25 拒否権は存在しない
「――以上のように配役は決定しました」
遠くにマリウスの声を聴きながら、ぼんやりと視線を窓の外に向ける。
風が緑の匂いを運んでくるさわやかな新緑の季節。一方私の心は暗く沈んでいた。
昨晩本棚の奥に突っ込んであった入学案内書を見返してみれば、二大イベントとされる年に二回他学科との合同イベントがあると記載されていた。それは初夏に行われる交流会と、晩秋に行われる大祭と呼ばれるもの。
交流会は騎士科の大きな会場を使用してのお茶会であり、そこでそれぞれの科が出し物を行う。多くの時間は歓談のために使われる比較的ゆったりとしたものだそうだ。一方大祭というのは二日間にわたって開催される、所謂模擬戦をメインとしたものらしい。
交流会はお茶会での歓談が目的とされていて、その場を盛り上げるために出し物をするということらしい。
出し物をするのはそれぞれの科を代表する人間となり、魔法科以外からも多くの人の注目を集めることは間違いない。
確かに主役ではないが準主役。目立つ要素は十分にありすぎる。しかもそれぞれの科は同じ学校というくくりだがライバル関係にあり、他の科より優れた出し物にしようとかなり力が入っているらしい。
この際魔王役で被り物でもして完全に顔を隠してしまえばよかったのかもしれないとすら思えてくる。シスターの事もあるのだから、注目されることは間違いないだろう。
「嫌すぎる……」
「ほう。俺の進行が気に入らないと?」
その声に視線を戻せば机に置かれた腕が目に入る。その腕を辿るように視線を上げればそこには無表情でこちらを見つめる魔王がいた。
思わずこぼれ落ちた呟きは、いつの間にか隣に立っていたマリウスに聞かれてしまったらしい。その威圧感はさすが魔王役に選ばれることはあると納得させるものだ。
「前に出ろ」
「ハイ」
マリウスに首根っこを掴まれるようにして教卓の前へと引きずりだされる。その後端役の生徒たちが名前を呼ばれ、同じように前に出た。一応このクラスの中の出演者を簡単に紹介するらしい。
「……ラフィカ、王様役やるの?」
「はい! 本当は騎士がよかったのですが、決まったからには全力で演じさせていただきます!」
真っ直ぐな瞳でそう言うと、ラフィカは満面の笑みを浮かべる。するとSクラスでは少数である女子生徒から黄色い声があがった。
ラフィカはその人柄から男女の隔てなく人気がある。父親が軍に所属している騎士らしいので騎士科での知名度も高いのは間違いない。それなのにリーゼロッテ役にラフィカが選ばれなかったことが不思議でならない。確かにラフィカならば見目麗しい王になることは間違いないが、実際の王を知るので違和感も大きい。
ジークムントの顔は母親である王妃似で、髪や瞳が父親である王と同じだが王はどちらかといえばいかついおじ様。常に王妃と一緒にいる万年新婚夫婦であり直情的な王を王妃がうまくコントロールしていた印象を受けていた。そう考えると真っ直ぐな性格のラフィカにとってかなりのはまり役なのかもしれないが。
「――他の生徒の分担は今配布したプリントに記載されているとおりです。何か質問はありますか?」
生徒の座席は階段状になっているので少し見上げるようにしてマリウスが問えば、おずおずといった様子で一人の男子生徒が手を上げた。
「あの、メインキャストなんですけど……失礼ですが、他の方に比べてシェンクさんは舞台映えしないと思うのですが……すみません」
私と同じようにメガネをかけた他の男子生徒よりも小柄の彼は、ぎりぎり聞き取れる程度の声でそう発言すると、体を縮こませて顔を伏せた。その隣では尊大な態度でふんぞりかえる男子生徒。興味がないので名前は知らないが、私と目が合うとにやりと笑みを浮かべたのでまず間違いなく今の発言はこの男子生徒が言わせたのだろう。
その言葉にマリウスはぴくりと眉を動かして、鋭い視線を尊大な態度の生徒に向けた。
「配役に関しては決定事項だ。相応しくないと思えば代表で代役を決めるだけであって、代表の決定に関して一般の生徒の意義は認められていないはずだが?そもそも選ばれた側の人間にも拒否権はない。俺が魔王を拒否できないようにな」
最後は吐き捨てるような言い方になっていたが、その瞬間教室の温度が数度下がったような錯覚を覚えた。マリウスが魔王役を心底嫌がっているのは事実なのだろう。
マリウスの鋭い視線にメガネの生徒は気の毒なほどにさらに体を小さくし、尊大な態度の生徒は面白くなさそうに顔を背ける。教室には生徒たちの戸惑いを隠せない、微妙な空気が流れた。
「いかに舞台映えするようにするかというのも魔法科の腕の見せ所となる。幻影魔法や舞台効果に使えそうな魔法が得意そうな生徒をこちらで選ばせてもらったが、できそうなことがあるという場合は連絡してくれればこちらで検討させてもらう。エフェメラ=シェンクを舞台映えするようにするのが我々の使命でもある!」
マリウスの言葉に一瞬どよめき、ぱちぱちと拍手が沸き起こる。そして拍手は次第に大きくなり、最後は歓声へと変わった。
それはSクラスの生徒の心が一つになった瞬間といえば聞こえはいいが、その理由が私を見られる状態にするというものとは如何なものか。
確かに毛先ははねているし、他のお嬢様方と比べれば髪に艶もなくぼさぼさだ。それに大ぶりのメガネが印象を暗くしているのかもしれない。確かにリーゼたちと比べれば見劣りすることは間違いないし、自分で好き好んでこの状態にしているのだから仕方がないとは思う。けれど、この状況はちょっと酷いんじゃないだろうか。
「いっそ幻影魔法で顔を変えてしまうとか?」
「馬鹿だな、違和感なく他人の顔を変え続けるのは高度すぎて無理だろ。本人がその魔法を使うのであれば話は別だろうけど……」
「――女子の化粧に期待だな!」
「だな! あとは衣装で誤魔化していっそシェンクさんだけ逆光とか……」
中段のあたりから、そんな会話が聞こえる。
つまり私は見るに堪えない顔だから、どうにか改造しようということか。
少しばかりの殺意を抱くのは自然の摂理。注意がてら粛清するのはきっと合法、恐らく合法。
さてどうやって彼らを呼び出そうかと考えを巡らせていると、よく通る声が彼らを一喝した。
「貴方たちの目は節穴ですか! エフェメラさんは素晴らしい方です!! その実力に奢ることもなく誰かを見下すこともありません。彼女なら魔王をもたやすく葬り去ってくれるでしょう!」
拳を握り熱く語るラフィカを生徒たち、マリウスまでもが呆気にとられた様子で見つめている。
そもそも演劇で魔王を倒すのは聖女役と勇者役であるリーゼとジークであり、リーゼロッテ役の私が倒したらダメだ。それ以前に魔王マリウスを倒せる気が全くしない。
あの一件以来たまに熱い視線を感じることがあり、クルト先生のアドバイスにより可能な限りラフィカに関わらないようにしていたのだが、やはり父親と同じように負けた相手に傾倒するという病気はしっかり遺伝していたらしい。
「はいはいラフィカ君落ち着いてー。それじゃ残りの時間はそれぞれの役割ごとに他のクラスの教室に集まることになってるから移動してくださいね。場所はマリウス君が教えてくれるから」
それまでずっと存在感を消していたクルト先生が突然ラフィカの背後に現れ、彼女の口を手で塞ぐと教室の外へと連れ出してしまった。「拉致?」などと戸惑う声が聞こえるが、マリウスは空気を読んで拉致についてはあえて触れないことにしたらしい。
「では時間ですので衣装担当はSクラス、効果担当はAクラス。設置担当はBクラスに移動してください」
ちなみに設置担当というのは大道具や小道具など以外にも照明なども含まれている。一方効果担当というのは魔法による舞台上の効果全般を受け持つ人を指す。実際講演会の出し物での真の主役は魔法を使う効果担当であり、男子生徒の多くが希望するものでもある。反対に多くの女子生徒に人気があるのが表舞台に立つ出演者だ。
Sクラスの教室には出演者と衣装担当が集まり、必要な衣装の確認や採寸などが行われていた。――とはいえ、まだ完全な台本が仕上がっている状態ではないので衣装の確認はこういった衣装が必要なんじゃないかと女子生徒を中心にして紙にデザインを描きだしているだけだ。
私は急遽用意された衝立の奥で渋々採寸されていた。ちなみにリーゼはさらに奥の衝立の向こう側で採寸されている。
「貧相ですね」
私のサイズを測り終えた女子生徒が笑顔で毒づく。さすがにその貧相なサイズを声に出すことはなかったが、にこやかな笑顔の裏には言葉通りの嘲りがはっきりと見て取れる。
お嬢様方と違い、こちらはぎりぎりの食生活を送っていたのだから肉付きが良いわけがない。しかし飢えるようなこともなく、健康的に過ごせる程度にはしっかりと食べさせて貰えていた。他の孤児院の状況は知らないので比較しようがないが、私の暮らしていた孤児院はとても恵まれていたのだと思う。
「エフィーが貧相なら私は底辺ですわね」
突然の声に採寸をしていた女子生徒がはっとして振り返る。リーゼの手には私の採寸データが記載された紙が握られていた。
確かにリーゼは小柄なので全てにおいて私よりもサイズが小さいことは間違いない。しかしそれはリーゼの魅力を落とす要素ではないし、もし胸が大きかったとしてもアンバランスすぎて逆にリーゼの可愛らしさを損なうだろう。
「いえ、決してそんな意味では……!」
「そうなの? それならばエフィーをスレンダーで魅力的だと思っていた私の見る目がなかったということかしら」
「いえ……」
「――まぁいいわ。マリウスやヴィルが待っているから早く行きましょう」
否定する女子生徒に小首を傾げて言葉を続けるリーゼ。しかし興味がないとばかりに話を切って女子生徒を一瞥すると私の背中を押して外へと促す。
……一瞥したその瞬間のリーゼは表情を消していて、その無表情は私にマリウスを彷彿とさせた。
衝立の外に出て教室の片隅にいたヴィルが私たちに気づいて小さく手を上げる。その隣にはマリウスが周りに目を光らせていた。
「あれ、どうかした?」
リーゼにヴィルが不思議そうに尋ねると、リーゼは憤りをあらわに先ほどの出来事をご丁寧に説明しだした。
説明を聞き終えたヴィルは勝ち誇った笑みを浮かべ、マリウスはむっすりと眉を寄せる。
「わかってないな、フィーの胸はまだ発展途上なだけなのに。まぁ俺はどのサイズでも構わないけれど」
「大きければいいというものではないですわ。大きすぎるのも下品なだけですし」
「……悔しいのならば豆でも食べておけ」
「――っ、そんなことはありませんわ! ……で、どのような豆を食べればいいんですの?」
ぼそりと呟いたマリウスの小さな声にリーゼは思い切り否定しつつ、とても素直に尋ねた。やはりそうとう悔しかったらしい。
――とりあえず、そういう事は周りに聞こえない声で言うべきだと思う。




