103.side-B
−103.七月一日(side-B)−
――放課後。
朝の疲れは昼半ばになると大分楽になり、午後の授業は問題なく受けられた。午前の方はかなり際どかったが、何とか寝ずにやり過ごした自分は賞賛に値するはずだ。まぁ、授業に部活の疲れを持ってくること自体が良くないといえばそれまでなのだが。
ともあれ遂に放課後。出来れば来てほしくなかった放課後。
光矢 那智香という一つ下の後輩に返事を言いに行かなきゃならないんだよな。名前がなかったのだから無視してしまえば良いのだがが、そこら辺自分でも驚くほど律儀だと思う。
返事は『交際を断る』って事を要点に言わなければいけない。俺には光矢 那智香と付き合う理由がない。付き合わない理由は一応あるにはあるが、無理をすれば付き合えないことはない。相手が会うのを制限して我慢できたり、週末にデートできなくてもいいのならばの話だけど。
それは綴木にもいえることだ。表面上の理由は言ったが綴木にはそんなのはあまりにも希薄すぎる理由。だから断る理由がないんじゃなくて、付き合う理由がないと言うべき。人間としてそんなのは悲しい。悲しいけど、理由も無いのに付き合ってそのうち『ハイ、さようなら』で割り切れないと思う。ずっと執着し続け、追い続け、迷惑をかけ続ける。だから今は誰とも付き合わない。
さて、こんな風に考えてる間に家に帰られでもしたら文字通り話にならないし、時間の無駄だ。
俺は重い腰を浮かせて鞄だけ持って立ち上がった。部活道具は部室に置いて来たから、そのまま一階上の魔術学部一年の教室によって部活をしよう。後に残る罪悪感を払拭するには運動が一番のはずだから。
いつもより少しだけリズムの遅い足取りでドアに向かう。熱くもなく、冷たくもない無機なドアに手をかけた。感触がおかしい。いつもと感覚が違ってえらく軽い。空振りしたのかと思ったが、ちゃんと指先には取っ手の温度がある。
ふと、反応が遅れたが俺の前に人がいた。身長は大体130cmぐらいで小柄というより幼児体系と表現した方がシックリ来る、そんな奴だった。
俺はどういうわけかこの小さいのが光矢 那智香本人だと直感で判断した。直感でもないか、綴木の話からの情報を踏まえているのだから。
「あ、あの、睦月 幸紀先輩です……よね?」
俺の名前を言った後の変な沈黙の所為で、思わず突っ込みそうになった。綴木の所為で突っ込みが癖になってしまったのか?です、の所でもう少し長い沈黙が続いていたら俺は反射的に『俺も睦月 幸紀先輩です』と答えていたのではないかと、その先には緩やかな漫談が続くんだろうななど、どうでもいいことを考えながら軽めに返事をした。
後輩に敬語使うのも変だし、使われた方も困るだろう。
「ん、睦月 幸紀は俺だけど、君は光矢 那智香さん?」
「いえ、違いますけど……」
妙におどおどしながら即答で否定されてしまった。見事なまでに直感が外れた。スポーツマンとして致命的な何かを感じるぞ。こういうときの人物当ての直感というものは大抵当たるはずなんだけど、アレは空想世界だけの話か。こんな事を間違えるなんて何となく恥ずかしい。
「私は伯耆 里奈って言います。事務員の先生とさっき言ってたなち――いえ、光矢さんからの伝言で来ました」
こほん、と咳払いをして改まった様子でしゃべり始めた伯耆さんの話を黙って聞いた。間に入れる必要のある、もしくは間に入れれる言葉があるわけでもないし。
「まずは、先生からの伝言です。偶々通りかかったら、ちょうどいいと押し付けられてしまって……。今日は部活動を行わず、まっすぐ家に帰ってこいと事務の方に連絡があったそうです。連絡相手はこの学校の大抵の教師の知り合いだから行ってみれば分かる、とも」
はて、そんな顔の利く人物が俺の知り合いにいただろうか?サッカー部の先輩だろうか?先代の部長が何かとサッカー部をたずねて来ることはあるが、個人名で呼ばれたのは初めてだ。そんな悩んでる俺を尻目に話を続ける伯耆さん。偶然先生に伝言を頼まれたのなら、今から話す光矢さんのことがメインなんだろう。心して聞く。
「光矢さんの用事はその、あっと、えっと……手紙読みましたか?」
遠まわしに聞いたつもりなんだろう。でも逆にストレートすぎるよな、この聞き方。
ともかく綴木の情報は間違ってなかったという事か。心のどこかで嘘なんじゃないかと疑ってたんだけど、これで間違えなく本当ということが分かった。綴木がいたからよかったものを送り主の名のない手紙では悪戯かと思われても仕方ない。内容があれなら尚更。まぁ、気づいてないみたいだから言わないでおこう。
「ん、読んだよ」
「そうですか……だったら分かりますよね?私が何言いたいのか分かりますよね!?」
見る見るうちに赤くなっていく伯耆さん。言うのが恥ずかしいのは分からなくもないが、そんな小さく赤くならなくても。書いたのは自分じゃないんだから。それに、下手に声を大きく行ってしまった所為で、周りの注目の的なんだが。せっかくできるだけ軽い調子で言って、さりげない会話を心がけた俺の苦労は水の泡か。
「うん、大体分かるけど」
「じゃあ、黙って私について来て下さい!」
ある意味プロポーズだよ、これ。言われたこちらとしても恥ずかしい事この上ない。いや、勝手に連想した俺が悪いのか。事情の分かってる俺と綴木はいいが、客観的にみると伯耆さんが俺に告白したように見える。後で誤解を解くのはとんでもなく面倒そうだ。
案の定、その他諸々の生徒(背景ともいう)からは、
「綴木 妃奈に強敵出現か!?」
「さぁ、睦月は不倫をしてしまうのか?その答えはいかに!?」
「何でお前ばっかりもてるんだー!」
などと罵声が飛ぶ。七割は何故か綴木との関係の野次であり、綴木の作戦は成功してりるのはこの際、気にしないでおこう。とりあえず、俺が今とるべき行動は……
「てめーら、うっせーよ!」
怒鳴りながら逃げる事だった。もちろん伯耆さんを連れて。