明日は先にリーゼに契約してもらって参考になるかどうかはわからないが様子見はするべきだろう。精霊たちに溺愛されていたリーゼロッテなので、あまり参考になるとは思えないけれど。
いくら考えても無駄、考えていないで早く寝るべきなのに。
そう思えば思うほどなかなか寝付くことができなかった。
「エフィー、もうみんな待ってますわよ!」
「ごめんっ、すぐ行く!」
……案の定、寝坊してしまった。
寝坊したとはいえ、孤児院での習慣からちゃんと明け方には目が覚めたのだが……すでに他のみんなは準備を終えている。
持ち物は無いに等しいので着替えれば準備完了。寝癖で髪がピンとはねているがそれは普段通りで問題ない。
「お待たせ! 行こう、リーゼ」
「……リボンが曲がってますわ」
呆れた様子でリーゼがリボンを結びなおしてくれた。手早く直し、小さく頷いたリーゼは扉を開けて部屋を出る。
「早く行きますわよ」
「うん」
リーゼの体調は良くなったようで、顔色も戻り前を歩くその足取りもしっかりとしている。私はともかくリーゼは契約を無事に終えられそうだと安堵した。
階段を下りた先の食堂にも玄関にも誰の姿もなく、すでにクルト先生たちは外で待っているらしく外に数人の気配を感じる。
「ああ、やっと来ましたね」
「遅くなってしまい申し訳ありません」
外にでると男性陣三人と女将さん、そして四頭の馬が私とリーゼを出迎えた。
ここから契約を行う場所まで馬で移動するということなのだろう。
「ぎりぎりですが大丈夫ですよ。それより現地までは馬でいくことになるんですが、アンネリーゼ君は馬に乗れますか?」
「乗れます」
「では乗れないのはエフェメラ君だけですね」
クルト先生の言葉に驚いたような視線が一斉に私に集まる。
まるで馬に乗れるのが常識だと言わんばかりの驚きようだが、リーゼが乗れるというのだからそれが現代の常識なのだろうか。
用意されている馬の数から考えるとあながち間違いでもなさそうで、一匹だけ簡素だが馬具が付けられている馬がリーゼ用なのだろう。
「何であの人は馬の乗り方を教えていないんでしょうね……」
「孤児院に馬を世話する余裕なんてありませんし、村から出ることはありませんでしたから」
「はぁ……それじゃ、エフェメラ君はまた僕と同乗で」
ため息をついて手招きするクルト先生へ踏み出した私を横から伸ばされた腕が制する。見上げた先には普段と変わらない笑みを浮かべるヴィル。
「何かあった際には先生に対応していただかないといけないのですから、俺のほうが適任だと思いますよ」
「うーん、それじゃあ君に任せようかな。ヴィルヘルム君」
「はい。そういうことだからフィーは俺と一緒ね」
ヴィルの提案をあっさりと承諾したクルト先生はひらりと馬にまたがる。それに続いてマリウス、そしてリーゼも難なく馬に跨った。
リーゼが馬に跨る様子をぽかんと眺めていた私の腕をいつの間にか馬に乗っていたヴィルが引き、馬上へと引き上げられる。
「では女将さん、お世話になりました」
「はいはい、またお待ちしてますよ」
「みなさん、離れないように着いてきてくださいね」
「はい」
女将さんに見送られ、私たちを乗せた馬はあっという間に町を出た。
町を出てすぐに街道から外れ、あまり人が通った形跡のない草原を進む。しばらく進むと草原の先に森が見えてきた。
途中、甲斐甲斐しくヴィルが馬の乗り方を教えくれ、シスターに鍛えられた運動神経の甲斐もあって手綱を握れる程度にはなっていた。この調子なら帰るまでにはある程度乗れるようになっていることだろう。
森に差し掛かった時、クルト先生は馬の速度を緩め私たちを振り返る。
「ここから先は魔法は極力使わないようにしてくださいね」
「何故ですか?」
「精霊が好む環境に悪影響があるからですよ」
精霊が好む環境といえば自然が溢れる場所ということだろうか。首を傾げつつ、森の中へと続く細い道をクルト先生、マリウス、私たち、リーゼという順で一列になって進んでいく。
ぴりり、とした空気が流れる。
自然界にも魔力は存在するが、この森の中はそれが特に強く感じられた。私たち森に入ったからなのか、不自然な魔力の揺らぎがある。そのため気配が掴みにくくなり、ソレに気づくのが少し遅れてしまったのだろう。
「クルト先生……」
「そうそう、言い忘れてましたがこの森野盗が出るので気を付けてくださいね」
「そういうことは早く言うべきだと思います」
傍から見れば私たちは丸腰の学生とその他一名。この制服を知っていれば多少警戒するのだろうが、周りの気配にそれは感じられない。仕掛けやすい場所に出るのを待っているだけのようだ。
「大丈夫です。精霊と契約している僕ならある程度の魔法を使っても問題ありませんから。
ただ、君たちが下手に魔法を扱えば暴発する恐れがあるので控えてくださいね」
クルト先生が魔法を使えるのなら大丈夫だろう。私もシスター仕込みの体術で数人程度の野党の相手なら問題なくできる。
相手が動くのはもう少し先だろう。
たとえ魔法が使えなくても十分対処できるだろう。
その油断と等しい考えは、私たちに襲い掛かってきた炎によってかき消された。
前方から突如と出現した炎の渦が私たちを飲み込む。
火傷を負うこともなく、熱いと感じることすらないのはクルト先生の魔法によるものだろう。先生は魔法で周りに真空の壁を作っているらしい。もちろん私たちがいる場所は真空ではないが閉鎖された空間なので早くこの炎に対処しなくてはいけないが。
「きゃあああっ!」
「リーゼ!」
悲鳴に振り返れば馬上に崩れるリーゼとリーゼを落ちないように支えるフードをすっぽりとかぶった人物。
私たちの馬とリーゼの馬とはそう離れてはおらず、気合いを出せば飛べる程度の距離。
「フィー!!」
「ヴィル!」
ヴィルの腕を振り払い、思い切って跳躍する。咎めるような声が聞こえるが構っている暇はない。
背後でヴィルの魔力を感じ視線だけを向けると、マリウスに制されたヴィルは表情を歪め、唇をかみ締めていた。
もう少しで馬具に手が届くといったところで伸ばした手がむなしく空を切る。
地面との激突に身構えた私の腕を節ばった手が掴み、ぐいと強く引く。そのおかげでなんとか馬上のリーゼとフードの人物との間に体を入れ、腕を掴むフードの人物を見上げた。
フードから覗くのは小豆色の髪につり目がちな緋色の三白眼。一瞬だけその男と目が合ったが、腕を掴んでいた手が目を覆い視界が奪われると同時に意識も飛んだ。
――目が覚めた時、私は木々に囲まれた泉の中心の浅瀬に放置されていた。




