1話 魔女と新たな兆し
窓ガラスの隙間をすり抜け、一頭の蝶がひらりと机の上に舞い降りた。
紫水晶のような鮮やかな翅を、ゆっくりと瞬かせる。
「おや」
それに気づいたカタルオスは、紙に走らせていた羽ペンを止めた。
手を伸ばし、指先が触れた瞬間――蝶は一通の手紙へと姿を変える。
驚いた様子もなく、カタルオスはそれを引き寄せた。
――差出人も、封蠟もされていない。
封筒から手紙を抜き出すと、わずかにベルガモットの香りが立ち上る。
紙を広げ、洗練された美しい文字に目を走らせた。
“陛下のご英断のおかげで、今回は深淵を退けることができました。思いの外、深淵の手は近くに潜んでいるようですね。くれぐれもご用心くださいませ――”
『可愛い魔女より』――その最後の一文に、カタルオスは微笑んだ。
次の瞬間、指先で摘まんでいた手紙が端から青い炎をあげて燃え始める。
カタルオスの瞳に、その炎が冷たく映った。
「さてと」
カタルオスは椅子から立ち上がり、背後の窓辺に歩み寄った。
曇天の空から、ぽつり、ぽつりと雨が降り始めた。
わずかに開いていた窓の隙間を閉めた直後、大粒の雨が窓ガラスを激しく打ち付ける。
カタカタと小さく揺れるガラス越しに、流れ落ちる雨筋をカタルオスは静かに見つめた。
「随分と、焦っているようだな」
その言葉は独言というより、誰かへ投げかけたような口振りだった。
「思ったよりも事は早く進みそうだ」
カタルオスは窓から視線を外し、机へと向き直る。
「そろそろ、深淵の手を炙り出すとするか…」
再び椅子に腰掛けようとしたその時、視界の隅に、一部だけ形を残した手紙の灰が映った。
無意識にそれへ触れた瞬間、かろうじて形を保っていた灰が、ぱらりと崩れ落ちる。
「……」
カタルオスの表情に、わずかな陰りが差した。
灰色の瞳を閉じ、短く息を吐く。
「もう二度と……」
再び目を開き、カタルオスは崩れた灰を握り締めた。
「同じ結末にはさせない」
握った指の隙間から、灰の砂が零れ落ちる。
それを取りこぼさないように、無意識に手に力を込めた。
「……」
カタルオスは、かの者が向かった方向を静かに見据える。
――― ―――
曇天の空――雲の切れ間から、柔らかな陽光が差し込む。
幾重もの光が筋となって降り注ぐなか、一台の馬車はゆっくりと道を進んでいた。
「――晴れてきましたわね」
窓越しに空を見上げながら、ラヴェルナ=ルルファストは微笑を深めた。
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