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1話 魔女と波乱の始まり

「久しぶりじゃないか、ラヴェルナ=ルルファスト」


傲慢無礼(ごうまんぶれい)な態度で声をかけてきた青年に、ラヴェルナは小首を傾げた。


ここは大陸の西部に位置するルクチェコード王国。

その王都にそびえるシュトハーヘルスト王城では、即位してまだ一年足らずのカタルオス二世が主催する大規模な舞踏会が催されていた。


高い天井に吊るされた巨大なシャンデリアが燦然と輝き、黄金の調度品が惜しげなく飾られた広間は、『西の黄金郷』の異名に相応しい豪奢さを誇っている。


ラヴェルナはルルファスト男爵家の令嬢として、現当主であり育ての親である叔父と共に参列していた。

 

ルルファスト家は、カタルオス二世が即位後に新たに爵位を授けた新興貴族である。

ゆえに貴族社会では、「陛下のお気に入りで爵位を得た家」と陰口を叩かれ、歓迎されているとは言い難い。


“こぼれ運の底辺貴族”と揶揄(やゆ)される始末だ。


だが、ラヴェルナ=ルルファストに限って(・・・)は、その枠には収まらない。

彼女は稀代の魔導師【オプスキュリテの魔女】の再来と称されるほど、卓越した魔導の才を持っていた。


【オプスキュリテの魔女】―その名は『その力で一国を滅ぼせる』とまで恐れられた伝説の魔導師。


その“再来”と囁かれるラヴェルナは、今宵の舞踏会において、間違いなく注目の的だった。

野心家から、あるいは下心から、彼女と縁を結びたいと望む者は少なくない。 

だからこそ、赤の他人が旧友のように馴れ馴れしく話しかけてくるのも、珍しいことではなかった。


「…どなた、でしたかしら?」


ラヴェルナは心底分からない、という(てい)で問い返す。

すると、先ほどまで余裕の笑みを浮かべていた青年の片眉が、ぴくりと吊り上がった。

そして、あからさまに不機嫌な表情に変わり、拳を震わせる。


「“どなた”だと!? 俺はお前と同じ王立魔導院第百九期卒業生! ダニエル=リプストンだ!!」


怒声が響き、和やかだった場の雰囲気が一瞬で冷えた。


「はぁ…」


ラヴェルナは片頬に指を添え、露骨なため息をつく。


“貴族紳士たるもの、海底のように深い懐と、山のように揺るがぬ心を備えるべきだ“。

だが目の前の青年は、上辺だけは取り繕えても、肝心な本質が伴っていないらしい。

これなら、成り立てとはいえ叔父の方がよほど紳士だ。

 

そもそもの話、なぜ彼がここまで憤るのか理解できない。


「申し訳ありませんが、貴方のような貴族らしからぬ短慮(たんりょ)な方は、存じ上げませんわ」


ラヴェルナは一歩下がり、距離を取る。


「なんだと!! 最優秀主席だったからと、低能な女のくせにお高く止まりやがって!!貴様はいつもそうやって“次席”の俺を見下してたな! どうせ、教師達に色目(・・)を使って地位を得ただけだろう!!」


乱暴に吐き捨てられた言葉。


とんだ言いがかりである。

 

女性の活躍が珍しくない時代にあって、彼の発言は時代錯誤も甚だしい。

それ以前に、ここは国王主催の舞踏会の席である。


(陛下の御前だという自覚はございませんの?)


カタルオス二世は寛容な人格者だ。

この程度の揉め事には目をつぶってくださるだろう。

だがこれ以上、場の雰囲気を白けさせるのはよろしくない。


(はぁ…不敬罪に問われたらよろしいのに……)


この場から、さっさと摘まみ出してほしい。

ちらりと視線を向けると、王はただ穏やかに微笑んでいる。 

 

この程度では、処断の対象にはならないらしい(・・・)


ならば。

 

――ふっ…。


次の瞬間、ラヴェルナは蜜のように甘ったるい微笑を浮かべた。

それは、無垢な天使のような愛らしさを湛えている。

だが、その笑みを向けられたダニエルは、ぞくりと背筋が粟立つのを感じた。 


まるで性悪な猫に狙われた小鼠のような心地。


思わず一歩、後ずさる。


「……ああ! 思い出しましたわ」


すると、ラヴェルナは弾かれたように両手を合わせた。


乾いた音が広間に響く。


「在籍中、万年二位だったダニエルさん。当時、わたくしには張り合える方が誰一人おりませんでしたので、同級生のお名前も顔も記憶に残っておりませんの」


途端に目を伏せ、しおらしい表情を作る。


「ですが、それでご気分を害されてしまったのなら、わたくしの不遜(ふそん)の致すところですわ。申し訳ございません。……でも、本当に覚えていませんの」


今にも泣き出しそうな、か細い声。

吐き出された言葉は皮肉そのものだが、その姿はあまりにも殊勝だった。


周囲の視線は一斉に、ラヴェルナへと同情的に傾く。


内心小さく笑みを浮かべながら、ラヴェルナは暗紫のドレスの裾を摘み、深く頭を下げた。


「どうか…許してくださいまし」


紫水晶(アメジスト)の長い髪が、頬にかかる。

そっと横髪を耳にかけながら、上目遣いで見つめる。

長い睫毛に縁取られた碧い瞳に射抜かれ、ダニエルの頬が不覚にも緩みかけた。

 

だが。

 

「万年二位…だと…!」


寸前のところで、怒りがそれを押し留めた。


「ええ。先ほど“次席”と仰ってくださったので思い出しましたわ。わざわざ自己紹介(・・・・)してくださってありがとうございます。……でも」


一旦言葉を切り、ラヴェルナは愛らしく小首を傾げる。


「わたくしが色目を使ったと仰いましたが…それはわたくしだけではなく、先生方をも愚弄(ぐろう)していることには、お気づきでして?」


「っ!」


ラヴェルナは静かに続けた。


「わたくしごときの幼稚な色目に、敬愛する老君の先生方が簡単に(なび)くとお思いで? ……わたくしのことは、どうぞ、いくらでもなじっていただいて構いません。でも、恩師を侮辱なさるのは…やめてほしいですわ」


自分のことは(けな)してくれていい。

けれど、尊敬する恩師だけは愚弄しないでほしい。

 

伏せられた睫毛が、かすかに震える。

その健気な様子に、周囲の視線はさらに彼女へと傾いた。


「俺が侮辱しているのは貴様だけだ!!」


その言葉に、ラヴェルナはぱちりと目を瞬かせた。


「――まあ!そうでしたのね。それなら安心しましたわ。てっきり先生方をも馬鹿にしているのかと」


胸に手を添えて、大げさなほど安堵の息をつく。

すると、ダニエルのこめかみに青筋がピキッと浮かんだ。


「それで、ダニエルさん。わたくしに、どのような御用がおありかしら?」


「…っ」


問いかけられ、ダニエルはようやく本来の目的を思い出したらしい。

荒い呼吸を無理やり整え、喉の奥から言葉を押し出す。


「……俺と踊る権利をくれてやる」


苦渋に満ちた顔とは裏腹に、傲慢さはなおも健在である。

 

“甘い誘い文句とは、到底思えない”。


周囲の視線が、一斉にラヴェルナへ注がれる。


「……」


彼女はわざと間を置き、そしてにっこりと微笑んだ。


「そんな権利、これぽっちも欲しくありませんわ」


「なっ……!」


怒りと羞恥で、ダニエルの顔が赤く染まる。


「き、貴様!!」


ついに、彼の理性の糸が切れた。

握り締めた拳に筋が浮きあがる。

次の瞬間。


“バチバチッ”


空気を裂く音とともに、眩い紫電が拳を包み込んだ。

その拳を大きく振りかぶり、ラヴェルナの顔面へと叩きつける。 

短い悲鳴が上がると同時――


 “パンッ”


乾いた破裂音が響く。


紫電を纏った拳は、ラヴェルナの目前で弾かれた。

その反動で、ダニエルは数歩よろめく。


「まあ…か弱い女性を力で制しようとなさいますの?」


ラヴェルナは心底驚いたような顔をしてみせる。


そして――


「…ほんと、器の小さな男」


彼にしか聞こえない低音で囁く。


「貴様っ!許さん!!」


完全に逆上したダニエルは再び拳を繰り出した。


彼の得意は【魔拳(まけん)】。

純粋な魔力を拳へ一点集中させ、物理威力を極限まで高める戦闘術。

体格に恵まれ、幼少より鍛錬を重ね、いまや『魔拳導師有段者』として名を馳せる実力者だ。

だが、そんな彼の渾身の一撃をもってしても、ラヴェルナには届かない。


「くそっ、この性悪魔女が!!」


さらに魔力を注ぎ込む。

   

“バチバチ”

“バチバチ”


余波が四散し、会場を襲う。

悲鳴と食器の割れる音が響き渡るなか、逃げ場を求め、貴族たちは出入口へ殺到した。

さらに窓から逃げ出す者、混乱に乗じて乱闘を始める愚か者まで現れ、広間は瞬く間に混沌へと変わる。



「――まったく、しょうがないな」


玉座に腰掛け、カタルオス二世は頬杖をつきながら、実に楽しげにその光景を眺めていた。


「私が、止めて参ります」


傍らに控えていた騎士がそう告げ、一礼する。

そして赤いマントを翻し、壇上から降りた。


王は軽く手を振り、その背を見送った。


騎士は迷いもなく騒乱の中心へ歩み寄ると、ダニエルの真後ろに立った。

そして、その右手首を掴む。


「!?」


「そのくらいにしろ」


紫電は、なおも弾け続けている。

確かに、その手へ伝わっているにもかかわらず、騎士は平然としていた。


「ば、かな…」


白い手袋は焦げもせず、無傷。

騎士は空いた左手でダニエルの肩を押さえ、そのまま右腕を背後へと捻り上げた。


「いっでで!!!」


悲鳴と同時に、紫電が霧散する。


騎士は淡々と拘束しながら、深く息を吐いた。


『やっと、見つけた…』


「!?」


その瞬間、騎士の背筋に悪寒が走る。

視線を上げる。


目の前に立つのは――

薄紅色の整った唇に弧を描き、蠱惑的な微笑みを浮かべる、ラヴェルナ=ルルファストだった。 


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