17 厄災の堕天使
「アンリ=ブラウン……?」
驚愕の声を上げたのは私の隣に立つリーゼだった。
他の生徒たちからも同じようにシスターの名前を復唱する声が聞こえ、生徒の多くは男女共に驚きや歓喜の表情を浮かべている。
「リーゼ、知ってるの?」
「もちろん! 知らない人間がいたというのが驚きですわ」
「辺境の小さな町の出身だから、かなぁ」
「彼女は軍の特殊部隊に所属し、『厄災の堕天使』とも呼ばれていましたわ。本当に知りませんの? ファンクラブもありましたのに。ある時突然軍を退き、その後の消息が不明となっていた伝説の人ですわよ」
「堕天使……軍……へぇー……」
突然軍の特殊部隊だとか言われても胡散臭すぎてすぐには信じられない。
しかし真剣な眼差しで語るリーゼに嘘や冗談を言っている様子はなく、それらは信じ難いが真実なのだろう。
それよりも厄災の堕天使と呼ばれていたことが恥ずかしすぎる。
もしかしたら、シスターはその通り名が恥ずかしいからこそ私たちにそのことを一切教えず、知られることのないようにしていたのだろうか。聖女という呼び名も十分恥ずかしかったが職業名みたいなものだし、シスターのそれに比べたら大したことのない呼び名に思えるから不思議だ。
シスターが元軍人だったことについては堕天使ほどの衝撃は受けなかった。鍛錬の時の返事が「はい」か「イエス」のみしか認められず多少違和感は感じたものだが、それも元軍人だと思えば納得がいく。シスターの性格によるものという気がしないでもないが、それ以外にも他にも思い当たる節がいくつかあった。
シスターの教えは食費を稼ぐのにとても役に立っていたし、二百年前は村や町が魔物に襲われるのはよくあることだったので今でもそういったことがあるのだと思っていたのだがそれは考えすぎだったようだ。町に現れた魔物も危険であることに違いないが、実害は畑を荒らす程度のものだったのだし。
それに魔物以外にも危険なことは色々とあり、特に孤児はその危険との遭遇率が高かった。いつかはシスターの庇護下から出るのだし、自衛できる手段はあったほうがいいに決まっている。
生きていくために鍛錬したほうがいいというのはみんなわかっていたから、チビたちも文句を多少言いながらも鍛錬に励んでいた。……今思えば、その鍛錬の光景がちょっぴり軍隊っぽかったような気がしないでもない。
「しかたありませんわ。エフィーの住んでいた町は地図にも載っていないほど俗世とはかけ離れた辺境の地のようですし!」
眉間に皺を寄せて考え込んでいたからか、リーゼが少し焦ってフォローをしようとしたらしい。
確かにあの町が地図に載っていないことには驚いたが、ウーアの街から馬車で四時間程度なのでそこまで辺境というわけではない。電気だって水道だって通っている町なのだ。辺境と思われていたとが心外で、いつかリーゼをちゃんとあの町に連れて行こうと心に誓った。
「それじゃ、今日の実習の内容を発表します」
パンパンと手を打って、注目を自身へと集めカルラ先生の前に出たクルト先生は少々投げやりに実習の説明を始める。
バラと剣の説明がされると多数の生徒がどよめき、同時に背中に突き刺さる視線を感じた。魔法科の実習としての模擬戦なので剣などの使用はなく、魔法も殺傷能力の高いものは禁止。もしそういった魔法を使った場合は先生たちの妨害が入るらしい。
カルラ先生とシスターの前に生徒が並び、バラを受け取り胸につける。バラは生花なのだが服に止められるように簡単な加工が施してあった。
渡す際に先生が無作為に花弁を一枚抜き取り、花自体に散りにくい細工がされていないかを確認する。模擬戦とはいえ不正がないようにと、対戦する人間同士にも不正がないことを証明する意味合いも含まれている。今回は正式な場ではないのでそのチェックも形だけの簡単なものだ。
「ペアのどちらか一方のバラが散った時点でそのペアは負けとみなされます。今回は皆さんの現時点でどの程度実戦できるかを見るものですので無理をする必要はありません。状況を見極め、無理だと思ったら棄権するのも大切ですよ。ある程度の怪我は魔法で治療できますが、痛いことに変わりはありませんからね。もちろん治療は女子優先です」
「差別だ!」
「何言ってるんですか、区別ですよ区別。野郎はどうでもいいとして、女の子に傷が残ったら大変でしょう?」
「酷っ!」
全員にバラが行き渡ったのを確認し、クルト先生が注意事項を述べる。最後にクルト先生らしい余分な一言がつけたされていたのだが、男子生徒から上がった野次にも先生は涼しい顔だ。
「実戦では本人の力も重要ですが、どう戦うかといったことが重要となってきます。集団で強いものを先に狙うのも、弱いものから狙うのもまた戦略です。皆さんがんばってくださいね。それでは開始ですー」
何故かカルラ先生に背中を押されて前に出たシスターの合図で模擬戦が開始される。そしてさり気なく多数対少数を推奨しているとしか思えない発言をしていた。
実技塔は十分に広いが、一学年全員が集団戦をするには手狭だ。そもそも生徒たちは魔術師なのだから、基本的に相手と距離を置いて戦うのが定番となる。
壁に背を預け周りの出方を伺う者、小さなグループを作って固まる者、怯え逃げ腰になる者など様々だが、ある女子生徒が多数を占めるグループがとても好戦的な光を灯した瞳で私たちを見つめていた。
「思ったより人数が多いですわね」
「あの中にリーダーがいるかなぁ」
「ちらほらと爵位持ちがいるようですけれど――影響力があるとは思えませんわ」
「他の場所で自分は高みの見物といったところか」
「自分は直接手を下さないって、貴族らしいといえば貴族らしいんじゃないか?」
リーゼの言葉にマリウスが眉をしかめ、ヴィルが首をかしげた。
私たち四人は実技塔の中心辺りに立っていて、絶好のカモとなりうるという立ち位置であるのに、Sクラスの人間が三人もいるからか他の生徒たちも迂闊に手をだせないでいるようだ。
これまでに実技はあったが実際に魔法を使うのは入学試験の時以来の生徒がほとんどで、相手の実力を測りきれていないのが現状でありその実力の目安となるのはどのクラスであるかだけ。騎士科のようにとにかく特攻するタイプは魔法科にはあまりいないこと、そしてペアのどちらかがバラを散らされればその時点で二人とも負けとなるため睨みあいのような状況となっていた。
「んー、広範囲魔法で一気にバラを散らせる?」
「もちろんですわ。ただし加減はできませんけど」
「……マリウスは?」
「可能だろうな」
その質問がとても無茶なことを言っているという自覚はあるのだが、友人たちにはそれが可能であろうこともわかっていた。……リーゼに頼むと大惨事になるような気がしたので無難なのはマリウスだろう。
「じゃあマリウスにお願いする。とりあえず私が囮になるから、一人以外のバラを一気に散らせてほしいんだけど」
「どうしてマリウスなんですの?」
「リーゼは繊細な調整とかが苦手な気がして」
「ふっ、今回の見せ場はマリウスに譲ってさしあげますわ!」
不満気なリーゼだったが、予想通り細かいコントロールは苦手なようであっさりと引き下がった。リーゼが珍しく素直だが、それだけ苦手ということなのだろう。
「で、一人というのは?」
「私が突っ込む人」
「つまり俺はお前が突っ込んだのを確認して、それ以外の対処をするということか」
「出来るでしょ?」
「出来ないとは言わないが、かなり面倒ではある」
「マリウスは出来る子だから大丈夫!」
ぐっと親指を立てる私にマリウスは諦めたように溜息をつき詠唱を始めた。
私も念のためバラに魔力を込めて簡単には散らないように繋ぎ止める。そしてゆっくりと友人たちを振り返った。
「エフィー一人で無理だと思ったら私も行きますわよ?」
「やりすぎるなよ」
「後の始末は任せて」
リーゼは少し困ったような笑顔で。マリウスは苦笑で。ヴィルはシスターとよく似た黒いと感じる笑顔で。三人はそれぞれ違った笑顔で私を見る。
私もとびきりの笑顔で三人に答えた。
「それじゃ、いってくるね」
そう告げ、一気に好戦的な瞳を向けているグループとの距離を詰める。
相手は慌てて色々な魔法を放ってはくるが、狙いの定めきれていない攻撃はどれも簡単にかわせるものばかり。慌てるだけの生徒たちを横目に、グループの中心まで一気に駆け抜け私は両手に込めた魔力を一気に開放した。
風の精霊の力を借りた魔力は旋風となって固まっていた生徒たちを飲み込んで巻き上がる。赤いバラの花弁が風に乗り舞い上がる幻想的ともいえる様子に、傍観していた生徒たちからは感嘆の声が漏れた。
一方胸のバラを散らされた生徒たちの顔に浮かぶのは驚愕と僅かな恐怖。その一部の生徒たちの視線はある一点に注がれている。
視線の先には壁を背にピンと背筋を伸ばして立つ一人の少女。こちらを見つめる視線は他の生徒たちと大差ないけれど、私と目が合うと一瞬だけその表情を歪めた。
「見つけた」
小さく呟いて口角を持ち上げる。
後方でマリウスの魔力が膨れ上がり、次の瞬間塔の中全体を範囲とするような風が巻き起こった。
塔の中全体といっても、私やマリウスたち、そしてクルト先生たち周辺にはぽっかりと台風の目のような空間がある。もちろんリーダーである少女もだが、そのほかにもちらほらと風から逃れた生徒がいる。
先ほど私が起こした風よりも規模が大きく、意図的に風の影響を受けない場所を作ってある。それは恐ろしく繊細なコントロールが必要なのだが、それをマリウスは涼しい顔でやってのけたのだ。
マリウスとリーゼは二言三言会話を交わし、リーゼが呪文を唱え始める。それに気づいたバラを散らされなかったペアたちも慌てて呪文を唱えたり、リーゼとの合間を詰めようと駆け出したりしたのだが、そのだれよりもリーゼの呪文の完成が早かった。
掲げたリーゼの手の上にいくつもの小さな球体が出現し、残った生徒に襲い掛かる。生徒に着弾した球体は激しい音を立て――爆発した。