11 消せない過去
驚くほど彼はヴィルによく似ていた。
さらりとして艶のある漆黒の髪に少し憂いを帯びた同色の瞳。
すらりと通った鼻筋に少し薄い唇が絶妙に配置されたいわゆる美形。
男だというのに睫は長いし唇はツヤツヤ、そして肌には張りがある。……男なのに。
違いは魔王であったヴィルは青年で、今目の前にいる彼はヴィルよりも若く少年と青年の間といった年齢ぐらいのもの。しかしその相違もあと数年もすれば消え去るだろう。
そして何より彼は私をフィーと呼んだ。
あの騒ぎで私の名前を知っていても不思議はないのだが、通常私の名前の愛称はエフィやエフェ。シスターがエフィと呼ぶ時にいつも語尾を伸ばして「エフィ~」と呼んでいたものだから愛称がエフィーとして定着しているだけなのだ。
だから、私がエフィーと呼ばれていることを知らない人にエフィやエフェと呼ばれることはある。けれど今まで一度もフィーと呼ばれたことはない。
外見が似ている。誰も呼ばない少し特殊な愛称で呼ぶ。
ただそれだけのこと。
どちらかだけなら偶然と済ませることもできた。けれど両方が揃ってしまえば偶然と切り捨てるには不自然すぎた。
それどころか、彼は状況は違えどあの時と全く同じ動作をしたのだから。
「ヴィル、フリート……」
「久しぶり、フィー」
緊張でかすれた声で名前を呼べば、ヴィルはふっと笑みを浮かべる。それは前世では見ることができなかった優しい笑みだった。
「生きてた……? 御伽噺にあるように封印されていた?」
「いや、俺は間違いなくあの時死んでるよ。それは君が一番よく知っているだろ?今は小さな農村で生まれ育ったヴィルヘルムという名前の、前世の記憶と力があるというだけの一般市民」
ふわり、と彼の魔力が揺れる。
あの時と同じように周りから遮断し進入を拒む魔力。けれどあの時とは違い、ちゃんと自分の意思で制御されている。
どれだけ時が流れても、生まれ変わってさえも変わらない魂に刻み込まれた力。
二百年前に対峙したからこそ知っている彼の魔力。どんな言葉よりも雄弁に、その魔力が彼がヴィルフリートと同じ存在なのだと物語っていた。
ちなみに式典でジークの魔力を感じたような気はしたのだが、多くの上級生がお互いに干渉し合い色々な魔法を使っていたために断言できるほどの確信は持てていない。
リーゼとマリウスに至っては、二人の魔力を感じられたであろう時に私の意識が飛んでしまっていたのでもちろんわからないままだ。
それよりも、今ヴィルはさらりと重要なことを言っていた。
――前世の記憶がある、と。そして前世と同じ力があるのだと。フィーと呼んだのだから記憶はあるだろうとは思ったけれど、まさか力までとは。
私も前世の力がそのまま引き継いでいるのだから、同じ特殊な人間であったヴィルが同じでもおかしくはない。もしかしたらジークたちも……
魔王とまで呼ばれたヴィルフリートと同じ魔力がある人間はどう考えても一般市民と呼べるレベルじゃないのだが、その言葉は空気を読んで飲み込んだ。
「つまり――」
「転生、だろうな。フィーも同じなんじゃない?」
その言葉と共に頬に添えられたヴィルの手から彼の魔力が流し込まれ、その魔力に私の魔力が同調し引きずり出されような感覚を覚え――頭の奥で光が弾けたかと思うと、私の中の魔力が溢れ出した。
体の中心から指先、そして足先にまで力が満ちていく。
「やっぱり、君も……同じ」
頬から離れた彼の手が、無造作にはねる私の髪を一房救い上げ、口付ける。
視界のふちに映ったその一連の流れるような動作に、私はやっとヴィルが何に対して同じだと言ったのかを理解した。
彼の手の中にある蜂蜜色のはずの私の髪が、フィーネと同じ銀髪へと変化していたのだ。
「っ!」
急いで魔力を体の内へと閉じ込める。
聖女としての力だけを押し込めて、聖女のそれとは違う「普通」といわれる魔力で覆う。力を隠すのと同時に、銀に変化していた髪も元の蜂蜜色へと戻っていた。
入学試験の日以外には力を使ったことがなかったので気づかなかったが、どうやら聖女特有の力を発現させると髪が銀色へと変化するようだ。
唯一違うと思っていた外見までもが同じになるなんてとんでもない。幸い力を抑えれば銀に変わった髪も元に戻るようだが、やはり聖女の力は使わないのが一番だと改めて実感した。
「器用だな。あの力を完全に隠すなんて」
「もう聖女にはなりたくないから」
「……そうか。無理やり力を引き出して悪かった」
髪が元に戻ったことに安堵する私にヴィルが謝罪し、周囲と私たちを遮断していた力を消し去る。
その謝罪に私は首を振った。彼の意図がわかっていたから。
「他の誰かに悟られないように周囲から遮断していたでしょう?ただ、私とフィーネが同じ存在だという確信が欲しかっただけ」
「……ああ」
「お互い過去や力を人に知られるのは避けたいと思っている」
「もちろん」
「なら私たちは運命共同体も同然。出来るなら、お互いに助け合うのが理想的だと思う」
しっかりとヴィルの目を見据え、言葉を伝える。
私の言葉に少しだけ目を見開いたヴィルだったが、それは一瞬のことですぐにその表情は笑顔になった。
「俺がフィーをよく知らなかっただけなのかもしれないけれど――強くなった、そんな気がする」
「……そうだといいんだけど」
じっとヴィルを見つめる。
まさか本人に会うとは思っていなかったから墓前で伝えようと思っていたこと。まだ先のことだと思っていたから上手く言葉には出来ないかもしれないけれど、私にはヴィルに言わなくてはいけないことがある。
「何?」
ベッドの上で正座した私にヴィルは怪訝そうに眉をひそめる。
両手を膝の前について頭を下げる。それはシスターに教わった最上級の謝罪だ。
「ごめんなさい、あの時助けられなくて。私が愚かだったからあなたを助けられなかったばかりか魔王として今も語り継がれることになってしまった」
「……はあぁぁ……」
ベッドに頭をつけたままの状態なのでヴィルの様子はわからないけれど、盛大に溜息をつかれたのはわかった。そしてきっと私に呆れているだろうことも。
確かに、あんなことをしてしまったのだからこの程度の謝罪で許されるわけもない。こんな謝罪など無意味なことなのだろう。
手を握り締め、口元を真一文字に引き結び意を決する。
「こうなったら私の謝罪の気持ちと誠意を示すために、ハラキリをっ……!もちろんすぐ回復魔法で治療はするけど、口だけじゃなくて態度で示さないと伝わらないこともあるものね!」
「とりあえず落ち着け、フィー。どうしてそういう結論になるんだかわからないんだけど」
「私の育ての親が、本気の謝罪とはそういうものだって……」
「それは……過激な親だね。それより、フィーは根本的に間違ってる。俺はフィーに感謝しているが、怒りや恨みなど欠片も持ってはいない。二百年前だって俺はありがとうと伝えたはずだ」
私の決意は頭に振り下ろされたヴィルの手刀によって切り捨てられた。
確かに少々興奮していたのは認めるけれど、手刀は乙女に対してするツッコミではない気がする。自分が乙女だとは思ってはいないけれど。
あの時、最後にヴィルが言った言葉は――
「なく、な、フィー……あり……がと、う……」
そう、確かに私はヴィルにお礼を言われていた。それに苦しかったはずなのに、ヴィルは笑みを浮かべてそう言ったのだ。
「でも、私がしっかりしていればあなたを助けられたかもしれない。いいように利用されたりしなければ……」
「それを言うなら俺だってそうだ。そもそも俺が宰相に捕まったりしなければ、魔王が誕生することはなかった」
「でも、結局あなたの命を奪ってしまったのは私で……」
「エフィーが自分を責めると俺も自分が許せなくなる。それでもやっぱり……負い目を感じる?」
頷く私に、ヴィルは再び溜息をついて天井を見上げた。
君は悪くない、私がそんな言葉を望んでいるわけじゃないのはヴィルにはわかっているんだろう。できれば思い切り文句を言われたほうがすっきりしていっそ清清しい。
けれど魔王とまで呼ばれた彼が、本当は優しい人であることを私は知っている。だからきっとそんな言葉を私に投げつけることがないであろうということも。
少しの間を置いて再び私に向き直った彼はにこやかに微笑んで言った。
「それじゃ、改めて俺の友人になってほしい」
「……は?」
「俺はかなり遠くの田舎の出身だから、この街に友人どころか知り合いもいない。――あの頃のように孤独を感じるのは辛いんだ」
言葉の終わりには、眉根を寄せて少し悲しそうな笑顔となっていた。
あの頃、というのは魔王としてあの荒れた地にいた時のことなのだろう。誰もいないあの場所でヴィルはどれだけの時を過ごしていたのだろうか。正気を失っていたとはいえ、孤独は感じていたのだとしたら。
そしてつい最近、似たようなやり取りをした覚えがある気がするのだが。
「私でいいのなら、よろこんで」
「ありがとう。魔王の死にすら涙する純粋なフィーもよかったけれど、今のフィーのほうが俺の好みだな」
握手しようと差し出した私の手をふわりと両手で包み込んで、ヴィルは極上の笑みを浮かべた。
その笑顔を振りまけばいくらでも友達が出来ると思う。主に女の子の。
そしてその際には思い切り傍観に徹しようと心に誓った。