28 その上司にその部下あり
クルト先生が事前に連絡していたという宿は小ぢんまりとしたよく手入れされ過ごしやすそうな宿だった。
中に入ると小柄で人のよさそうな女将さんらしき女性が私たちを出迎え、リーゼよりもなお小柄な彼女は私たちを見上げてにっこりと笑う。
「お待ちしてましたよ。お部屋はこちらの三部屋です。夕飯の準備もできていますから荷物を置いたら食堂へ来てくださいね」
「ありがとうございます」
案内されたのは宿の二階にある三部屋。クルト先生が女将さんから鍵を受け取り、私とマリウスに鍵を一本ずつ渡した。鍵についているタグに部屋番号が書いてあり、扉の部屋番号を確認してみると私とリーゼが並んだ三部屋の真ん中であることがわかる。両隣の部屋をクルト先生、そしてマリウスとヴィルが使うらしい。
私たちは鞄をジークに預けてきたので荷物は何も持っておらず、持ち物は鞄を預ける際に鞄から取り出しポケットに入れたハンカチぐらいだ。
クルト先生は部屋の扉を開け、持っていた大きくはない鞄を入り口付近に置いて扉を閉める。
「それじゃ食堂に行きましょうか。食事をしながら確認しておきたいこともありますし」
「今後の予定ですか?」
「そんなところです」
クルト先生を先頭にぞろぞろと階段を下りて食堂へ行くと、すでにテーブルの上にはおいしそうに湯気を上げる料理が並べられていた。ふわりと漂う香草の香りが食欲をそそる。
各自が適当に席に座ると女将さんがお茶を配ってくれた。
「ありがとうございます。それでは冷めないうちにいただきましょうか」
「はい」
リーゼはクルト先生と一緒の食事は落ち着かないようで、ちらちらと不安そうな視線をクルト先生に向けている。一方ヴィルとマリウスは気にする様子などなく黙々と食事を平らげていた。
男性陣はさっさと食事を終える。私も彼らと同じペースで食事を取ることはできるがリーゼが気にするだろうと、普段よりじっくり咀嚼したりしてリーゼのペースに合わせて食事をすすめる。不安からなのか、リーゼの食事は普段よりも時間を必要としていた。
「とりあえず確認しておきますね。エフェメラ君とアンネリーゼ君は気にせず食事を続けてください」
その言葉に頷き、咀嚼しつつ男性陣の様子を眺める。
クルト先生は肘をついて顎を乗せ、空いた手の上でフォークをくるりと一回転させてからフォークの先を向かいに座るヴィルとマリウスに向けた。
「マリウス君とヴィルヘルム君は精霊が見えない?」
「はい」
「残念ながら」
「マリウス君なら光の精霊が見えるかと思ったんだけど」
「神聖魔法を扱う人間は分類すれば光属性ですからね。ですが俺の場合は相性が悪いようです」
「俺は得意なのは水だけど、マリウスと同じで精霊を見たことがないな」
「これは魔力の強さだけではなく相性ですからね」
マリウスは本当に精霊が見えていないのだろうが、ヴィルが見えないというのはどうにも信じられない。
精霊が見えるかどうかに重要なのは精霊との相性だが、魔力が高い人間の多くは精霊と相性がよい。そもそも精霊が魔力を好む存在なので、絶望的な相性でも魔力で相性を補うことだってできるのだ。信じがたいが、マリウスの場合はその高い魔力でも補うことのできないほど絶望的な相性だということだろう。
水はともかくとして、ヴィルは元魔王だけあって隠してはいるが魔力は高いどころではなく人間のそれを限界突破している。そもそも闇の精霊との相性が悪いとは思えないし、本来の魔力量から考えると見えないはずがないのだ。
力の事を隠しているのだから、見えていたとしてもこの場で本当のことを言うはずがないので後でこっそり確認してみればいいだろう。
「それじゃあ明日契約に挑戦するのはエフェメラ君とアンネリーゼ君の二人ですね」
「はい」
「……申し訳ありませんが、馬車に酔ってしまって気分がすぐれませんので先に部屋に戻って休ませていただきますわね」
食事をやっと半分まで進めたところで、リーゼは手にしたナイフとフォークを下ろす。リーゼは貴族のお嬢様なのだから普段使う馬車はきっと揺れの少ないものなのだろう。四時間も慣れない普通の馬車に揺られていたのだから酔ってもおかしくない。
「わかりました」
「リーゼ大丈夫?」
「ええ、少し休めばよくなりますわ。鍵、お借りしますわね」
「私も一緒に――」
「それよりエフィーには、明日の予定を聞いて後で教えてもわらないと困りますもの」
「クローゼットの中に部屋着があるからね」
「はい。それでは失礼します」
鍵を受け取り部屋へと戻ってしまったリーゼを見送ってその視線をクルト先生に向けると、先生は少し肩をすくめて苦笑した。
「大丈夫ですよ。この宿の安全性はバッチリです」
「いえ、安全面ではなくてリーゼの体調が心配です」
「それも問題ありません。体調が悪いようなら診てもらえますよ。ここの女将さんは元医師ですから。
――正しくは、軍医のくせに最前線で戦闘をこなしていたアンリ=ブラウンの部下です」
「シスターの……?」
シスターの名前を出す際クルト先生は、やさぐれた様子で顔を背け手にしたフォークをくるくると回していた。そして指を立てる代わりにフォークを口元に当て、真剣な顔つきになる。
「思うんですよ、あの女将さんは伝説の種族のドワーフじゃないかって。だって小柄なくせに最前線で斧振り回してたんですよ!?」
「そうなんですか」
「誰がドワーフだって?」
「ここの女将……ごふっ!」
ぼやきながら一気にお茶をあおったクルト先生の肩に手が置かれ、何気なく答えて振り返った先生が思い切りむせかえった。
女将さんは笑顔だが、クルト先生の肩に置いた手がぎりぎりと音を立てて肩にめり込んでいて、かなり力が入っているのだとわかる。
「ところで、どうしてそれをクルト先生が知ってるんですか? 見ていたかのような言い方ですが」
「その場で見てましたから」
「……はい?」
クルト先生と女将さんが顔を見合わせ、溜息をついて先生が先に視線を逸らせた。その様子に女将さんはにやりと笑みを浮かべて先生の背中をはたく。
ばしっと小気味よい音がしてクルト先生が恨めしそうな視線を女将さんに向けるが、女将さんは気にする様子もなく私に向き直った。
「あらやだ、お嬢さん知らないのかい? この男も元軍人であの人の部下だったんだよ」
「あー、薄々そうじゃないかとは思ってましたが、気のせいだと思い込もうとしていました」
元軍人だったというシスターの知り合いだということや以前借りた軍馬のことなどから、そうじゃないかなと思っていたので驚きは少ない。話によるとエリートらしいシスターの部下ということはクルト先生もエリートということだろう。残念ながらそうは見えないが。
「そんな過去どうだっていいでしょう」
「まぁねぇ。それよりアンリがシスターとか聞こえたんだけど」
「それはかくかくしかじか以下省略です」
「あんた、あたしに喧嘩売ってんのかい?」
再び女将さんの手がクルト先生の肩にめり込み始めたので、慌てて私からシスターの説明をした。クルト先生は説明する気がないようだし、明日の事を考えると今怪我をされるのは困る。怪我をするのなら契約を終えて帰ってきてからにしてもらわなくては。
「アンリが元気そうでなによりだよ。一度その孤児院を訪ねてみたいねぇ」
「シスターも喜ぶと思います」
「今よりあそこの子供たちが悪化したらどうするつもりですか」
女将さんが訪ねてくれればきっとシスターもちびたちも喜ぶだろうと思っていると、すっかりやさぐれたクルト先生がぼそりとぼやく。その声は小さくて私でも聞き取れるかどうかといったぐらいだったのだが、隣にいた女将さんにはしっかりと聞こえたらしい。
「何が悪化するんだい?」
「いえ別に。明日早いのでそろそろ失礼しますよ」
目が笑っていない笑顔で詰め寄られたクルト先生は、目を逸らしながらも顔の前で手のひらを遮るように広げてそくささと逃げ出す。どうやら昔の同僚だからなのか、女将さんの事が苦手なようだ。
「君たちも早く休んでください」
「はい」
クルト先生は食堂を出る間際にこちらを振り返り一言告げ、それに対する私たちの簡潔な返答が揃う。そして私たちも女将さんにお礼を言って食堂を後にした。
小さな宿なので食堂を出て階段を上がればすぐに今日泊まる部屋は目の前。鍵はリーゼに渡して手元にないのでそのままドアノブに手をかけた。
「……鍵がかかってる」
「かけなければ不用心だろう」
「リーゼ?」
扉を叩いて名前を呼んでみても反応はない。まさか食堂からのこの距離で何かあったのではないかと心配になるが、そういった気配は感じなかったし私以外にも誰も異変を感じてはいないはず。部屋にはリーゼらしき気配もあるのだから考えられることは一つ。
「寝てるみたいだね」
一瞬僅かなヴィルの魔力を感じたが、マリウスやクルト先生には気づかれてはいないだろう。闇の属性を帯びた魔力は感知しづらく、私も対極に近い力を持っているからこそ気づけるにすぎない。
魔力によって室内の様子を探ったであろうヴィルが「どうする?」と尋ねるような表情でこちらを見ている。
「体調が悪くて休んでいるのを無理に起こすのは気が引けるわ」
「ではどうするんだ? まさか廊下で寝るわけにもいかないだろう」
「――マリウス、仮にも女の子に向かってそれはないよ」
「まぁ寒い季節でもないし、毛布の一枚でも貸してもらえればここで寝ても……」
「ダメに決まってるでしょう」
マリウスが私を女扱いしていないことを再確認したところで、私たちの様子に気づいたクルト先生が部屋から出てきたらしい。
廊下の壁にもたれて腕を組み、先ほどより軽装で気怠そうに眼を伏せるクルト先生からは無駄な色気が放たれている。
「どうしたんです?」
「リーゼが寝てしまっているらしくて入れません」
「――僕が開けてあげましょうか」
私の言葉にクルト先生が歩み寄り、伸ばされた先生の指が私の喉元から顎まで辿る。そして先生は妖艶な笑みを浮かべて囁いた。
「開けられるんですか?」
「魔法で吹き飛ばすだけですから」
「それは開けるのではなく破壊です」
思わず残念なものを見る目をクルト先生に向けてしまったのは仕方のないことだと思う。表情を変えずにつっこむマリウスはさすがとしか言いようがない。
私の反応が面白くないのか、クルト先生は髪をかき上げて溜息をついた。どうでもいいが、クルト先生の望む反応をすることはありえないので私で遊ぶのはやめてもらいたい。
「僕が何かすることはあり得ませんし、エフェメラ君も気にしないでしょうから、エフェメラ君が僕の部屋にきますか?」
ため息交じりにクルト先生がとんでもないことを提案し、その瞬間ぞくりと酷い寒気に襲われた。




