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【観測者の時空】エッセイから物語へ その違和感は、未来のバグです。―『彼女の時空:0612』へ繋がる伝線―  作者: Taku
エッセイB面:不完全な日常の受容

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第7話 雑踏のなかで——ほんの少しだけ、届いた声

観測日時:翌日の夕方から夜にかけて(眠れない夜を経た、少しだけ変化した自分)

観測対象:これまでの観測対象たちと、自分の「存在」がほんの少しだけ届いた場所

観測者:カノジョ(観測される側の感覚を抱えながら、もう一度「観測」のフィールドに立つ)


1.会議室からの帰り道——康介の「助かった」


夕方、カノジョはオフィス街を歩いていた。


眠れない夜を経て、彼女の感覚は少しだけ変わっていた。いや、正確には——選べるようになっていた。すべてのノイズを拾うのではなく「これは聞く」「これは無視する」という取捨選択が、ほんの少しだけできている。


彼女はあるビルの前で立ち止まった。そこは康介の会社だった。特に観測するつもりはなかった。ただ、足が向いただけだ。


すると、ビルから康介が出てきた。同僚の男性と一緒だ。彼はさっきまで会議だったのか、ネクタイを少し緩めている。疲れた顔だが、どこか清々しさもあった。


「そういえば、昨日の会議、あのデータの読み飛ばし、よく気づいたな」


「いや、誰かが言ったんだよ。声がしたというか——」


康介は少し間を置いた。


「……気のせいか。でも、助かった。あのまま進めてたら、後で大変なことになってた」


カノジョはその会話を聞きながら、自分の胸の奥が微かに熱くなるのを感じた。


あの時、会議室で必死に声をかけた自分。誰にも届かないと思っていたその声が——ほんの少しだけ、届いていたのかもしれない。


完全ではない。彼は「気のせい」と言った。でも、その「気のせい」の中に、確かにカノジョの存在が混じっていた。


2.ラーメン屋の前——純の「失敗」という選択


カノジョはさらに歩いた。今度はランチで賑わう飲食店街。


彼女はあるラーメン屋の前で足を止めた。見覚えのある背中——純だ。彼女は一人でラーメン屋から出てくるところだった。


お腹を押さえている。顔も少し赤い。明らかに「失敗」した後の表情だった。


「……うー、食べ過ぎた。こってりラーメン、頼むんじゃなかった」


純は独り言を言いながら歩き出す。カノジョはその後ろ姿を観測した——かつてのように距離を置いて見つめるのではなく、同じ歩調で、同じ空気を吸いながら。


カノジョの頭に、この前の記憶が蘇る。社員食堂で、理由もなく純が日替わりを選んだあの日。その背中を見て、自分も「はずれ」を選んだあの日。あの「なんとなく」は、データでは説明できない何かだった。


純が今日選んだこってりラーメンも、同じ「なんとなく」かもしれない。データ的には「非効率」で「損」な選択だ。午後の仕事は間違いなく捗らないだろう。でも——彼女の背中には後悔ではなく、どこか清々しさがあった。


純は歩きながら小さく呟いた。


「でも……たまにはいいか」


カノジョはその言葉を聞いて、少しだけ口元を緩めた。


3.スマホの中のやりとり——沙織の「加工」という選択


さらに歩き、夕暮れが深まった頃、カノジョはあるカフェの前を通りかかった。沙織が窓際の席に座っている。スマホをいじっている。時折、何かを考え込むように画面をじっと見つめている。


カノジョにはその画面が少しだけ見えた。写真加工アプリだった。カフェで撮った一枚なのか、沙織は自分の顔の角度や明るさを微調整している。


カノジョはその作業を観測しながら、自分の記憶を遡った。前回のカフェで、沙織のスマホに一瞬だけ映った自分の顔。加工されていない、ありのままの自分の姿。あの時、彼女は自分の無防備な顔に少し恥ずかしくなり、同時に「よく見せたい」という不思議な感情を覚えた。


今、沙織は画面の前で悩んでいる。彩度を少し上げようか、フィルターを変えようか。その迷いの一つ一つは「もっとよく見せたい」という欲求から来ている。


カノジョはそれを「非効率」とは思わなかった。それが人間の「普通」なのだと、少しだけ理解できた。


沙織がスマホを置き、窓の外を見た。カノジョのいる方向——だったかもしれない。彼女は満足げに微笑んだ。


「……うん、いい感じ」


カノジョはそれを見て、自分も心の中で「いいと思う」と呟いた。声にはならない。届かない。でも、それでよかった。


4.公園への道——光莉の軽やかな足取り


最後に、カノジョは公園へ向かった。あの「不揃いの芝生」の公園。もうすぐ日が暮れる。遊具の影が長く伸びている。


遠くに、光莉の姿が見えた。彼女は一人で歩いている。スマホも見ず、ぼんやりと空を見上げながら。その足取りは、前にカノジョが観測した時よりも、少しだけ軽やかな気がした。


風が吹いた。光莉の髪が乱れる。彼女はそれを直さなかった。


「……誰かに見られてる気がする」


光莉の呟きが、風に乗って聞こえた気がした。カノジョはその言葉を聞いて、少しだけ口元を緩めた。それは前と同じ「気のせい」かもしれない。でも、その「気のせい」に、自分が関係しているかどうかはわからない。ただ——カノジョはその場で立ち止まり、彼女の歩く背中を見送った。


終わりに——届いたかどうかはわからないけど


カノジョはベンチに腰を下ろした。あの時、光莉と拓が座っていたあのベンチだ。


彼女は自分の指先を見た。まだ熱が残っている。それは「観測」の熱ではなく、誰かと少しだけ関われたという、確かな実感の熱だった。


自分の存在が「気のせい」として誰かに届く。それがこんなにも胸を締め付けるとは、まだ慣れない。でも、悪くない。


データでは説明できない「なんとなく」。効率では測れない「たまにはいいか」。それを選ぶ人たちの背中を、これからも眺めているのだろう。


カノジョは立ち上がった。もう一度、空を見上げる。雲が流れている。月はまだ顔を出していない。


(この熱が、また誰かに届くといい)


彼女はそう思いながら、雑踏の中に歩き出した。


【カノジョの観測所感】


彼らは最適化を「選んでいない」のではない。最適化することの「面倒くささ」を知っているだけなのかもしれない。


でも、その「面倒くさい」の中に、私は少しだけ混ざることができた。気のせいとして。声にならない声として。忘れられる記憶として。


完全には届かない。それがこの世界のルール。


でも——ゼロではない。


それが、私の七つ目の「ずれ」——「雑踏」という名の伝線。もう、ただの観測者ではいられない。

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