22 遅かれ早かれ
ジーク以外がなんともいえない表情で黙り込み、言葉にしがたい微妙な空気が場を支配する。居たたまれずにお茶でも入れようと席を立った。
第三会議室には小さな給湯室が併設されていて、お茶を入れたり簡単な調理をすることができる。そこに逃げ込むように滑り込んだ。
ここを使う者のために用意されているので好きに使ってよいという茶葉の入れられた瓶のふたを開けばふわりと香りが漂い、このお茶が高級品であることが窺い知れる。貴族が多く在籍してるだけはあるが、さぞかし経費がかかっているに違いない。
少量の茶葉を取り、指ですりつぶして香りを確認してぺろりと舐める。シスターの教えによれば、これで大まかにお茶の葉の特性を掴むことができると同時に、ある程度の危険を回避できるのだそうだ。
孤児院で培った違和感なく飲める限界の薄さのお茶を入れる技術を駆使してお茶を注ぐ。微々たるものとはいえ経費を節減することに成功したことに満足し、私にとっては渾身の出来であるお茶を配り、自分も適当な席についてお茶をすする。
全員が無言でお茶を飲み一息つくと、ゆっくりとリーゼが口を開いた。
「とにかく、私は殿下との結婚生活だけは無理ですわ」
自身を抱きしめるようにしてぶるぶると身震いするリーゼ。王妃になるという重圧などを恐れているというよりも、本気でジークの奥さんになるということを嫌がっているようにも見える。
「リーゼ?」
「殿下と許婚という話が出てからというもの、悪い夢を見ることが増えたんですの」
そっと両手をリーゼの肩に添えると、彼女は細く息を吐いて視線を床に落とした。
「大丈夫だよ、どんな悪夢からも僕がアンネを守るから」
無駄にきらきらとした笑顔でジークが両手を広げてリーゼの元へと歩み寄る。リーゼはびくりと大きく震え、私の右腕に自身の腕をからめるようにして私の影に隠れた。
リーゼに逃げられたジークは落胆することもなく、やはり笑顔。――前世では恋人であったとはいえ、これはちょっと気持ち悪い。
その気持ち悪さから視線をずらすと、テーブルに肘を付いて顎に手を添えたマリウスと視線が合い……何故か溜息をつかれた。その溜息は私にではなくジークに対してだと思いたい。
「どんな悪夢なんだ?」
「僕が守るとかいいながら、私にどこへでも付きまとう夢ですわ。それだけでなく執務にも連れ回されるんですの。安全上の問題も自分と私の実力があれば問題ないと言い放ち、離れると自分の心の平穏が危ないなどと戯言を……」
「しかし、それはすべて夢なのだろう?」
リーゼは私の影からジークと目を合わせないようにマリウスに答える。その答えにマリウスが眉を潜めたが、ジークは不思議そうに首を傾げた。
「愛し合う二人が一緒にいることに何の問題があるというんだい?」
「殿下は度が過ぎるんですわ!」
ジークに否定する気はないらしい。
つまりリーゼが言ったことは夢で見た話にすぎないけれど、常にリーゼと共にありたいと考えているジークがその夢と同じ行動をしても不思議ではないということだ。
「えっと、リーゼは愛されてるんだね?」
「誇張でなく四六時中ですのよ!? お花を摘むのにもついてきますわ」
「あー、それはきついわね」
「とにかく夢が生々しくて、夢とは思えないんですの」
「――確かに、僕もその様子が容易に想像できる」
いくら愛しているからといって、どんな時もどんな場所でもべっだりとくっついていられては息が詰まる。何事にも適度な距離感というものがあるはず。
少しだけ間を空け、ずっと笑みを湛えていたジークがふっと真面目な顔で天を仰ぎ呟く。その様子に気づいてしまった。
きっとリーゼの見た夢は夢ではなく、リーゼロッテの記憶の一部なのだ。だからジークムントとして同じ時を過ごしたジークにもその光景が容易に想像できるのではないだろか。記憶は戻っていなくても、既視感を感じたり夢に見たりしても不思議ではない。
リーゼが悪夢を見るようになったのはジークとの偽りとはいえ許婚、ゆくゆくは夫婦となるという話が出てからだというのだから、それに刺激され前世の記憶が少しだけ戻りかけている。そして追い討ちをかけるように前世に関係の深い人間が集まったために、ジークに関する以外の記憶もぽつぽつと戻ってきていると考えて間違いないだろう。
この様子では、遅かれ早かれリーゼは前世の記憶を思い出し、それにつられるようにジークもジークムントの記憶を取り戻す確率が高い。
マリウスはマティアスであった頃と同様に口数が少なく表情も読み取りにくいのでわかり辛い。口数が少ないのは必要以外はあまり話さないからなのだが、マリウスがもし何か思い出したとしても話す必要があると思わない限り私たちに話すことはないということだ。
彼らが前世を思い出した時、私は何と声をかけるべきなのだろう。どうしたら赦されるのだろう。
懐かしくも恐ろしい思いにキリキリと胃が痛み、それをごまかすように残ったお茶を一気に飲み干した。ちなみにヴィルは会った時にはすでに魔王――もとい、ヴィルフリートの記憶を持っていたので考えから除外している。
「げふっ!」
「大丈夫?」
――勢いよく飲み込んだお茶が気管に入ってむせてしまった。地味に苦しい。
甲斐甲斐しくヴィルが私の背中をさすってくれ、そんな私たちに三人の生暖かい眼差しが向けられていた。
「ごほっ……ジークがリーゼのことが大好きで、リーゼはジークのことを嫌いではないけれど結婚は無理だと思ってる――っていうことはわかったわ」
咳も何とか落ち着き、若干涙目のまま二人の関係を要約して話題を変えようとしたのだが。
「エフィー、仮にも殿下を愛称で呼ぶのは……」
「僕は構わないよ。学校は学ぶ場所であって、家柄なんて関係ない。どこに行っても殿下とか王子様とか呼ばれてうんざりしてたんだ。それに……彼女に初めて会った時から何か懐かしいとすら感じている。初対面でそんな感覚は初めてで不思議だったんだけど」
「あー……失礼しました」
つい無意識にジークと愛称で呼んでしまっていたとは失言だった。幸い本人が気にしないと言ってくれているし、公式な場でもなくこの場に私たち以外の人間もいないので問題になることはなさそうだ。
本当に王族は面倒だなどと考えていると、はっとした様子でリーゼが口を開いた。
「まさかエフィー、飼っていたという犬と間違えただなんてことは……」
「リーゼ、いくらなんでも人と犬を間違えたりはしないよ」
「そうだよリーゼ。フィーはちょっと思考に残念な部分があるだけだから」
「……ヴィル、一度じっくりとお話しましょうかー」
「フィーからのお誘いなんて珍しいな」
「まったくお前たちは……何故この部屋に来たのか忘れたのか?」
ヴィルの腕を掴んで引きずるように部屋を出ようとした私たちに、マリウスは盛大な溜息をついた。確かに目的を忘れかけていたことは事実だが、マリウスは溜息をつきすぎで幸せが逃げていかないかと心配になる。
「えっと……リーゼを追いかけてきたのよね。婚約者って話がでたところで急にリーゼが行ってしまったから」
「――本気で忘れていたな?」
「わ、忘れてたわけじゃないわ。ちょっと目的を見失っていただけよ」
「フィー、それは忘れてたって言ってるのと一緒だよ」
マリウスの視線が冷たい。
ジークとリーゼの関係は聞いたのだから話はこの終わったはずだ。しかしマリウスは視線をジークに向けると、丁寧に、それでいてトゲを感じる口調で訪ねた。
「で、王子様。わざわざ人目のある場所でわざわざ婚約者と言った理由は? 許嫁でもお互いの虫除けは十分だと思いますが」
「やだな、わかっていて聞くなんて。えっと……マリウス君、だよね」
「マリウスと。では、婚約者と言ったのはやはり意図的ということですね」
その言葉にジークはにっこりと微笑み、態度で肯定する。その様子にマリウスは少しだけ呆れたように肩を落とす。
「意図的とはどういうことですの?」
「リーゼ、ジーク……王子はリーゼの逃げ道をふさぐ気なのよ」
「逃げ道?」
「ジークでいいよ。むしろその方が友人らしくていい」
王子をすこし間を開けて付け足した私にジークが苦笑する。愛称のみで名を呼ぶことを認められたらしい。
「では遠慮なく……ジークはリーゼに愛着があるからリーゼを手放す気はない。だから結婚の約束をしているという婚約者という言葉にこだわっているんだと思う。許嫁自体は貴族ならそれなりにある話だろうし、絶対ではない。対外的にはほぼ婚約と同じ扱いかもしれないけれど、婚約は本人たちの同意あってのものだからやっぱり違うと思うの」
「うん、許嫁自体が嘘に等しいからね。それに現れるかもしれないライバルの戦意を喪失させるには婚約者っていうのは思いの外効果的なんだよ。実際ライバルが現れてもその芽はさっさと摘んでいるけどね」
ジークの言葉にリーゼがぱくぱくと口を開くが言葉が出ないらしい。少々きつく感じる言動をとるリーゼだが、それは貴族としての自覚と責任からくるものであって根はとても素直なのだ。
「へえ、どうやって摘んでいるのか興味あるな」
「確か君はヴィル君、だよね」
「ええ。ヴィルと呼んでください。俺もジークと呼ばせてもらいますから」
「ああ。せっかくだから敬語とかもなしで」
二人は愛称で呼び合うことで同意して頷きあい、ジークが一瞬意味ありげに私に視線を向けヴィルに向き直る。
「悪い虫は駆除したいものだよね」
「もちろん」
ヴィルがちらりとマリウスを見て、ヴィルと視線がぶつかったマリウスは眉根を寄せる。そしてマリウスは私を見て……溜息をついた。
「それなら簡単だよ。愛を取るか僕の敵になるかを問うだけさ。けれど……もし彼女から離れるようなら鳥籠に入れてしまうだろうけど」
「そうか、なら俺の場合は『天に召されるのと地獄に落ちるのとどっちが好み?』と聞けばいいか」
ジークが少し悪い笑みを浮かべてくつくつと声を漏らす。ヴィルは顎に手を当ててぽつりと呟いたけれど、二人の会話が何故成立しているのかがわからない。
そもそもヴィルの方は選択肢を与えているようで、実際は死一択じゃないだろうか。




