101.side-B
―イントロダクション―
例えば誰かのために生きる事が出来たなら、ずっと今以上、幸せになれる。
−101.七月一日(side-B)−
俺、睦月 幸紀は寝ていた。人間なのだから当然寝るときは寝るんだ。それ以上の理由は必要ないだろう。
時間的には学校に行くには問題ない。むしろかなり余裕があるぐらいだ。だが、余裕をもつことを習慣付ける意味として、この時間に起きている。学校で食べる弁当も作らなければならないし。
本当ならば自分のだけ作ればいいのだが、兄としては妹の分も作らなければならない。妹本人は自分で作ると言い張るが、朝が苦手な上、言っちゃ悪いが料理が下手だ。自分の身を守るためにも自分で作らなければならない。まぁ、ダイブもっとも大きな理由としては、兄として妹の面倒はきっちりと見る、というものが大きいが。それは両親との約束でもあるし、自発的なものでもある。
マザコンな訳ではないが、俺自身、本当は母さんが作った弁当が食べたい。
でもこれは自分で望んだこと。両親は現在転勤中。この生まれ育った土地に残るため、妹とこの家に二人で住まなければならなかった。これぐらいのことは我慢しなければならない。
ベッドから這い出て制服に着替える。
俺が通っているのは国内でも有数の進学重点校、私立葉崎高校。数年前までは上の下ぐらいの高校であったが、二年前ある学部を作ったことにより日本の五指に入る有名校になった。
魔術学部。
それが作られた学部の名。
その実験的一期生にあたる高校二年生に俺は在籍していた。クラスメイトはたった十人。大して受験者数は100人を軽く超えていた。それほどに門が狭く、試験は難しい中、合格したことは何よりも誇りに思っている。それが理由で親と離れてまでここで生活しているのだ。
地味な紺色のブレザーに袖を通し、昨日のうちに準備しておいた授業道具と部活道具を持って部屋から出た。俺の部屋は二階にある。少し急勾配気味な階段を降り、リビングに入る。入り口を潜ってすぐの邪魔にならないスペースに荷物を置く。
伽藍とした部屋の端にある台所で適当におかずを作り、自分用の少し大きな二段の弁当箱と妹用の小さな弁当箱に詰めた。弁当包みでくるみ、リビングにある机の上に妹の分を置く。自分の分は上下を気にしつつ鞄の中にしまった。
もう一度、台所に入って行き、食パンをトースターにセットして、俺は二階に上がる。もちろん妹を起こす為に、だ。
階段を規則的な音を立て、上がっていく。時刻は六時五十分前後。起きるには早い時間だが、俺の妹は放置しておくと平気で遅刻する。兄としては見過ごせない。もっと後に起こしてやればいいのだが、生憎俺は朝練があるのだ。
扉の前に立つと軽くノック。いくら気心知れた妹とはいえ、いきなり部屋に入るようなことはしない。それは最低の礼儀。まぁ、ノック程度で起きるようなら遅刻はしないから、結局無断で入るしかないんだけど。
「おーい、飛鳥ぁー」
妹の名前は飛鳥という。名前の由来は知らない。少なくとも飛鳥時代の飛鳥から取っていないことを願っておこう。
名前を呼んでも無反応。俺は軽くため息をつき、ドアノブに手をかけた。
「飛鳥、入るぞ」
ノブを回し、押す。何の抵抗も無くドアは開く。女の子らしく整然とした部屋はそこにはない。漫画や衣服が床に散乱し、かなり散らかっている印象をどうしても受ける。これは帰ってから片付けさせる必要があるだろうか?いや、そこまで干渉するのはいくらなんでも兄にしては過保護か。もう中学三年生なのだ。それぐらいは自分のペースでやりたいはずだ。俺は男だから女の子である妹の気持ちは分からないけど。
「この前片付けたはずなんだけどな……」
しかしながら、そんな愚痴は自然と漏れてしまうもの。俺は衣服と衣服、漫画と漫画の間を縫うように飛鳥の寝ているベッドに近づいた。かわいい寝顔で寝息を立てている飛鳥。起こすのは忍びない気がしたが、起こしてやらないのもまた問題があるので飛鳥に手を伸ばす。
「おい、起きろ、飛鳥」
「んあ?」
飛鳥の肩を揺するとなんとも言えない声が口から漏れた。完全に寝ぼけているようだ。
俺はめげずにもう一度、口を開いた。
「おい、早く起きろ」
やはり飛鳥は無反応。まったく、困ったものだ。
こういう時は無理矢理起こしてやるのが効く。
と言うわけで、まず布団をはぐ。中学三年生の女子とはいえ、妹。パジャマの着乱れた姿を見たからとはいえ、変な気持ちにはなったりはしないが、見られる側は嫌だろうと思うので微妙に罪悪感。
次に背中の後ろと膝の裏に手を回し、そのまま上に持ち上げる。俗に言うお姫様抱っこという奴。軽いので難なく成功。
最後に背中を持って俺に寄りかかるように立たせる。立ったまま寝させるという、拷問にも近い人間の限界に挑戦した結果、出来てしまった。なかなか見れるものではない。可哀想ではあるが。
「うぅ、ううぅー……」
いきなり飛鳥はうめき始めた。そして悪夢でも見ているかのように苦しげに。
でも心配は無用。これが飛鳥の起きる予兆だ。こんな姿、赤の他人にでも見せたら大変な事になりそうだ。
数秒の後、
「くわー」
と可愛らしい大きなあくびをした。可愛らしいが見っとも無い。条件反射なのか、眠りから冷めた飛鳥はいつも眠そうに目をこする。目をこすると目が痛みそうなのでやめさせた方が良いだろうか?
そんな事はさておいて、どうやら俺は気付いていないらしい。おそらく自分の置かれている状況すら理解していないだろう。
「おはよう」
飛鳥を現実回帰させる為、俺から声をかけた。すると飛鳥は驚いたように飛び退いた。効果覿面とはこのことか。
「な、ななな、何で、に、ににに、兄さんが!?」
いや、そんな思い切り驚いて指差さなくても。しかもどもりすぎ。どうやらまだ寝ぼけているらしい。頭をたたけば起きるだろうか。さすがにそれは可哀想か。
「いつもながら、それは飛鳥が起きないからだ」
あきれたように俺は言った。事実なんだからそれ以外に仕方ない。それに数週間前までは母さんが起こしてたんだ。習慣付かないのも無理はないか。
落ち着いている俺とは正逆に、更に更に慌てる飛鳥。
「きゃあ!髪ボサボサッ!!」
そんなことを1人で言っている飛鳥を無視し、部屋を出て行く。いつまでも付き合っていたらこっちが遅刻しそうだ。完全に出て行く直前、思い出したように俺は一言。
「先に行っているから遅刻すんなよ」
「あ、うん」
素直な返事。それだけやり取りして一階に降りた。
もう七時になっている。際どくやばい。急いで二人分のトーストにバターを塗り、自分の分は口にくわえ、飛鳥の分は皿において苺ジャムを塗った。
飛鳥の弁当箱の横に皿を置き、メモ用紙を一枚出して近くに置いておく。そして俺は机においてあるペンでサラサラっと文字を連ねた。トーストを食べ終わると手を払い、急いで鞄を持って玄関に行き、靴を履いて走って家を出る。
「いってきます」
返ってくる言葉はないが、いつもの癖でいってしまった。返答が無くてもこの挨拶を止める事は無いだろう。悪いことはないし。
俺も飛鳥に言えないくらい母さんたちがいたころの習慣が抜けきっていない。兄として示しがつかないとそんな考えが浮かんできたその時だった。
「いってらっしゃい!」
予想に反して返事は返ってきた。飛鳥のようだ。何気ないこんなことが無性に暖かい気がしてならない。だから俺は帰ってくるかも分からない挨拶をずっと続けてしまうのだろう。
そのまま俺は上機嫌に学校へと駆け出していた。