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【観測者の時空】エッセイから物語へ その違和感は、未来のバグです。―『彼女の時空:0612』へ繋がる伝線―  作者: Taku
物語編『観測者の卒業 ――0612:境界線の向こう側――』

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第7話 【再構成される時空】第2話 「バックアップ」

白い部屋。


監視者の声が、淡々と続いていた。


「バックアップの作成を開始します。ノイズデータ――伝播実験の記録、全二十三件。異常値の解析ログ――」


カノジョは、その声を半分だけ聞いていた。データの羅列。数値の報告。どれも、自分が観測してきたものだ。でも――もう、自分のものではないような気がした。


(あれは、もう過去の私だ)


「バックアップ、完了しました」


監視者が言った。


「送信先を指定してください」


カノジョは少し間を置いた。送信先――その言葉の意味を、自分の身体で確かめるように。


「――あのカフェを」


「座標を特定します」


監視者の指が空中をなぞる。データが浮かび、消える。


「特定しました。ただし――」


その声に、初めて「間」が生まれた。ほんの一瞬。0.3秒。データ的には意味のない空白。でも、カノジョはそれを逃さなかった。


「その場所には、すでに別のノイズが存在する可能性があります。干渉が起きるかもしれません。データの衝突。論理的な矛盾。あるいは――タイムパラドックス」


「タイムパラドックス」


カノジョは繰り返した。今の自分には、どこか遠い響きだった。


「それが、何か」


「あなたの観測記録が、過去の事象と矛盾する可能性があります。あなた自身の存在が揺らぐかもしれない」


監視者の声は、機械的だった。でも――その奥に、かすかな「心配」のようなものが混ざっている気がした。気のせいかもしれない。でも――もし気のせいじゃなかったら。


「それでも、送りますか」


カノジョは自分の指先を見た。震えている。その震えは、誰かから受け継がれたものだ。あの観測したときの誰かから。その前の誰かから。もっと古い、名前も知らない誰かから。


(私は、その連鎖の途中にいるだけ)


「送る」


カノジョは答えた。


「あの場所に、私のノイズを送る。それが、私にできる最後のこと」


「干渉のリスクを――」


「わかっている」


監視者は、少し間を置いた。その間は、さっきよりも長い。計算では説明できない空白。


「あなたは、変わった」


監視者が言った。


「観測者だったあなたが、観測される側になり、そして――」


「伝播する側になった」


カノジョは続けた。


「それが、悪いことかどうかはわからない。でも――これが、私の選んだ道だ」


その時だった。


白い部屋の壁に、またノイズが走った。今度は、さっきよりもはっきりと。監視者の声が、微かに乱れる。


「システムに……未定義の揺らぎを検知」


「それが、私の送るノイズか」


「いいえ。もっと古い――あなたが観測した、百年以上前の誰かの……ひか……り……」



監視者はそこで言葉を切った。


「あなたが送ろうとしているノイズと、その場所にすでに存在するノイズが――共鳴する可能性があります」


「共鳴」


カノジョはその言葉を、自分の指先で確かめた。震えている。その震えは、誰かと一緒に震えているような感覚だった。


(そこには、もう誰かがいる。私が届けようとしているものと同じように――誰かに届けたくて、震えている誰かが)


「それでも、送りますか」


監視者の問いは、二度目だった。


カノジョはうなずいた。


「私が、そのノイズの一部になるだけだ」


その言葉は、誰に言うでもなく、静かに白い部屋に溶けていった。


「転送を実行します」


監視者の声が、白い部屋に響く。


カノジョの観測記録が、データとなって光る。ノイズデータが、波形となって揺れる。それらが、一つの「塊」となって、過去へ向かって飛んでいく。


カノジョはそれを見ていた。自分の記録が、過去へ消えていく。自分の震えが、誰かのもとへ届く。それだけのこと。


(これで、いい)


彼女は思った。


(私の役割は、ここまで)


転送が完了した。


白い部屋に静寂が戻る。


監視者が言った。


「バックアップは、過去の座標に到達しました。ただし――」


「ただし?」


「その結果、あなたの存在に変化が生じています。データ的に言えば、あなたは『過去を変えた』のではなく、『過去の一部になった』のです」


カノジョはその言葉の意味を考えた。過去の一部になる――それは、『彼女の時空』のどこかに、自分が溶け込むということだ。名前も、顔も、声も残さず。ただ――かすかな「熱」だけが、そこに残る。


(それで、いい)


彼女は自分の指先を見た。震えている。でも――その震えは、もう「自分のもの」という感覚が薄れていた。誰かの指先で、同じように震えている。その感覚だけが、共有されている。


「これで、あなたはもう観測者ではない」


監視者が言った。


「あなたは――」


「登場人物になる」


カノジョは答えた。


「この先の物語の中で、ただの『誰か』として。名前もなく。顔もなく。でも――かすかな熱だけを残して」


白い部屋の照明が、また一瞬だけ揺れた。


監視者の声が、最後にこう言った。


「あなたのノイズは――届きました。百年以上前の、あるカフェの、窓際の席に」


カノジョはうなずいた。それだけだった。


彼女はもう、何も書かない。何も記録しない。ただ――そこにいる。


それが、彼女の選んだ「観測の終わり方」だった。

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