201.side-B
-イントロダクション-
楽しくなくても心に黙って笑えるし、哀しくなくても心に黙って泣けるけど、好きでもないのに俺は誰も愛せない。
-七月七日(201.side-B)-
七夕。
本日は間違いなく織姫と彦星が天の川の岸辺で一年に一度出会う、七夕と一般的には呼ばれる日だった。
カレンダーを見ても時報を聞いても、何をしたところで今日が七夕であることに変わりはない。何処かの自由奔放、自由気ままな彼女のように日本を出ない限りは。
しかしながら、高校生ともなれば七月七日なんて、昨日が七月六日水曜日で、明日が七月八日金曜日で、ついでに言うなら今日は木曜日であるくらいの意味しか持っていないわけである。
と言うわけで、今日も昨日と同じように平日として日本社会は廻るわけで、きっと明日もそれは変わらない。
つまり、何が言いたいかといえば、どんなに言い訳したところで世界は俺一人を待って立ち止まるなんて、優しさは孕んでおらず、俺の意思に無関係に動き続ける。要は俺は今日――
「学校、行かなきゃな……」
理由もなく、学校をサボタージュしたい気分に駆られていた。
行けば、何かありそうな……漠然とした不安。何となく、形容しがたい胸のわだかまり――いわゆる、虫の知らせというやつ。
でも、結局のところ、俺なんかに学校をサボる勇気なんてなく、いつもの時間にサッカー部の早朝練習に出ていた。
練習をしていても、チームメイトと話していても、この胸の重さは消えず、嫌な予感が俺の頭を満たしていた。
そういえば、飛鳥の様子がおかしかった気がする。体調が悪いといった感じではなく、精神的なストレスがたまっている雰囲気。
もしかしたら、それが原因なのかもしれない。いや、きっとそうに違いない。自分で言うのもなんだが、俺は少し飛鳥に対して過保護すぎる嫌いがあるし、父さんや母さんが家をあけるようになって、それはより顕著になった。
俺はそんな言い訳じみた、言い逃れじみた後付けの理由を噛み砕き、嚥下して、不安という小さな小さなわだかまりをねじ伏せた。ねじ伏せる必要もないのに、ねじ伏せた。
そうこうしている内に朝練は終了。全く充実感は無かった。疲労も感じない。やっている間の記憶さえも曖昧模糊。
そんなことはお構い無しに、やっぱり朝練の後には一時間目があるわけで、授業をうけるのには制服に着替えなければならない。
はぁ……、と思わずため息を漏らす。いつから俺はこんなにも哲学じみたというか、ニヒルな思考回路になったのだろう?なんの得もないのに。なんの意味もないのに。
両頬を叩いて、いつもの思考を動かす。クラスメートと一緒に授業を受けて、放課後にはサッカー、合間合間に綴木と馬鹿みたいに会話する。なんのことはない、楽しい楽しい慈しむべき日常だ。
「よし!」
授業教材で膨れたショルダーバックを肩に掛け、半ば自動的に済ませた着替えに何処かおかしいところはないかと軽く見る。変な箇所は見当たらなかったので、荷物がロッカーの中に収まっていることを確認してから、ロッカーの戸を閉めた。
ずれてきたショルダーバックをもう一度掛け直し、一番最後に更衣室を出る。しっかり扉を閉めて、鍵を掛け、ふりかえる。振り返れば――
「やっほー」
「うゎ!」
言い訳無用至近距離に、綴木が立っていた。その所為で俺は若干、驚きの声をあげる。対する綴木はといえば、怖いくらいにニコニコ笑っていた。本当に怖いくらい。いや、マジで怖いんデスケド……。
「ど、どうした……?」
やっとのことで絞り出した言葉が終わるか終わらないかのうちに、綴木は返答を始める。
「どーしたも、こーしたもないよ!昨日のこと忘れたの?うー……」
頬を膨らませて、綴木は上目使いに唸る。傍目からみれば可愛い限りだった。
「昨日のこと?」
しかしながら、俺にはこんな風に一方的に責められるような理由は思い付かなかった。少なくとも昨日、七月六日に関しては。昨日に限らずとも責められるような行動をとった覚えはない。
「忘れるなんてさらに酷いね!」
遂には綴木はそっぽを向いてしまった。本当に思い当たる節のない俺にとっては、リアクションが非常に取りづらい対応だ。
まぁ、向こうを向いてしまわれたのならそれはそれで俺はやれることがある。
「じゃ、そういうことで」
俺にできることは二人とも授業に遅れないようにスルーして、教室に向かうことだけだった。
「ちょ、ちょっと待ってよー!」
俺が歩き出したの背中越しに感じとったのか、綴木は早々に態度を変え、俺の後ろからついてきた。
軽い足音が俺より少し早いテンポでついてくる。無言のままで、二人並んでグラウンドを抜け、玄関で靴を履き替え、廊下を歩いて、教室に入る。クラスメートに冷やかされつつも、席について授業の準備をして開始を待つ。
今日もいつもと変わらない、日常が始まる。不安はいつの間にか、心の奥底に沈んでいた。
* * *
「と言うわけで昼休みー」
「綴木、一体誰に話しかけてんだ?」
「もちろん、幸紀くん」
「あっそ……」
午前中の授業を難なく消化して、一時のブレークタイム。またはランチタイムとも言う。まぁ、横文字でいくら表現したところでやることは何一つ変わらず、持参した弁当ないし学校内で購入した昼食を食べるのが主なことでる。余った時間は午後の授業に備えて準備をするなり、やってこなかった宿題を涙を流しながら写すなり、友人達と会話をして友情を育むなりしていい、学生達に与えられた憩いの時間の一つである。
そう、俺の中では憩いの時間と定義されてるんだよな。なのに何故だろう、こんなに荒んだ気分になるのは。
「そんなの弁当忘れたからに決まってるだろ……」
自答してみた。虚しくなるだけだった。おかしいな、ちゃんと入れた記憶はあるのだが。ボケたか、この年で。
ため息をついたところで腹はふくれないので、昼飯をどうするか早いところ決めないと昼休みが終わってしまう。とはいっても、財布をわざわざ毎日学校に持ってくる必要のない俺にはお金もない。自力ではどうすることもできないのは分かっている。流石に食事をぬいては午後の授業は耐えられても、部活は無理だ。
仕方ないと思い、綴木に金をほんの少しばかり貸してもらおうと、横向きに見上げる。
そこには満面の笑みを浮かべた綴木が待ち構えるように一言も言葉を発さずに立っていた。うわぁ、こいつ明らかに俺が困っているのを知っていて、頼ってくるの待ってるよ。進んで助けようと言うイカした心意気は無いのだろうか。
「なぁ、綴――」
「そうだよね!仕方ないから弁当を忘れた幸紀くんに私のお弁当をあげるよ!いや、うん、全然気にしないで!私はもう一個お弁当あるから!」
と、早口に、まるで用意しておいた台詞を暗唱するかのように言った。
まぁ、俺としてはありがたい限りだ。なぜ弁当が二つあるのかとか、いろいろいろツッコミどころ満載なセリフではあるが、昼食を食い損ねると言う危機からは脱却したし、下手なことは言うまい。慎んでいただくとしよう。
「悪い、本当に助かる」
「私と幸紀くんのラブラブな仲じゃない!私ねお手製かだから、美味しく食べてくれたらそれで良いよ。それより、屋上で一緒に食べよう!」
「あ、あぁ……」
かなりハイになっている綴木に強引に引っ張られて俺は、クラスメートの大半の視線を集めながら教室を出ていった。
そんな心地よい恥ずかしさのなか、俺は朝からあった不安は心に溶けて消えていた。溶けている不安なんて少し暖めれば、沈殿して重くのしかかるというのに、そんなことは忘れて、ただこの時を、楽しい一時を堪能する。