01 Ending is beginning.
髪の焦げる嫌な匂いが鼻をつく。
激しい戦闘の間に自慢の銀の髪は薄ら汚れ、一部の毛先は焼け焦げていた。
目の前に立つのは全身を漆黒で包んだ男。
魔王として人々から恐れられ、私たちの国を、世界をも脅かす存在。
そう教えられていたし、そのことを疑いもしなかった。
――つい先ほどまでは。
少し距離を置いた場所で私たちの戦いを見守る仲間たちに視線を向ける。
そこに立つのは私の恋人でもある王子のジーク。その隣には気の会う友人でもある神官マティアスそして口は悪いけれど憎めない悪友の魔法師リーゼ。そしてジークの背後に立つ騎士団長のフォルカー。
私を心配しつつもこの戦いに手出しが出来ないことに苛立ち募らせている仲間たちは気づいていないが、フォルカーの握り締めるその剣は魔王ではなくジークに向けられている。
「ねぇ聖女様、俺をこの苦しみから救ってくれる?」
懇願するようなその声に視線を戻せば、自我を取り戻した魔王が悲しみを湛えた笑顔で私を見つめていた。
自我が戻っても荒れ狂う彼の魔力は収まることはなく、熱を帯びた魔力が足元から吹き上がり私たち以外の者が近づくことを拒絶する。私の聖女と呼ばれる所以でもある浄化の力で彼の自我は戻ったけれど、彼の魔力の暴走まで食い止めることはできなかった。
彼は人の手によって作り出された魔王。その魔王を作り出したのは私たちの国の宰相であり、騎士団長のフォルカーは宰相の忠実な手下で……私たちに魔王討伐を命じたのは宰相。
――つまりこの一連の勇者と聖女による魔王討伐のすべては宰相に仕組まれたことだったのだ。
その真実を知ったのは彼と刃を交わした後、自我が戻った彼の言葉を聞いてから。思い返せば今までにその事実に気づくチャンスはあったはずだったのに、恋人ができて浮かれていた私は気づくことができなかった。もっと早くこの事実に気づいていたら彼を助けられたかもしれないのに、もう、すべては手遅れだった。
「ごめん……なさい」
「どうして君が謝る? 君が俺を人に戻してくれたのに。
……謝るべきは俺。魔力の暴走を抑えることができないんだから」
漆黒の双眸が私の姿を映し出し、揺れる。
「早く俺を止めて。取り返しの付かなくなるその前に」
私がふるふると首を振ると、彼は悲しみの表情を深くする。
「お願いだ……俺はこの世界を壊したくな、い……」
ぐんと彼の魔力が膨れ上がる。彼の言葉通り、自身の魔力の暴走を抑える限界なのだろう。魔王と呼ばれるだけあって彼の魔力は人の枠に収まらないほど桁違いに高く、このままでは本当に世界が壊れてしまうだろう。
ふいに手が握られ、視線を落とせば私の両手は彼の両手に包まれていた。その手の中には彼の魔力で作られた小さな黒い短剣。次の瞬間感じたのは、つぷり、という嫌な感覚。そして急激に弱くなっていく彼の魔力。消え行く彼の命とともに、魔力もまた消え去ろうとしていた。
「どう、して……」
「ごめん……俺は自分で自分を傷つけることができない。だから、その力を……打ち破ることができる……君の力を利用……し、て……」
ごほり、と彼が咳き込んで大量の血を吐き出す。崩れ落ちる彼の体を私は必死に支えようとするが力の抜けた人間の体はとても重く、その重みに耐え切れずに何とか彼を支えながら私は膝を付く。そしてゆっくりと彼を横たえ、何か言おうとしている彼の口元に耳を近づけた。
「今更、だけど……名、前……きい、て、な……」
「フィーネ。私の名前はフィーネよ」
「フィー……俺はヴィル、フリート……」
「ヴィル、ね」
私の言葉にヴィルは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりと私の頬にその手を添え――
「なく、な、フィー……あり……がと、う……」
――そしてゆっくりとその手は地面へと落ち、その言葉で私は自分が涙を流していたことに気づく。
動かなくなった、まだ暖かいヴィルの体を抱きしめ仲間たちを振り返ると、フォルカーが剣を振り上げていた。まるでスローモーションのようにゆっくりと感じるその動きはジークの命を奪うためのもの。迷う暇などなく、私はヴィルの亡骸を抱えたまま転移の呪文を唱えていた。
一瞬何が起きたのか分からなかった。
「よかった、まに、あって……」
そう言って微笑む彼女の顔は青を通り越して蒼白で、崩れ落ちる彼女を支えようと伸ばした手に触れたのは、ぬるり、とした生暖かいもの。
恐る恐る視線をずらせば、彼女の胸からは彼女の血に塗れた剣が突き出し、彼女の足元には一緒に転移してきた魔王の亡骸。
彼女の胸から突き出すその見慣れた剣は仲間であるはずの男の物で、その持ち主であるフォルカーはいち早く正気に戻ったマティアスによって取り押さえられている。
フォルカーは騎士団長といえど、その力は勇者である僕や同行者であるマティアスやリーゼには遠く及ばない。宰相の推薦もあり、僕たちが不慣れな旅中での雑務の為に同行していただけだ。
ごぽり、と彼女の口から大量の血液が溢れ出す。
回復呪文を施しても魔力は彼女をすり抜けるかのように効力を持たない。苦手だからとさぼらずに、もっと回復呪文の修行をしておくべきだった。縋るように回復呪文のスペシャリストである神官のマティアスに視線を投げかけても、マティアスはただ静かに首を振るだけ。
「マティアスっ! こういうときのための神官じゃないのか!?」
「無理だ、ジーク。すでにフィーネの命の灯火は消えかかっている。いかに優れた回復呪文だろうと、もう彼女には何の効力も持たない」
「それでもっ……仲間だろう!」
マティアスの言うことは正しい、けれど心がそれを否定する。僕はマティアスにただ己の感情をぶつけ、声を荒げた。
その言葉にマティアスは、ぎり、と音がするほど歯を食いしばりその表情を歪める。
「わかっている! フィーネは俺にとっても大切な友人であり仲間だ。だからこそ下手に苦しめたくは無い!」
「――っ!」
「この状態で下手に回復呪文を施せば、彼女の魂のみがこの世に縛り付けられることになりかねない。そうなれば彼女は永劫の時を救われることなく過ごすことになるかもしれないんだぞ」
マティアスだって僕と同じようにフィーネを助けたいと思っている。だけどすでに彼女の魂は死者の世界へと旅立ちかけていて、呼び戻そうとすれば他人の介入を嫌う死者の国の神の怒りを買いその魂のみが行き場を無くす。
それは回復呪文を覚えようとするものが最初に教えられる基本。呪文が効力を発揮しない、それはその人間の命が尽きることが逃れようの無い事実だから。せめてその魂が救われるように、回復呪文を扱う人間はその引き際を認めなくてはならない。
そして行き場を無くした魂を救済できるのは浄化の力をもつ聖女だけ。つまり聖女が現れるまで行き場を無くした魂が救済されることはない。
マティアスも辛いだろう。本来ならば怪我を癒す役目は彼のものであるのにその役目を果たすことができず、だからといって神官である彼は僕のように叫んだり足掻く事もできず、ただじっと残酷な現実を受け止めるしかないのだから。
僕たちはフィーネを囲み、必死に涙を堪え笑顔で彼女を覗き込む。僕は上手く笑えているだろうか。
「リーゼ、マ、ティアス……ジークを、お願い、ね」
「何言ってるのフィー! 王子の面倒は物好きなあんたじゃなきゃ無理に決まってるじゃない!」
「その、通りだ……」
フィーネの言葉にリーゼがその赤い瞳に涙を浮かべ、いつもと同じように悪態をつく。マティアスも目を伏せその言葉に同意した。
そんな二人にフィーネは弱弱しく微笑んで視線だけを俺に向ける。
「ジー、ク、一緒に……いられなくて……ごめ、ん……ね」
「何言ってるんだ、フィーネはずっと僕と一緒だろう」
それが僕が聞いた彼女の最後の言葉だった。
マティアスが呪文を唱えると、二人の亡骸はサラサラとした白い砂上のものへと変化し、続けて小さな宝玉へとその姿を変える。宝玉はそこで白からそれぞれ色を変え、フィーネは銀の宝玉に、魔王は漆黒の宝玉となった。
僕はフィーネの宝玉を、マティアスが魔王の宝玉を手に、僕たちは無言で帰還の途に付く。
何故こんなことになってしまったんだろう。
フォルカーは取り押さえられた後、自身が隠し持っていた毒物で自害してしまったために、もう彼の口からその真相を聞くことはできない。
あの時……フィーネが涙を流し、倒れた魔王を抱きしめた。
魔王の魔力に阻まれ二人の声はこちらに届かず、その姿もはっきりと捉えることも困難な状態で、二人の間に何があったかはわからないが何かあったことは間違いない。
こちらを振り返った彼女は一瞬目を見開いたかと思うと、次の瞬間には転移していた。彼女が転移した先は僕が立っていた場所。突然転移してきた彼女に突き飛ばされ、バランスを崩してよろめきながらも彼女を振り返ると、視界に捕らえたのはその場に崩れ落ちる彼女の姿だった。
あの剣は間違いなく僕に向けられていて、その刃を向けたフォルカーを僕たちの旅に同行させたのは宰相。フォルカー亡き今、僕たちが問い詰めるべき相手は宰相だろう。――すでに大方の予想は付いていたけれど。
城に戻った僕たちは、王に帰還を報告するより先に宰相のいる執務室に乗り込んだ。