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私の兄はとにかく最低だ。
生きている価値がない。死んだほうがいいどころか、一刻も早く死ぬべき人間であり、間違いだらけで、ガラクタで、海の藻屑未満の存在で、不良品で、悪魔で、死ね。
ずっと祈ってきた。
おねがいします、どうかはやくしんでください。
かみさまでもほとけさまでもどっちでもいいから、はやく、おねがい。
あいつをころして。
そんな祈りを、学校の黒板や窓から見える上空に捧げていた。小学六年生のころから、ずっと。
だけど、祈りなんてただ頭の中で考えているだけのことで別になにか行動しているというわけではないのだから結局無意味だってことを分からされる結果になったのは想像に容易いだろうしそんなことは本当にどうでもよくて。
明日から学校であるという現実に耐えられず、脳がランダムに憎悪をまき散らすという暴走を起こした結果だ。だから、あまり気にしないで。どうでもいいことだから、関係ないから。
「私はなにがしたいんだろう」
私はなにがしたいんだろう、と思った。口にも出した。
小晴がどうなれば私的に満足なのか、そんなことを考えてみた。一番は、やっぱり心中かな? そんなわけがない――とは言い切れなかったので、少し慌てた。だからなんだ、とも思った。
ああ、頭の中が混乱している。思考がカオス状態。
小晴がいなくなってしまったから、私の脳は狂ってしまったのか? ちっぽけすぎる。
自覚してから一瞬で失恋したあの日以来、私はきっと、大事なナニカを失ってしまったのだ。どこか楽しくなくて、幸せじゃない日が続いて――最後に、こんなことになって。
今だから言うけど、私はずっと小晴を殺したかった。
ベッドの上に仰向けで寝転がりながら、私は色々なことを考える。自慰はしないけど、あの時のことを、鮮明に思い出す。自覚して、私はなにをしようとしていたんだっけ? ああ、そうだ、気持ちを伝えようとしたんだ。
でも勇気が出なかった。そうこうしているうちに、小晴は人を殺してしまった。
なにがいけなかった――と悩むことができない。だって、私はなにもいけなくなかったのだから。
芹梨さんから貰った情報は、使い物にならない。そもそも目的が定まっていないのに、私はなにがしたいんだ。
真相を知って、どうしたい?
知らない、知って。
死ってなに?
どうして人を殺しちゃいけないの?
子どものころ、誰かにそんな質問を投げかけたことがある。多分、大人にだろう。同じ子どもなんかに訊いても、役に立たないだろうから。だから私が選んだのは、大人だったんだと思う。だけど、子どものころの私にとって、大人というのはつまり自分より大きい人間だった。ならきっと、
「兄貴」
口に出して、呼んでみた。最悪な気分になるだけだった。
そうこうしていると、瞼が重くなってきた。もうそろそろ、眠気が私の意識をデートに誘う頃合いなのだろう、と肩の力を抜いた。緩やかに呼吸のリズムを刻んで、刻みすぎてバラバラ死体になるところだった。
いつの間にか、外は明るくなっていた。
意識がなかったから、きっと私は眠っていたのだろう。意識がはっきりとするのはなぜだろうか。浅い睡眠だったのかもしれない。そう思いながら、私はベッドを脱出する。朝ご飯の担当はいないが、もっとも早起きした人間が作ることになっている。とはいえ、妹は絶対に早く起きないので安心だ。
洗面所で歯磨きを終えてからリビングに行くと、テーブルの上に人数分の料理が乗っかっていた。おそらく、母親だろう。彼女は朝早くに仕事に出るので、一緒に朝ご飯を食べることはまずない。父親も同じだが、彼は出張中だった(昨日知った)。
妹や兄を待たず、私は食事を始める。料理といっても、テーブルの上にあるのはフレンチトーストだけで、他になにかあるというわけではない。カットされた食パンにフォークを突き刺し、口に運ぶ。
簡単に作れるっちゃ作れるのに、こんなにも美味しいのはどうしてだろうか。
「まあ、私は作れないんだけどにゃー」
独り言をひとつ呟いてから、また同じ動作を繰り返して朝食を完食する。
「ごちそうさまでした」
そういえば、いただきますを言うのを忘れていた。だけどそれを指摘する人間はこの家にいない。
言葉は言葉でしかなく、感謝や礼儀を示すのには不適格だ――というのが私の考えで、妹はきっとどうでもいいと思っていて、兄は面倒くさいと思っていて、母親は私と同じ考えで、父親は『言葉より行動で示すのが男だ』タイプ。まあ要するに、私と母と父は言い訳をしているだけだってことだ。
自分の分だけ皿洗いを済ませてから、妹を起こしに行く。
その途中で兄とすれ違ったが、私は無視をした。こんなヤツには文句を吐く価値すらないのだと、そろそろ学んできた。まだまだ成長の余地がありそうな自分に安心した。
妹の部屋に不法侵入し、ベッドの上ですやすやと寝息を立てている妹に声をかける。
「蜜柑、朝だよ」
「…………」
起きないので、三回ほど手を鳴らしてみた。
「………………ん」
んええあ、と声を漏らしながら、のそのそと起き上がる妹。私はその様子を確認してすぐに部屋を出た。
まずはお風呂に入らなければならない。入った。
制服を着た。
歯を磨いた(二回やったほうがいいと、ネットに書いていた)。
カバンを持った。
これでもう、いつでも出発できる状態だ。
誰かと待ち合わせをしているわけでもないので、私は家を出る。
行ってきますも残してやらなかった。
久しぶりの教室で、知らない人に話しかけられた。
「大丈夫でしたかぁ?」
「ん」
その顔には見覚えがあった。名前は知らないが、クラスメイトだったはずだ。
今さら名前を聞くわけにもいかないので、とりあえず無難な回答を差し上げてやった。
「うん、もう大丈夫だよ。ちょっとショックだったけど」
「そうですかぁ」
語尾をちょっとだけ伸ばした話しかたで、雑な反応を示してくれた彼女の表情は、不気味に笑っていた。やはり、殺人を犯した人間の友人というポジションは、高校生活を営むにあたって不利になってしまうものなのだろうか。
野次馬は黙っていればいいのに。
赤の他人に興味を持つだなんて、愚かだ。
「てことはぁ、柚子ちゃんは知らなかったんですねぇ」
「うん」
柚子ちゃん、と馴れ馴れしく呼んできたということは、それなりに交流のある人か。
困ったな、本当に思い出せない……。
「ま、なんでもいいですけどぉ。頑張ってくださいねぇ」
舐めた態度をとる子だな、というのが彼女の第一印象だった。いや、初対面ではないはずなのだけど。
彼女が私の前から去っていったので、私はそれとなく教卓に向かい、座席表を確認する。これから情報を集めるのだから、まずクラスメイトの名前くらいは知っておいたほうがいいだろう。
『藤綿背弧』――か。とりあえず、今話しかけてきた子の名前はばっちり覚えた。
出席番号一番が『茜雛』、二番が『虎刺淘汰』、三番が――あ、これ面倒くさい作業だ。やーめた。
爰々ちゃんから話を聞いて、それでここでの情報収集は終わりにしよう。どうせ学校で得られる情報なんて、数えるほどもなさそうだし。塾に凸ったほうが有意義だ。
「え、小晴さんについて?」
昼休憩、私は爰々ちゃんを誘って食堂に来ていた。私が牛肉うどん、爰々ちゃんがお好み焼き定食を注文し、届いた料理を口に詰め込む動作を繰り返している合間合間で話を聞くことにしたのだ。
「なにか、知ってることとかないかな? 些細なことでもいいから」
「うーん…………」
小晴とはある程度関わりがあるはずの爰々ちゃんなので、もしかしたらなにか手がかりが見つかるかもしれない。そう期待していたのだが、結果はあまり芳しくなかった。あまり、ではなくあまりにも。
「ごめん、なんも知らないや。そもそも、仲よくはなかったし」
「え、そうなの?」
小晴と仲よくなれない人間なんて、欠陥製品としか思えないのだけど。もしくは人間失格か。爰々ちゃん、もしかして京都で無差別殺人を繰り広げていたりするのかな。
「色々あって、揉めたんだ。仲直りはしたけど、修復はできなかった」
「そうなんだ……」
また、私の知らない小晴の世界の片鱗を見せつけられてしまった。
修復ができなかったということは、元々は仲がよかったということだろうか。
「ちなみに、それっていつの話?」
「一昨年かな。まだ中学生だった」
やっぱり、高校以前からの知り合いだったか。だったら、爰々ちゃんは私の知らない椛椿小晴を色々と知っているのかもしれない。私の知らない小晴の世界を、少しだけ知ることができるのかもしれない。
「中学のころの小晴って、どんな感じだったの?」
私の問いかけに、爰々ちゃんは怪訝そうな顔をしながらも答えてくれた。
「んーと、クラスにひとりはいる関わったらマズいタイプの女――の友達、みたいな感じ」
「…………?」
「逆張りっていうのかな。ヤバい人とつるんでるけど、別に普通の人ともつるんでる」
それって、誰に対しても平等ってことなんじゃないか?
「小晴さんが特段変な子ってわけじゃないけど、その周りには色んな人がいた。女子の体操服でシコって出停になった陰キャや、金払ってイケメンと寝てた不登校、プッシャーやってることを周りの人に自慢してたデブ、違法サイト運営してたガリ」
「………………ええ?」
確かにそれは、『誰にでも平等』の次元を超えているような気がする。というか、小晴と爰々ちゃんの出身中学ヤバい人多すぎじゃない……? それとも、私が知らないだけでそれが普通なの……?
バラエティに富んでいる、という言いかたをしてもいいのだろうか。
「高校に上がってからは、そういう変なのと関わらないようにしてるっぽいけど」
「そうなんだ…………」
本当にそうだろうか。
藍桐背負疎は、『そういう変なの』ではなかったか?
そして、柊桜柚子は、そうではないのか?
「小晴さんと揉めた原因については言えないけど、それが関係してるよ」
それ――変な人と関わっている、ということか。
それに加えて、普通の人とも関わっている。特別支援学級の子と仲が良い普通学級の子、みたいなものだろうか。私は彼らを避けていたタイプだが、私のそれはきっと正しくなかった。
だから、正しいのはやっぱり小晴なんだろうけど。
やっぱり、真相を解き明かさなければならない――そんな気がした。
小晴はいつでも正しいのだから。
「ありがとう、爰々ちゃん」
「どういたしましてだけど……、どうしてそんなこと知りたかったの?」
返答に窮した。確かに、それは気になることだろう。
どう答えればいいだろうか。
…………まあ、そんなの考えなくていいや。
「好きだから」
「え?」
小晴のいない学校に価値なんてないので、周囲に自分のアブノーマルをひた隠す必要だってない。
「私は、小晴が大好きなの」
帰ろうとした放課後のことだった。
「一緒に帰らない?」
「え?」
顔に見覚えはあるけど名前までは知らず、雰囲気が陰キャっぽいメガネ男子がいきなり話しかけてきた。あまりにも唐突すぎて、反射的に頷いてしまう。失敗した。
「あ…………」
「よかった。ちょっと、話したいことがあったから」
これから、小晴の通っていた塾の生徒に話を聞きに行く予定だった。でも、流石に建物内に凸るのはナシという判断を私の頭の中に不法滞在しているマナー講師が下したので、仕方なく塾が終わるまで待機することになっていた。
だから、時間に余裕がないわけではない。
「……じゃあ、帰ろっか」
カバンを肩にぶら下げると、彼に背を向けて私は教室を出た。感覚で、後ろにストーカーがついてきていると分かった。無言のまま、靴箱の前まで到着したところで、私は振り向いた。
「オタクくんは、なにが知りたいの?」
「オ、オタ……? もしかしてそれ、ぼくのこと?」
どうやら彼は、自分の名前を認識していないようだ。と思ったが、すぐに気付いた。彼の名前を認識していないのは私のほうだった。ああ、やはり本調子じゃない。
そんなことはどうでもよくて。
こういう場合は、唐突に自己紹介を始めて強制的に相手に名乗らせるという奇策を披露するに限る。
「私は、柊桜柚子です。はい」
「え、え? ぼ、ぼくは、皐梓萌々だけど」
え、あなたが萌々さんなの???
名前だけ見て、つい女の子だと思い込んでしまっていた。昨日、心配のメールをくれた子だ。
「なんでそんなに驚いたような顔してるの?」
「いや、ちょっとね」
よくこの特徴ある男子くんの名前を忘れていたな、私。自分の記憶力が心配になったので、今夜柚子ちゃんの脳みそに心配メールを送ってあげようかなだなんてくだらない妄想をしながら外靴を履いた。スニーカー大好き。
学校玄関のにおいは、色々なものが混ざったような感じで、とても嫌いだ。だから、早く出たかった。
「ふうん…………」
萌々くん、か。
「じゃあ、萌々くん。歩きながら話すよ」
「うん」
下校中、隣に同級生の男子がいるという状況は、もしかすると人生で初めてかもしれなかった。だけど別に、心が躍ったりはしない。ドキドキするかと思ったし、たじろぎそうだなと思っていたけど、私の心はいつもどおりの平常心を保っていた。
私の性的マイノリティは後天的なものではなかったのか、と今さらながら驚いた。
「なにが知りたいの?」
歩きながら、私のほうから質問をする。相手に主導権を握られるのはけして得意ではなかった。得意不得意の問題ではない気もするけど、私にとってそれは問題だった。
「まずは、柊桜さんのことかな。ちょっとだけ心配だったから」
「ありがとね」
これまでまったく絡んだことのないクラスメイトの心配をするだなんて、萌々くんは優しいなあとチョロい私は思った。裏があるのかもと考えることもできるが、私は甘ちゃんなのでそんなことしない。
ただ信用する。
「私はもう大丈夫だよ。確かに、色々知った時はけっこう落ち込んだけどね」
「ならよかった」
萌々くんがよくて私もよかった。
「それで?」
「ん」
「他に、聞きたいことがあるんでしょ?」
疑問符をくっつけただけの確認に、萌々くんは少しだけ笑顔をやめた。つまり、今まではニコニコ笑顔だったということだ。それはともかくとして。
「…………そうだね」
しばらく間を置いてから、萌々くんは言った。
「椛椿さんについて、話があるんだ」
「………………」
話、とは?
また、私の知らない世界の話か? 小晴が萌々くんと関わっていたなんて話、聞いたことがないから。
「同じ中学だったよ」
「え、そうなの?」
衝撃の事実だった。爰々ちゃんだけじゃなくて、萌々くんも小晴と同じ中学出身だったのか。
どちらも名前に『々』が入っているけど、共通点はそれだけじゃなかったらしい。
「な、仲よかったの?」
「よく話してた。仲は、悪くなかったから」
「…………え?」
小晴と、仲がよかった――からって変人というわけではないのか。
爰々ちゃんが言うには、小晴は普通の人ともよく絡んでいたそうだ。それはつまり要するに、誰に対しても平等に接する子ってことで、変人収集のスペシャリストってわけじゃあない。
「そうなんだ」
とりあえず、当たり障りのない反応をしたつもりになってみた。
「…………ん」
で?
「本題は?」
「え?」
私の問いかけに、惚けたような表情をする萌々くん。惚けているというか、困惑しているようだった。
「別に、本題とかはないよ」
「……どういうこと? それなら、萌々くんはどうして私と話そうだなんて思ったの?」
疑問符がお決まりの語尾になってしまいそうなくらい増加している頭の中。とりあえず、本当に知りたいことだけを的確に抜き出して口に出し目の前の少年に問う。高校生は青年だっけ? 忘れちゃった。
「柊桜さんが欲しがるかな、と思って」
「………………?」
欲しがるかなって……、萌々くんはどうしてそう思ったんだろう?
もしかして、このクラスメイトはエスパーなのかもしれない、とまたもやくだらないことを考えた。
でも、別にそんな情報欲しくなかった。だって、なんの役にも立たないじゃないか。
だったら萌々くんはエスパーなんかじゃなかった。以上、QED、証明、終わり。
「意味分かんないよ」
「分かってもらおうとしてないよ」
「そう」
ただの冷やかし――というわけでもなさそうなのに、いったいどういうことだ?
萌々くんと小晴が同じ中学出身で、中学時代はわりと仲がよかった――という情報から、私はなにかを得ることができるのか? それとも、ただ私の中にある知識としての『小晴』の解像度を上げようとしてくれているだけなのか?
でも、彼は言った。『分かってもらおうとしてない』、と。
ということは、どういうことだ?
「柊桜さんと一緒に帰るのが一番の目的だよ」
「ふうん」
信じられるわけがなかったけど、別に信じてもよかった。
「次点は?」
「え?」
「次点の目的は、なに?」
どっちでもよかった。
「あはは、困っちゃうな」
「そう?」
分かりやすい愛想笑いが、なんとなく不気味に思えてきた。
それから、分かったことがひとつ。
「あなた、事件についてなにか知ってるでしょ?」
萌々くんは小晴の味方なのかもしれない――そんなことを思った。
柚子ちゃんのプレイリストにはヒップホップしかありません。




