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椛椿小晴には、この世界がどう見えているだろうか。
そんなことを考え始めたのは、昨日の午後七時過ぎ、夕食のお味噌汁に口を付けている最中のことだった。
小晴は、私の同級生だ。クラスでは一番の仲よしペアで、昨日も一緒に遊園地で遊んだくらいだ。もちろん、学校はサボった。私と小晴の邪魔をするものは、消えてなくなればいい。
そういえば、小晴と仲よくなってから、どんどん私の成績が落ちている気がするけど……、まあ、気のせいか。おそらく、ただの偶然だ。それに、そんな言いかたじゃ、まるで小晴のせいで私の成績が落ちているみたいになってしまうじゃないか。
それはともかく、私と小晴はとっても仲よしで、フォーエバーフレンドで、最高の親友で、お互いがお互いを誰よりも、ペットよりも兄弟姉妹よりも両親よりも大事に思っている素晴らしい関係なのだ。
だからこそ、邪魔なものがある。
それは、学校行事だ。
行事といえば、修学旅行や体育祭、文化祭など――とにかく、青春っぽい印象を持つ人も少なくないだろう。実際、それらの行事はとても楽しかった。自由に行動できないのは残念だったけど、それは縛りプレイの一種ってことにした。
だけど、楽しい行事なんてたった一部だ。
入学式や卒業式、始業式に終業式、合唱コンクール、職場体験など――この世のありとあらゆるクソを煮詰めてドロドロに溶かしたような、クソ行事のほうが多いのだった。
とくに、卒業式。
一年、二年次の卒業式が一番最悪だ。在校生という立場で、卒業する先輩方を送り出す――いや、知らねぇよ。勝手に卒業してろよ。なにこっちの手煩わしてんだクソボケ。
帰宅部で委員会にも入っていない私には、先輩後輩との関わりが微塵もない。だからこそ、思うのだ。
せめて自由参加にしろ、と。
なんの繋がりもない赤の他人が卒業しても泣けないし、なんの繋がりもない赤の他人に卒業を祝われてもどうも思わない。むしろ、迷惑かもしれないくらいだ。私は器が狭いのかもしれないが、だからなんだ。
私の器は、小晴以外をけして受け入れない。
だから、私は方法を探している。明日、日曜日の卒業式――どうやってサボろうかな、と。
手っ取り早いのは、身内を殺すという手だ。私には母親、父親、兄、妹、おばあちゃん、おじいちゃんがいる。親戚の人も含めたら、相当の人数になるはずだ。その中の誰かを、殺さずとも死なせてしまえばいい。死んだという事実さえあれば、どうとでも言い訳できるからだ。
問題点はふたつ。ひとつめは、どうやって殺すかだ。目的が殺害ではない以上、バレてはいけない。しかし、この時代にバレずに人を殺すだなんて無理ゲーにも程がある。殺人事件を揉み消せるほどの権力はないし、完全犯罪を成し遂げられるほどの頭脳が私にあるとは思えないのだ。
そしてふたつめ。
それは、タイミングだ。
私と小晴の身内が、同じタイミングで死ぬ――だなんて、あまりにもタイミングがよすぎる。クラスでも仲よしペアとして定着している以上、教師だって私たちの関係を把握している。だから、同じ言い訳を使うわけにはいかないのだ。
捕まるわけにはいかない。だからといって死を偽造しても、バレるリスクを伴ってしまう。
では、無断欠席はどうだろうか。後日確実に説教を食らってしまうというデメリットはあるが、準備などは不要。学校に行かなければいいだけという、一番お手軽なサボり方法だ。問題は、心配した先生が私や小晴の家族に電話をかける可能性があることだが。
親にバレるのは、かなり面倒だ。私の親は小晴との関係を知っているし、ふたりでサボったことがバレたら、『会うの禁止』みたいに言われるかもしれない。そうなったら、私は家出するだろうが……、家出はちょっと面倒だ。
今、私と両親の関係はまったく悪くなく、むしろ良好であると言える。だから、わざわざ問題を起こして家出をする必要はないし、つまり親にもバレてはならない。
だったら、どうする? 仮病は一番メジャーで簡単なサボりかただが、昨日もそれでサボったばかりなのだ。しかも、昨日で三連続である。水曜日は『熱が出たので休みます』、木曜日は『まだ熱が下がらないので休みます』、そして金曜日は『熱は下がったけど、まだ身体が怠いのでもう少し休ませてください。明日には治ると思います』、だ。そして明日の日曜日も『具合が悪いので』は流石に不自然すぎるだろう。いや、別に不自然ではないのだけど。
ただ、頻度が問題だ。私は先週も、先々週も二日以上休んでいる。小春と一緒にだ。流石にもう、不自然だと言われて親に連絡がいってもおかしくない。仲よしだから一緒の感染症にかかったという言い訳を使ってはいるが、どうだろう。
もしかしたら、先生はもう気付いているかもしれない。もうすぐ堪忍袋の緒が切れるとしたら、どうすればいい。
考えろ。考えろ。考えろ…………。
「…………あっ!」
良い方法を思いついた。
「もしもし……」
『もしもし。またお前か』
「はい、お前です……。こ、国際経済科二年、柊桜柚子です」
『どうしたんだ』
「実は少し、お腹を壊してしまって……」
『大丈夫か』
「い、いま、コンビニのトイレにこもってるんですけど……、電車を、逃しちゃって」
『なら、遅れるのか?』
「はい…………。っう……!」
『だ、大丈夫か!』
「ちょっと、もう、切ります、ごめんなさいっ!」
『無理はしなくていいからな』
「ありがとう、ございます……っ」
ぶつん。
「…………名演技だね」
「まあにゃん」
そして、次は小晴の番だ。今すぐにではなく、あと十分くらいしたら。
「正直、もう気付かれてる気がするにゃん」
「だろうね。でも、今のは結構騙せたんじゃないかね?」
どうか、騙されていてほしい。そうでないと、私が困るのだ。
制服ではなく私服で、片手にフラペチーノ、もう片方の手にスマホを握る目の前の可愛い女の子――小晴。
オーバーサイズの白いパーカーに、下履いてんのかと疑いたくなるくらい短いショートパンツ。パーカーの下で、ボディバックをウエストに巻いている。バックから物を取り出す際に不埒な感じはするが、それは私好みだった。真っ白で新品っぽいスニーカーと、同色のルーズソックスがなんだか印象的だった。
ちなみに、私は普通に制服姿だ。なんだか恥ずかしい。
「職業科にゃんだから、制服にゃんてにゃくていいのに」
「まあでも、制服のほうが楽だって人は多いよね」
「それはそうだにゃ……」
一理あるが、私は私服のほうがよかった。正直、制服はあまり好きじゃないのだ。
私はもっとお洒落をしたい。
さっき買ったコーヒーを口にしながら、私は考える。
小晴との付き合いが、けして私に良い影響を与えてはいないことに、自分で気付かないほど愚かではない。明らかに成績が落ちているし、これ以上サボれば出席も足りなくなる。このままじゃ、進級すらできない。
それは、分かっているのだけど。
「…………どうしたの柚子、病気かね?」
「いや、にゃんでもにゃいにゃん」
欲には抗えない。もっともっと、小晴と一緒にいたい。私にとって一番大事なのは、自分や自分の将来じゃなくて、小晴との関係なのだ。それだけあれば、私はなんでもいい。
依存なのかもしれない。だけど、依存でいいや。
「そろそろバスが来るにゃ。うーん、カラオケでも行くにゃ?」
「賛成だね」
珍しく時間どおりに到着したバスに乗り込み、私たちは出発した。
バスから降りてから、まずは学校に電話をかける。私ではなく、小晴が。休みの連絡を入れなければならないからだ。
近くのコンビニにあった多目的トイレにふたりで入り、外部の音を遮断する。スマホに学校の電話番号を入れて受話器アイコンをタップすると、ぷるるる、ぷるるると呼び出し音が聞こえてくる。
なんだか緊張するなあ。
『はい、もしもし?』
「もしもし。国際経済科二年、椛椿小晴です。杏蕣先生ですか?」
『そうだが……、どうした? お前もか?』
「?」
『どうしたんだ』
「今日は休みます」
『……どうしてだ?』
「言いたくありません」
『なんでだ』
「…………菫蓼先生と代わってくれますか。養護教諭の」
『ああ……、なるほど。今日はそれか』
「はい?」
『えーと、腹冷やすなよ』
「はーい」
ぶつん。
「上手くいったね」
「にゃらよかったにゃん」
先生の『今日はそれか』という言葉が気になって夜も眠れなくなりそうだが、今は夜ではないので気にしないことにした。よし、上手くいってよかった。
「サツドラ寄っていいかね?」
「いいけど、にゃに買うにゃん?」
「スプライトと咳止めシロップだね」
「やっぱりダメにゃん」
「あとプラスチックカップが二個と、氷も欲しいね」
「ダメにゃんって言ってるにゃん」
このままでは、唯一の親友が悪の道に進んでしまいそうだ。それは流石に止めなければならない。オーバードーズは典型的なゲートウェイドラッグなのだ。まあリーンがドラッグなのかは知らないが、ドラッグへのゲートウェイであることに変わりはない。
混ぜるリーン混ぜないリーンでも同じビートには乗れるかもしれないが、私は小晴と同じ高校に通いたい。
退学する可能性のあるものは全部やらせない。お酒もタバコもバイトテロも火遊びも例外ではない。いや、バイトテロと火遊びは同じ意味か。いや、どうでもいいな。
留年する可能性のあるもの(サボり)を(喜々として)小晴と一緒にしている私にそれを強制する権利があるとも思えないし、小晴が本当にやりたいと望むのであれば私は止めないだろう。というか、止められない。
小晴が国家転覆を目論むとしたら、私はきっと小晴の味方をするだろう。
「小晴、大好きだにゃん」
「なによ急に。照れちゃうね」
分かりやすく頬を紅潮させてはにかむ小晴に、私のハートは撃ち抜かれる。しかし、撃ち抜かれたその鼓動は、むしろ速まるばかりなのだった。めでたしめでたし――で終わればよかったのになあ。
翌日、月曜日の朝。
私はなんと、先生に呼び出しを食らっていた。担任の、杏蕣秀平先生。担当教科は情報処理。メガネをかけて、髪が短くて、情報処理担当のくせにガタイがよくて、目に光がないという、いかにも堅物そうな男である。そんな外見のイメージとは裏腹に、かなり柔軟な対応で有名な先生だ。ノリもばっちり。
俗に言う当たり教師ってヤツなんだけど……、残念ながら。
私にとっては、外れだった。
「お前、これ以上椛椿と付き合うのやめたほうがいいんじゃないか」
「は?」
思わず、自分でもびっくりするような低い声が出た。そのくらい、最悪な指摘だったのだ。
客観的に見れば、まあ確かになと思う。だけど、私は客観的な視点で物事を判断できない人間だ。一人称視点で生きているのだから、主観以外は大事じゃない。
「お前ら、ここ最近はずっとサボってるだろ」
「ずっとって…………」
「このままだと出席日数が足りない」
淡々と、事実を突きつけられる。不愉快極まりなくて、だけど、仕方ない。
最悪な気分になりそうだった。
「とくに、お前は成績も落ちているからな。アイツは塾に通っているから、なんとかついていけてるだけだ。だけど、お前は違うだろう」
「お前、お前って……、私にはちゃんと柊桜柚子という名前があるんですよ」
「お前、このままでいいのか?」
私のささやかな抗議をスルーし、先生はそう問いかけてきた。答えはもちろん、
「いいですよ」
「…………」
小晴と一緒にいられる未来だけを常に選択する。だから私は、現状維持を望んだ。
もちろん、今の自分があまりにもよくない環境にいるということに無自覚なほど、私は鈍感ではない。でもそれは、私が頑張ればいいだけの話だから、小晴は関係ない。関係あっても、別にいいけど。
「小晴と付き合うなだなんて……、二度とそんなこと言わないでください。私は、小晴とずっと一緒にいます」
だから、私はそう言い切った。これだけは揺らがないし、譲れない。
先生は嘆息したのち、視線をこちらから逸らしながら言った。
「……お前らの関係って、なんなんだ?」
関係?
「一番の友達です」
「そうか」
質問の意図が、いまいち掴めない。まあ、先生のことなんて気にしても仕方ない。
「もう、用は終わりましたよね。帰ります」
「ああ」
難しい顔をしながら、椅子の背もたれに身体を任せて脱力する先生。だらしないなあ、と思った。
教室を出てすぐ右を向くと、小晴が身をかがめて隠れていた。
「盗み聞きにゃん?」
「うん、ごめんね」
内心めちゃくちゃびっくりしたけど、とりあえず平静を装う。そっちのほうが格好いい。
「杏蕣先生、ちょっと酷いね」
「だよにゃー……」
「子どもの人間関係に口出しするような大人だなんて、ロクなもんじゃないね」
大人になったら、その気持ちも分かるのかもしれない。子どものアレコレに口を出したくなる気持ちも、理解できるようになるのかもしれない。
でも、私たちはまだ子どもなのだ。
だから、仕方ない。
「今日は帰りどっか行く? それとも家でゴロるにゃ?」
先生の悪口にも飽きてきたので、話を切り替えた。
「あー、ごめんね」
気分じゃないのかな。
「今日はちょっと、予定があってね」
…………え?
「そう、なんだ」
今日はそんな気分じゃないから――みたいな理由なら、普通に納得できる。友達よりも自分を優先するのは、当たり前のことだから。
だけど小晴は今、『予定がある』と言った。
どうして?
そんな予定よりも、私を優先してはくれないのか?
いや、違うか。
予定を優先したい気分なら、小晴は『気分じゃない』とかそういう風に断ってくる。長い付き合いではないけど、そのくらいは分かるのだ。でも、小晴はそう断らなかった。病院とかなら、そう言えばいいだけだし。
つまり小晴は、私ではない別の人を優先したということだ。
私以外を、選んだのだ。
夜になるまで、私はずっと小晴のことを考えていた。私じゃないなら、いったい誰を選んだのか。
これは、嫉妬だろうか? 嫉妬――そんなの、するに決まっている。私には、小晴以外ないのだから。小晴しか、いらない。それなのに、小晴はそうじゃないのか?
小晴は塾に通っている。でも、今日は塾の日じゃないし、塾の日でも私が誘えば承諾してくれる。まあ、塾の日は放課後の遊びに誘わないようにしているんだけどね。小晴の成績を守るため。
それはさておき、相手は誰だ?
小晴は。
小晴は。
小晴。
小晴。
「…………」
もしかしなくても、私は小晴に依存している。
ダメだ、違うことを考えよう。流石に、依存はよくないと思うから。
普段しないようなことでもするか?
「……うーん」
気乗りしないが。
一応、爪を確認する。昨日の夜に切ったばかりなので、かなり短かった。むしろ深爪だ。
洗面所に行くのが面倒なので、近くにあった除菌ウエットティッシュで手を拭く。清潔かどうかは不安だが、こういうのは気持ちの問題ということにしておいたほうが楽だ。
…………なんだか義務的だなあと思いながら、私はベッドの上に移動する。
そして、下着ごとショートパンツを下ろした。
ここまで書けばわざわざ具体的になにをしているか語らなくともだいたい分かってくれるだろう――と誰に向けてるのかも分からないようなことを考えてから、私は事を始めた。
あんまり、上手くいかない。『なんとなく』と『機械的』をハイブリットさせたような状態で致しているためか、まったく快感を得られない。濡れもしない。単に私が下手なだけなのかもしれないが、それはおいておく。
「…………」
虚無と食傷のリーンを飲み干したみたいに時間を過ごす。
そこでふと、頭に浮かんだ。
言い訳をすると、完全に無意識で、けしてわざとではなかった。
「…………小晴」
気が付けば、私は小晴のことを考えていた。
複数回その名前を呟きながら、記憶を再生するのに夢中になった。
「小晴」
しばらく、ずっと、そうしていた。
すると、繰り返し小晴を呼んでいた声が、いつの間にか嬌声に変わって。
思考と感覚がリンクしたように、私は、自分が快感を得ていたことを自覚した。
すぐに止めた。
「…………え」
は?
頭の中がハテナで埋め尽くされる。
私は今、なにをしていた?
「ちょっと、待って……」
違う違う、と私は誰にともなく言い訳をする。それは苦しかった。
どちらにせよ、現実は変わらない。
私が性欲を発散するための自慰に、親友を使ってしまったという事実は、けして変わらない。
「私は、小晴のことが好きなのか?」
「どういう意味で?」
「恋愛的な意味で。それとも、性的な意味で?」
「どちらにせよ、今の関係にふさわしくはないよね?」
「なにを望んでいるの?」
「多分――」
自問自答で正答を導き出してから、とりあえず眠って、起きた。
準備をして、家を出る。
通学路。いつもどおりの時間に、いつもどおりの場所で、いつもどおり待ち合わせ。
とりあえずこの気持ちはすぐに伝えたほうがいいと判断した私は、いつもより早く、待ち合わせ場所に到着した。だけど、小晴はまだ来ていなかった。
「流石に早すぎたかなあ」
早すぎってほど早く着いたわけではなかったけど、そんなことを呟いてみた。
しばらく電柱にもたれて待っていると、制服を着た小晴が手を振りながらやってきた。
「あ、おはようだにゃーん!」
「おはよう。いつもより早いけど、今日はどうしたのかね?」
「……いや、とくににゃいけど……」
…………あれ?
言い淀んでしまった。自分の気持ちをぶつけるのって、実はかなり難しいんじゃ?
そうこうしている(あるいはなにもしていない)うちに、私たちは学校に向けて歩き始めていた。
「ふうん。あ、そうだ」
私の前を歩いていた小晴が、振り向いてこちらを見つめる。
そして、
「わたしね、昨日、彼氏できちゃった」
自覚してから、わずか半日も経たずして私は失恋した。
続くかどうかは分かりません。書いてはいます。




