105.side-B
−105.七月一日(side-B)−
今日も学校が終わり、ようやく家の前まで帰ってこれた。時間は大体五時。伯耆さん、いや、光矢さんと別れて教室へ帰ると、待っていたのはクラスメイトからの詰問の荒らしだった。特に綴木。一字一句会話を聞きださんばかりの勢いで、質問をされた。何が正妻の余裕だ。あの分なら隠れて着いて来ていてもまったく不思議ではない。
そのときに伯耆さんはこの高校に在籍していなかった事や、光矢さんについても色々利いた。どうやら綴木も半分ぐらいグルだったらしい。光矢さんの裏切りはあったようだが。しかしながら、結果として綴木は満足らしい。人が降られておきながら満足って、趣味が悪いぞ、綴木。
ともあれ、綴木が教室から出て行った後、俺も続くようにして教室を出た。そのため、変える時間が随分とずれてしまった。俺が部活も無く帰った時間から差し引きすると30分近く待たせたことになるだろう。父親関係のお偉いさんだとしたら大惨事だ。
まず謝った後、遅れた理由を説明して……と、計画を立てつつ、家の鍵を取り出す。この時間だとまだ飛鳥は帰っていなかったはずだ。どこか寄り道して変えるのは常々の事。誘ってくれる良い友達を持っているらしい。今度飛鳥の日頃のお礼ぐらい言っておきたいものだ。いや、それは余計なお世話というものか。俺だって父さんがいきなり綴木にお礼なんて言い始めた日には次の日から学校に行けなくなるぞ。
こんなところであまり時間をとる訳にはいくまい。さっさと鍵を出し、錠を開ける。がちりという金属音が鳴ったのを確認してから、戸を引く。当然開くものとしてドアを引いたのだが、ドアは鍵の閉まったまま、家の中に入れることは無かった。
どうやら、飛鳥が帰ってきているのか。可能性はある。俺にだって部活を休んで帰って来いといわれたのだから、飛鳥にだって呼び出しがかかったのかもしれない。若しくはお客が鍵を持っていてそのまま入ってきたという場合も十分に考えられる。
お客が先に入った可能性のほうが若干高いか。鍵を持っていなかったら、玄関先で待っているはずだ。だとしたら知り合いなのかもしれない。
もう一度鍵をさして、開錠する。今度はすんなりドアは開き、俺は家の中に入ることが出来た。
挨拶もなしにずかずかとリビングへと進む。そこは勝って知ったる我が家、いちいち周りを窺ったりはしない。玄関においてあったブラウンの編み上げブーツで俺は大体、相手が分かっていた。分かっているだけに気持ちが急く。
バリアフリーもリビングへの内開きのドアを開くと、明るい光が目に飛び込んできた。
「よぉ。久しぶりだな」
スタッカート標準装備のようなインパクトのある声。白いショートパンツとタイトな黒いラバーシャツのコントラストが焼きつくような印象。ちょうど僕から正対するようにしてソファーに不遜な態度で素足を組みつつ、こちらを爛々たる眼光でで低い位置にいるにもかかわらず尊大に見下ろし、射抜く。
決めの細かい肌で覆われた素足を解き、掛け声も無く立ち上がる『彼女』。自己主張しすぎな胸の前で腕を組み、フローリングの床を歩いてくる。板張りの床がみすぼらしく思えてくるほどの美貌。もっとも、この人に合う床なんて宝石のみで出来たような輝きを放つ床ぐらいのものだろう。
「どうしたよ、感動の再開に声も出ないか?ん、どうしたよ、幸紀?」
彼女、東雲 在逢ことアリアさんは俺の目の前でにたにた笑っていた。
正直、あまりにも予期せぬ相手だった。編み上げブーツなんて格好つけたもの履く知り合いなんてアリアさんぐらいだから予想は出来たが、何しろ三年ぶり、まさかと思った。正直もう帰ってこないと思ってたし。
幼少から隣家に姉貴分として暮らしていたアリアさんが一月ばかり世界を見てくるといって、ハンドバック一つでアフリカ最南端喜望峰へと向かう船へと旅立ったのが三年前。しかし、悲劇的にも喜望峰目前、マダガスカル沖でアリアさんの乗った船が沈没。不幸中の幸い、無人島の近くで沈没したため流れ着いて一命は取り留めた。船は沈没前に救難信号を出していたため、すぐに救出されたらしい。だがしかし、アリアさんはその救出船から脱走。もう一度、無人島へ泳いで渡り、1週間ほど生活した結果飽きたらしく、筏を作ってフリカ大陸に上陸。当然のことながら入国手続きも何もしていないので、不法入国で地元警察に拘束され一日ばかり牢獄生活を楽しんだ。その後、即釈放され、熱烈な持て成しの中、隣国に移動。釈放の理由は不明。この国で俺たちに一度連絡をよこしてきた。船が沈んだと聞き、一日千秋の思いで安否の連絡を待っていた俺たちは普通に喜んだ。だが、上記のような冒険譚を一方的に話したのみの連絡だったので現在位置もなにも分かったものではなく、以降二ヶ月消息不明。本人の話が本当なら、アフリカを徒歩と不正規な移動手段を用いて、北へと移動。アフリカ大陸北端まで何と三ヶ月も掛かったらしい。北端にてもう一度俺たちに連絡。しばらく、若しくはもう帰らない旨を一方的に告げ、連絡を一切途絶えた。つまりまたもや消息不明。でもって二年九ヶ月というとんでもないブランクはあるが、現在に至ると。まったく、そろそろ忘れそうになっていた頃だ。忘れた頃にやってこなくて良かったと心底思う。忘れてたら今頃俺は首から上がなくなっているかもしれない。
「アリアさん、ひさしぶり」
「えらく素っ気無いな。昔は『おねぇーちゃーん』ってよたよたくっついてた頃が懐かしいよ」
「そんな頃はないですっ!」
まったく、容姿から内面まで何一つ変わっていない。それが良い事なのか悪い事なのかは分からないけど、とりあえず俺はうれしく思う。
「ん、それにしてもおっきくなったな。私と背がほとんど変わりないじゃないか」
ちなみに言っておこう。アリアさんは俺より背が高い。モデルのスカウトもされたことがあるらしかった。
「ま、そんな事はおいておいて」手を、右から左へ動かすジェスチャーをしつつ、アリアさんが言う。「飛鳥は?まだ学校?」
「あ、はい。もうすぐ帰ってくると思いますよ」
「いや、そういう意味じゃなくて、まだ学校に通ってんのか、って意味で聞いたんだけどな。通ってんならいいや。そういや、私がこっち離れた時、まだ小学生だったんだから、当然義務教育か」
何が当然だか。日本における最終学歴小学校卒業のクセをして。中学校中退、高校中退、大学中退と名門校の魔術学部に通りつつも全て『飽きた』の一言で中退したアリアさんが言うと違和感たっぷりだ。
「んで、お前は……うげ、葉崎なんて通ってんのかよ、ダッセ。魔術学部位に行くとか言ってなかったっけ?私の後を追って。んで、落ちて
滑り止めの葉崎に行ったと」
「アリアさんの後なんて追ってません。ちゃんと魔術学部にも通りました」
あ、言った後で気づいた。魔術学部は二年前に出来たから、アリアさん知らないんだっけ。一つ付け加えておくと、制服見て葉崎はダサいとか言わないで欲しい。地味ではあるが、地元ではそれなりに人気があるのだ。きっとアリアさんの言ったダサいは葉崎高校に通っている事自体を指しているのだろうけど。
「なんだ、通ったのか。じゃ、何で葉崎に?あ、飛鳥にでも泣き付かれたか?」
そんな言い方をされるとは心外だ。それではまるで俺がシスコンみたいじゃないか。
「新しく葉崎高校にも魔術学部が出来たんですよ。自宅からも近いですし、金銭面を考えて葉崎に行く事にしたんですよ」
「金銭面なんて女々しいねぇ……」
そんな風にため息をついたアリアさん。聞かなかったことにしよう。アリアさんだって本気で言ったわけじゃないだろうし。
「それで、この度はなんで帰ってきたん――」
「ただいまー」
と、ちょうど言いタイミングで飛鳥が帰ってきた。声色はいつも通り、明るい。今日も何事も無く学業と遊びを満喫してきたらしい。
そういえば、玄関に編み上げブーツを置きっぱなしだ。飛鳥は一体アリアさんを見てどんな反応を見せるだろう?きっと驚くはず。もしかしたら怖がるかもしれない。飛鳥はアリアさんを苦手っぽく見てたしな……。
突然聞こえる、ドタドタという走るような足音。やっぱり飛鳥も同じ人物に思い至ったんだろうな、と思いつつ、どんな驚き方をされても良いように俺は覚悟を据えるのだった。