13 Les Misérables
幼稚な嫌がらせだが授業に支障は出る。
被害にあった教科書は次の授業で使うはずのものなので、急いで他のクラスの誰かに教科書を借りてこなければいけない。
さすがに使用不能な状態とはいえ教科書なのでこのまま捨てるのは躊躇われ、机の上に散らばる残骸を袋に詰めて簡単に片付けてから教室を出る。さすがに人目もあるのですぐにこれ以上の被害は出ないだろうと、他の荷物はそのままにしておいた。
しかし入学して間もないこともあり、教科書を借りようにもまだリーゼたち以外の知り合いもいない。
とりあえずリーゼに教科書を借りようと私はSクラスへと足を運ぶことにした。もちろんここでヴィルやマリウスに教科書を借りたらさらに面倒なことになるのは目に見えているのでその二人から借りるという選択肢はない。
目立ちたくないと思っていても、すでに実技のペアの一件で不本意ながらも有名となってしまったので、教科書を借りに行くぐらいどうということはない。そのあたりはすっかりと吹っ切れているので躊躇うことなくSクラスの教室の扉を開き、目的の人物を探した。
「すみません、アンネは……」
「エフィー?」
開いた扉の向こう側、目の前にちょうど教室を出ようとしていたらしいマリウスが立っていた。手が扉へと伸ばされていたのでちょうどマリウスも扉を開こうとしていたところのようだ。
「リーゼならいないが」
「……また来るわ」
「ちょっと待て」
くるりと向きを変えた私の腕を掴み、マリウスが呼び止める。
原因であると同時に二人が何か行動すれば嫌がらせが悪化する恐れもあって面倒だ。早急に教科書を借りることを諦め戻る選択をしたのだが、マリウスの伸ばした手に捕らえられ、私はその場に留められてしまった。
「お前がこのクラスに近づかないようにしていたのは知っている。それでも今来なくてはいけない理由があったんじゃないのか?」
「別にそういうことじゃないわ。できれば目立ちたくなかったからだけで、もう色々目立ってるから……」
「そうか。ところでその袋は何だ?」
さすがマリウス。Sクラスの教室に近づかないようにしていたことに気づいていたとは。
しかし、ここで素直にその理由を言うわけにはいかないと必死に考えた言い訳は、
「これは――乙女の秘密?」
「乙女?」
マリウスの不信感を煽る結果となっただけだった。
確かに下手な言い訳だという自覚はあるけれど、何も思い切り眉をしかめることはないんじゃないだろうか。中身はともかく身体は間違いなく乙女だ。
「ふぅん、乙女の秘密って過激だな」
いつの間にか後ろに立っていたヴィルに後ろ手に隠した袋をひょいと取り上げられてしまった。ヴィルは中を確認すると、眉を寄せて袋をマリウスへと手渡す。
「……とりあえず、保健室に」
マリウスは表情こそ変わらなかったが普段より少しだけトーンが低い。
「理由は?」
「エフィーが倒れた」
「了解」
「ちょっと……!」
「病人は大人しく、ね」
当事者である私を無視して話は進み、マリウスの提案を了承したヴィルは抗議の声を上げた私の耳元で囁き腹部に魔力を流し込む。すると腹部からじわじわと麻酔のようにヴィルの魔力が広がって、痺れたように体が動かせなくなっていった。
「くっ……何したの……」
「フィーが大人しく休めるように、ちょっとしたおまじないを」
崩れ落ちる私を抱き上げて、ヴィルがにっこりと微笑む。
なるほど、お呪い……つまり呪いの一種と考えて間違いなさそうだ。
この魔法、体は動かせないが意識は残るようで抱き上げられて運ばれている間多くの女子生徒の黄色い声が聞こえた。ちなみに目も開けずに視界も奪われている。
――嗚呼。どうせなら意識も飛ぶようなのにしてほしかった。
入学して一週間しかたっていたいというのに保健室に運び込まれたのはこれで三度目。
ベッドに寝かされ布団をかけられ、まるで病弱な人間にでもなったような気分だ。
私の付き添いと称して保健室に留まっているマリウスとヴィルは、保健室の机に教科書の残骸を広げ確認しているらしい。
「売女、尻軽、馬の骨に寄生虫……書いた人間の程度が知れるな」
「泥棒猫ってのもある。この場合これを書いた恐らく女が俺たちの相手?」
「もしくはみんなのものだから近づくな、ということかもしれないな」
「ふぅん……」
書かれていた罵詈雑言は何だか思いついた悪口を適当に書きなぐったような、そんな印象を受ける。感情に任せて後先考えずにやりました、といったような。
「とりあえず、犯人には反省してもらわないと」
「そうだな」
「まったく、君たち何やってるの。僕の授業サボるなんていい度胸だね――って何それ?」
二人の意見がまとまったらしいその時、保健室には新たな訪問者がやってきた。その声からクルト先生であることがわかる。
どうやらSクラスはクルト先生の授業だったらしいが、まだ授業中であろうこの時間に何故先生が来たのだろう。
「教室に行ったら二人が女子生徒を抱えて保健室に行ったっていうし、Sクラスの女子は自分たちは自習してるから早く君たちを迎えにいけっていうし。自習してくれるなら楽でいいやと思って来てみたんだけど」
入学早々自習ってどうなんだろう。クルト先生もちゃんと仕事しなくて大丈夫なんだろうか。
私は三人の声を聞きながらも、動かない体をどうにかするべく奮闘していた。
「まぁ、大体の経緯は想像がつくけれど」
「俺はこんなことした子を見逃すつもりなんてないから、ちょっと注意しておくかな」
「俺も見逃すつもりはないというのには同意見だ。ただやり方は間違えるなよ」
「……それにしても入学早々目を付けられるなんて、それはそれですごい才能だよ。でもいかなる理由でも備品の支給は一度だけだから、自分で教科書買いなおしてね」
自分で買いなおせ……?
確か教科書は結構いい値段だったはずで、そんなお金どこからも沸いて出ない。
孤児院に迷惑をかけるわけにもいかないし、そんなことしたらシスターが……怖すぎる。
「あれ、エフェメラ君すごい汗。保険医呼んでこようか?」
「いえ、俺が見てきます」
突然大量の汗を噴出した私を心配したクルト先生。
それよりも見たことないので、保険医はいないのかと思っていた。回復魔法もあるのでその出番が少ないということなのだろうか。
隣に人が立つ気配がする。先ほどのやり取りから考えてそれがマリウスであることは間違いないはず。
「……気分はどうだ?」
ゆっくりと流し込まれる魔力が体の痺れを洗い流すように消し去っていく。
僅かとはいえヴィルの魔力をあっさりと打ち消すなんて、マリウスは本当に優れた回復魔法の使い手だ。
そしてやっと確信した。マリウスの魔力は、マティアスと同じ。
昔から私を色々助けてくれたマティアスは、転生してもまた私を助けてくれていた。フィーネが聖女だったから助けてくれているのだと誤解していた時期もあったけれど、聖女が関係のない今も何度も助けられる。
私が孤児であることを知ってからも態度が変わることはなく、相変わらずいい人だとほんのりと心が温かくなった。
「ん、大丈夫。ありがとう、マティ――マリウス」
「ふむ、まだ完全に痺れが消えてはいないようだな」
感慨にふけりつい前世の名前を呼びかけてしまったが、マリウスはヴィルの魔力が残っているからだと勘違いしてくれたらしい。
さすがに今ここでマリウスの前世がどうのとは言うわけにもいかないのであえて否定はしなかった。
いつかマリウスが前世を思い出すことがあったなら、その時に話をすればいい。懐かしい思い出や、感謝と謝罪を。
「あ、そうだ! 教科書のことなんですけど……」
「うん、買いなおしてね。家に連絡しておく?」
「そんなことしたら、シスターが、シスターが……!」
「落ち着いて。エフェメラ君は被害者なんだから大丈夫でしょ?」
「私じゃなくて、犯人が危ないんです!卑怯な真似は大嫌いなのって笑顔で乗り込んできますよ! 徒歩で!」
「……徒歩なんだ」
慌てる私をクルト先生が宥める。マリウスは無言、ヴィルは徒歩という部分に反応していた。
さすがに孤児の私に教科書の代金を出せる余裕はないと思ったらしいクルト先生は、私の家、つまり孤児院に連絡してくれると言ったのだろう。
しかしその場合、何故こんな時期に教科書を買い直さねばならないのかをシスターに説明する必要がある。そして恐らく現物をみせることになる。
私の注意が足りなかったのは確かなので、多少のお仕置きは仕方がないが、卑劣な行為が嫌いなシスターが教科書を無残な姿にした犯人を何もせず見逃すとは思えない。
「犯人がどんな子なのかはわかりませんが、シスターのお仕置きに耐えられるのかどうか……」
「死人が出ちゃう! 僕もあの時は死ぬかと思ったんだから。さすがに学校で死人をだすのはマズイ!」
「ですよね! そこでちょっと相談なんですが……」
望む言葉に小さく拳を握りしめる。
シスターに愛情と恐怖心も持っているクルト先生ならきっとそういう反応をしてくれるだろうとは思ったが、先生の反応は私が思い描いたものとほぼ同じだった。
これならばシスターに連絡されることなく教科書の問題を解決できるかもしれない。
……まぁ、クルト先生が何故ここまでシスターを怖がるのかも気になるところだが。
「まぁ、当人同士で解決できるのであればそれぐらいなら協力しますし、僕たちも口出ししませんが……出来るの?」
「してみせますよ」
「でも容疑者だっていっぱいじゃ?」
「容疑者なんて簡単に見つけられますよ」
「どうやって?」
クルト先生は私の言葉に了承しつつも首を傾げる。
私はくっと口角を上げ、隣に立つ二人を指差し宣言した。
「この二人を利用すれば簡単ですよ!」
――と。