21 高嶺の花より手が届きそうな花
それはクラス移動が行われてから一ヶ月が経過し、やっと新しいクラスにも馴染んできたある日の昼下がり。
食堂に向かおうと教室を出た私たちは、廊下で一際目立つお知らせを掲示しようとしているクルト先生と遭遇した。
貼り付けたはずの紙が剥がれてきたり、やっと貼り付け終わった紙が斜めになっていて肩を落として紙を剥がしたりと、クルト先生はお知らせの紙が大きすぎるために苦労しているようだ。
「先生、手伝いましょうか?」
「あ、助かるよー。それじゃあそっちの端を押さえててくれる?」
「はい」
「フィー、俺がやる」
手伝いを申し出るとクルト先生はぱっと笑みを浮かべ、剥がし終わった紙の端を指し示した。私が紙を押さえようと手を伸ばすと、ヴィルが後ろからひょいと手を伸ばす。
確かに私より背の高いヴィルのほうが安定して押さえられるのは明らかなので、その言葉に頷いて手伝いはヴィルに任せることにした。
「魔法使えば簡単なんだけど、前にそれをやってカルラ先生にこっ酷く叱られちゃったんだよね」
「何したんですか?」
「その時は強化魔法でテープを強化したんだ。大きなポスターもがっちりと固定できて上手くいったと思ったんだけどね、いざポスターを貼りかえようとしたら……」
「――剥がれなかった?」
「そう。その時も今みたいにポスターを貼るのが上手くいかなくて、イラっとしてつい魔力を込めすぎちゃったみたい。それで効果が切れるまでにすごく時間がかかっちゃってね」
「それならばテープの部分だけ残して剥がすなり、他の掲示物を上から貼ってしまえばよかったのでは?」
私とクルト先生のやり取りを聞いていたリーゼが首を傾げる。
しかしその言葉にクルト先生はゆっくりと首を振った。
「入学式典での模範演技のお知らせだったから、つい飾りをいっぱいつけちゃって。それも立体的な造花で、その造花ごと強化しちゃって」
「先生は強化魔法の担当だし、相当頑丈な造花になったんじゃないですか?」
「そう、そうなんだよヴィルヘルム君! 僕って優秀な魔術師だからね。造花を残すか壁ごと壊れるけど造花を取るかで……」
「でも、壁を強化して造花をなんとかすればよかったんじゃないですか?」
「……エフェメラ君、僕の授業ちゃんと聞いてなかったでしょ」
何気なく尋ねた私の一言にぴくりと反応してクルト先生が振り返るが、その目が据わっていた。隣でリーゼが大げさに溜息をつき、ヴィルは少し困ったように眉根を寄せる。マリウスは我関せずとばかりに遠くを眺めていた。
「――君が強化魔法の特性が理解できてないことがよぉーくわかりました。すぐにでも補習をしたほうがいいですね」
「必要ありません。リーゼたちに教えてもらいますから」
「ふっふっふ、それは無理です」
「……どうしてですか」
「アンネリーゼ君たち三人は交流会の代表に決まっていますからね! これからやらなくてはいけない仕事がいっぱいあるんです!」
「交流会?」
首を傾げる私に、クルト先生は張り終えたばかりのお知らせを指し示す。
クルト先生が指し示す場所には一年生代表としてリーゼたちの名前が記載されていた。ちなみに二年生代表にはジークの名前もある。
「交流会っていうのはね、主に一年生が主体となって騎士科や普通科との交流する催しのことだよ。すでにある程度交流のある僕たち上級生はそのサポートに回るんだ」
とん、と肩に手が置かれ、耳元で説明するその声には聞き覚えがあった。まさかと思いつつも、無意識に体を強張らせ恐る恐る振り返る。
「ごめん、驚かせちゃったみたいだね」
ごめん、という言葉とは裏腹に悪びれた様子など全くなく、にっこりと微笑むその人はこの国の王子様であるジーク。間近で見詰め合うような状況だが、私が感じる感情は懐古のみでフィーネの頃の恋心はどこかに置き忘れてきたかのようだ。
視線をジークに向けたままぼんやりと考えを巡らせていたのだが、咎めるような声色を含んだリーゼの声で我に返り、慌ててジークから視線を逸らせた。
「……ジーク殿下」
「アンネ、一年生代表おめでとう。僕たちがサポートするからがんばってね」
「ありがとうございます。それよりもエフィーが気の毒なほど驚いていますので、そろそろ離れていただけますか?」
「はは、そうだね。すごく睨まれているみたいだし」
ジークにつられるように視線を向けると、微笑を浮かべたままこちらを見つめるヴィルと視線がぶつかる。その瞬間、ぞくり、と冷たいものが背中を伝った。
……間違いなくお怒りだ。さすが元魔王というべきか、その笑顔は氷のように冷たく突き刺さるかのように痛いという幻覚すら覚える。
一見すれば綺麗な笑顔なのでその怒りを向けられている人間以外は気づかないかもしれないが、その怒りの矛先を向けられている私とジークはその怒りをひしひしと感じ睨まれていると感じるのだ。
「そうだ、強化魔法についてなら僕が教えようか? 僕も交流会の代表だけど仕事の大半は一年生が担当するから仕事も少ないし、強化魔法は得意なんだ」
「ありがたいですが、殿下のお手を煩わせるわけには……」
「アンネの友人は僕の友人でもあるんだから遠慮しないで」
「あの、失礼ですが殿下とリーゼの関係は……」
「婚約者だよ」
ジークはヴィルとは対照的な人好きのするであろう笑みを浮かべ、自分が教えるなどという恐ろしい提案をした。そんなことすればせっかく落ち着きをみせている嫉妬などの感情を再び向けられることになるかもしれない。
もちろん迷うことなくお断りしようとしたのだが、何故かジークが食い下がるので不思議に思つつリーゼとの関係を尋ねてみれば、ジークはふんわりとしたとろけるような微笑を浮かべてリーゼに向き直りきっぱりと告げた。
「殿下、少々よろしいですか?」
道行く生徒たちがうっとりとした表情を浮かべる中、多くの者を魅了するその笑顔を直接向けられているというのにリーゼは頬をぴくぴくと引き攣らせながら、ジークの返事を待つことなくその腕を引いて歩き出した。
周りの生徒たちはそんな二人に見ほれるばかりで騒ぎ立てることもなく、その反応からジークとリーゼの関係は一般に認知されているのだとわかる。どう見てもジークが連行されているのだが、当の本人であるジークは頬を緩めつつもさり気なくリーゼの手を握り返していた。
ジークがジークムントであった時もだが、自覚なく女性に好意をもたれるような行動をする天然たらしのような言動は今世でも健在のようだ。
「何してる、行くぞ」
孫を見守る祖父母はこんな気持ちなのだろうかと感慨深くリーゼたちを見送る私に、マリウスが心底嫌そうな顔で告げリーゼたちの後に続く。
「フィー、俺たちも行こう」
「うん」
「手伝ってくれてありがとう」
さり気なく腰に伸ばされたヴィルの手をはたいて、私はクルト先生に見送られながらリーゼたちの後を追った。ヴィルは肩をすくめ、一瞬だけ口角を上げ私の後ろに続いている。どうしてヴィルがここまで私に構うのか疑問だが、気にしていない、感謝しているといいながらも実は根に持っているからなのだろうか。
小走りでマリウスに追いつきその隣を歩く。すぐにヴィルも追いついて私の隣を歩くので、私はヴィルとマリウスに挟まれる形となり三人並んで廊下を歩くという迷惑極まりないこととなっていた。幸い校舎の外れでほとんど生徒がくることもない場所なので、ヴィルをジト目で見るだけにしてそのまま進む。
リーゼとジークが吸い込まれるように入った教室は、入学時の校内案内では用事のない生徒は立ち入りを控えるようにと教えられた一角にあった。
「あの部屋は?」
「第三会議室だ。交流会の一年生代表が雑務のために使うことが出来るが、他学年の代表以外の生徒が理由無く立ち入ることは禁止されている」
「つまり私は入れないってこと?」
「フィーの入室は俺が許可するから大丈夫。それにその決まりも正式な発表は明日だし問題ないんじゃないかな」
「去年、一般の生徒が手伝いや差し入れという名目で押しかけて業務に支障が出たための対処だ」
「去年の代表……それって今年は二年生代表のあの人が目的?」
「ああ。その頃はリーゼの存在は伏せられていたそうだ」
マリウスが先導して私たちが第三会議室に入ると、仁王立ちで腕を組むリーゼの姿があった。そんなリーゼにジークは相変わらずにこにこと微笑んでいる。
ぱたんと扉が閉められるのを確認して、リーゼが大きく溜息をついた。
「えっと、リーゼが王子様の婚約者なんだよね?」
「まだ婚約はしていませんわ。許婚ではありますけれど」
「似たようなものだよ」
確認のために尋ねると、リーゼは再び溜息をつく。
その態度から、リーゼはジークとの許婚は親が決めたことなので納得していないのだろうと思われる。リーゼとは対照的に、ジークは許婚という立場にとても乗り気のようだ。許婚と婚約を同一視するジークをリーゼはキッと睨みつける。
「別物ですわっ! そもそも許婚と言っても一年前にお互いの虫除けのための隠れ蓑にと後付されただけであって、卒業後はお互いの意見を尊重するという名目で解消する予定じゃありませんか」
「アンネがそうでも言わないと納得しないから。僕が自分の意思で解消することはないよ」
「……図りましたわね?」
確かに二人とも好物件なので人気がありそうなものなのに、実際に二人が言い寄られている姿は見かけたことがない。それはジークとリーゼが事実上の婚約者であると周りが認識しているからならば納得がいく。
望みが皆無に近い相手を追いかけるよりも、手の届きそうな好物件――つまりヴィルやマリウスのような生徒にアプローチするほうがよいと判断され、ジークとリーゼは憧れの対象として観賞用のような存在となっているのだろう。
「貴族って大変ね」
「その点俺やマリウスは平民だから自由恋愛なんだ。ほんの少し特殊なだけで」
「……そうだな」
元魔王で現在のあだ名が魔王様というヴィルの特殊さでほんの少しと言っていいのだろうか。あだ名はともかく前世は特殊すぎると思うのだけれど。
にこやかな笑顔のヴィルを横目で眺め、少しの間の後溜息混じりに同意するマリウス。彼にもヴィルについて何か思うところがあるのかもしれない――魔王様と呼ばれていることだとか。




