3話 魔女と不穏な影
「ラヴェルナ様。キャロスダンド辺境伯を待たずに出発して、本当によろしかったのですか?」
侍女のカルロッタが眉一つ動かさず、淡々とした口調で尋ねた。
「ええ」
ラヴェルナは静かに頷く。
サイラスと正式な伴侶となるまで、ルルファスト家の侍女であるカルロッタが、ラヴェルナの身の回りの世話をすることになっていた。
カルロッタは美しい銀色の髪をしている。
癖のまったくない清流のような滑らかな髪、血色のない白い肌、そして流し目がちな色素の薄い水色の瞳。
いつも無表情で、人間離れした美貌を持つ彼女は、侍女仲間から「氷の妖精」と呼ばれていた。
「サイラス様は後任者への引き継ぎの作業が遅れているそうで、同行できないそうですの。仕方がありませんわ」
ラヴェルナは、膝に置いた手紙に視線を落とした。
王城にいるサイラスの遣いから渡されたものだ。
本来は、彼と共にキャロスダンド領に向かう手はずだったが、予定に遅れるという内容だった。
キャロスダンド家には到着日程をすでに伝えてあるため、ラヴェルナのみが先に向かうことになったのである。
「そうですが……」
カルロッタは珍しく言い淀んだ。
「外見は街馬車と同じ仕様にしていますが、道中で盗賊の襲撃などに遭う危険性は高いです。それに――」
カルロッタが食い下がる理由は明白だった。
それは、ラヴェルナには過去に誘拐されかかった経験がある。
相手は、おおよそ見当がついている。
【賢知の魔教団】
魔導術を布教している魔導師たちの組織で、もはや一つの新宗教として大陸内での立場は盤石であり、知名度も高い。
彼らは、稀代の魔導師【オプスキュリテの魔女】の再来と称賛されるラヴェルナを手中に収めるため、暗躍している連中だ。
「……やはり辺境伯を待つべきだと思います」
その名を口にすることはなく、カルロッタはそう結論づけた。
「それなら安心してくださいまし。“賊程度”の対処策は、もう講じておりますから」
ラヴェルナはそっと馬車の壁に手をかざした。
指先が触れた瞬間、青い魔導文字が壁全体に這うように走る。
そして半透明の膜のようなものが、馬車を包み込んだ。
「防御膜を張りました。たとえ刃物で切りつけても傷一つもつきませんわ。この中にいる限り、わたくしたちが傷つくことはありません」
稀代の魔導師と称されるラヴェルナの言葉だ。
安全性に疑いの余地はない。
それでも、カルロッタの胸には、一抹の不安が拭いきれずに残っていた。
――― ―――
「お前がいなくなると寂しくなるな」
部屋の出入り口、片側の閉じた扉に背を預けながら、一人の騎士が声をかけた。
「キャロスダンド領に来れば、いつでも手合わせはできる」
机で書類に目を通しながら、サイラスは淡々と告げる。
「ああ。しかしお前が当主になれば、俺たちが派遣されることもないだろう」
近衛騎士団の騎士―ニックが苦笑した。
「そうだな……お前たちが派遣される事態は避けねばならない。そうならないよう、当主の責務を全うするつもりだ」
「お前なら大丈夫だって」
変わらぬ調子でそう返し、ニックは笑った。
「お前は自己肯定感が低すぎるんだよな。……あ、そうだ」
ニックは上着の内ポケットから一通の手紙を取り出した。
「お前宛てのやつだ」
サイラスの机まで歩み寄り、それを差し出す。
訝しげに受け取ったサイラスは、封筒の表裏を確認した。
差出人はなく、封蝋もされていない。
「……陛下から」
ニックが声を潜める。
サイラスはすぐに、中の手紙を取り出して黙読した。
途端に、眉間の皴が強く刻まれる。
「……ニック、悪いが後処理を頼む」
椅子から立ち上がる。
「わかった。やっぱり急用なのか?」
陛下の手紙は、ろくでもないことが多い。
ニックが心配そうに尋ねると、サイラスはすぐ頷いた。
「ああ。今から向かわなければならない」
外套に袖を通しながら、サイラスはそのまま部屋を出た。
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