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魔法剣士(スペル・フェンサー)(2)

 そう言うや否や、彼は外へ向かおうとした。

 プリシラはあまりに無茶な要求に面食(めんくら)い、彼を引き止めた。


「ちょっと! 本気で私に店番をさせるつもりですか!?」

「そんなに騒ぐな、すぐに戻る。あのチビの面倒を見てやってる礼だと思ってくれや」

「戻りなさい! ちょっと!」


 抗議も(むな)しく、ドアベルの音と共にゲラルトは店を出て行ってしまった。

 商品の管理という重責(じゅうせき)が自分の肩にのしかかったことを悟り、彼女は疲れ果てた溜息をついた。


「はあ……どうして私ばかりこんな目に遭うのかしら」


 彼女は振り返り、せめてリオナラの様子を確認しようと奥の部屋の扉を開けた。


 そこには、赤く燃える鍛冶場(かじば)の火から数メートル離れた木製の椅子に座り、食べかけのパンを手にした少女がいた。


 昨日と同じ汚れたボロ布を纏い、その瞳は赤々と光る石炭をじっと見つめている。

 プリシラが入ってきたことにも気づかないほど、集中していた。


「リオナラ」


 騎士が呼びかけたが、少女の視線は釘付(くぎづ)けになったままだ。パンを握った手も動かない。


「リオナラ?」


 肩に触れてようやく、彼女は夢中から覚めたように反応した。


「……え?」


 彼女は何度か瞬きをして、騎士を振り返った。


「プリス? どうしてここに――」


 言い終わる前に、優しい手刀(しゅとう)が彼女の脳天に落とされた。


「出かける時は、どこへ誰と行くのか必ず保護者(ほごしゃ)に言いなさい」


 彼女は軽く叱った。


「心配したのよ」

「あ……ごめんなさい。ゲラルトが、納屋(なや)は寒いからここへ来いって言ったから」


 プリシラは頷き、少女の隣に膝をついた。


「ええ、事情は分かったわ。でも、気分は大丈夫? ずっと火を眺めていたけれど」

「……わかんない。何か、(なつ)かしい感じがして。でも、どうしてかは自分でもわかんないの……」

「ふむ……それは悪い感じ? それとも良い感じ?」


 彼女は首を振って、硬いパンを一口かじった。


「わかんない」


 プリシラはふっと笑い、少女の頭を軽く撫でた。


「悪いことじゃないなら、それでいいわよね?」

「……うん」


 その時、ドアベルが鳴り、プリシラは反射的に舌打ちをした。


「ったく、運がないわね」


 彼女は立ち上がり、カウンターへと向かった。


「すぐ戻るわ」

「わかった」


 カウンターへ向かうと、そこには見上げるような巨漢が立っていた。

 その体格は、アルカディア王宮騎士団の屈強な騎士たちにも引けを取らない。


 角張った顔、鋭い眼光、そして動物の骨で一つに束ねられた白髪――。

 プリシラの脳内で、あらゆる警報が鳴り響いた。


(何ですって……この男、まるでレオナード閣下(かっか)のような威圧感(いあつかん)だわ……!)


 圧倒的な存在感だったが、彼女は王都でこれ以上の、あるいはもっと恐ろしい相手と戦ってきた。騎士団の三傑に並ぶ者ですらない。


 彼女は咳払いをして声をかけた。


「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」

「ああ、すまん。手斧を探している。ここへ来る途中で壊してしまってな」


 男の手が腰へと伸びた。プリシラは武器を抜きそうになる衝動(しょうどう)を必死に抑えた。

 男が取り出したのは、木製の柄が黒ずみ、裂けてしまった二本の斧の頭だった。使い込まれた証拠だ。


「……素手で戦うのは避けたいのでな」

「あ、ああ、なるほど。……では、何か合うものがあるか探してみますわ」


 彼女は背後の棚を見回した。一組の手斧がある。

 だが、値札もなければ相場(そうば)も分からない。焦りが胃のあたりからこみ上げてきた。


「この斧は、ええと……」


 その時、リオナラがジャケットの裾をそっと引いた。

 プリシラが視線をやると、少女は棚の反対側にある小さな木札を黙って指差していた。


(助かったわ……)


 騎士は安堵(あんど)の溜息を漏らし、価格を確認した。


「そちらの一組は、銀貨五十枚になりますわ」

「ほう……? 助かる、ちょうどそれくらいだ」


 男は低い声を弾ませ、嬉しそうに応じた。


「これだ」


 男は埃っぽいカウンターに小さなコインの入った袋を置いた。

 プリシラが素早く中身を確認して商品を渡すと、男は斧をベルトに装着し、礼儀正しく一礼して店を出て行った。


 男が外へ出た瞬間、プリシラは長く、疲れ切った溜息を吐き出した。


「ああ……緊張したわ」


 彼女はリオナラに親指を立てて見せた。


「助かったわ、リオ。あなたが字を読めるとは知らなかったけれど」

「読めないよ。数字が見えただけ」

「……読めないの?」

「うん。……そんな機会、なかったから」


 その言葉に、プリシラの胸がチクリと痛んだ。


「そう……」


 彼女は少女と目線を合わせるように膝をついた。


「でも心配いらないわ。私も十五歳になるまで読み書きはできなかったもの」

「……あたし、十八だよ?」


 ――その言葉は、戦鎚(せんつい)で殴られたような衝撃をプリシラに与えた。


 彼女は呆然(ぼうぜん)とし、聞き間違いではないかと瞬きを繰り返した。

 リオナラはあまりに儚く、体も小さい。それが可能だとは思えなかった。


 十八歳。


 プリシラは埃っぽい木壁に背を預けて座り込み、深く息を吐いた。

 この少女――いや、この若い女性は、あまりに小さく、壊れそうに見えた。


 体だけでなく、その話し方も、振る舞いも。

 まるで苦しみの中で、彼女の時間だけが止まってしまったかのようだった。


 だが、皮肉なことに、それですべての辻褄(つじつま)が合った。

 背中に刻まれた残虐(ざんぎゃく)な傷跡、そしてそれを抱えながら歩き続ける底知れぬ強さ。


 寒さや空腹に眉一つ動かさないのは、子供の我慢などではない。

 ……それは、一生成分にも及ぶ苦難がもたらした諦観(ていかん)なのだ。


 プリシラは何か言おうとしたが、リオナラが先に口を開いた。


「……何、考えてるか分かるよ。あたしがプリスを利用したって……」


 彼女の声が震えた。


「騎士のお姉さん、プリス……。あたしにこんな温かさをくれたのは、あなたが初めてだったの……」


 彼女はパンを握りしめ、指先が真っ白になった。


「……ごめんなさい……っ!」

「いいえ……そんなこと、一度も思っていないわ」


 彼女は少女の小さな体を抱き寄せ、その頭を自分の肩に優しく預けた。


「一瞬たりとも、ね……」


 プリシラは離さず、リオナラも離れようとしなかった。

 数分の間、静寂が部屋を包み、鍛冶場の石炭がはぜる音だけが響いていた。


 彼女を「子供」と呼び続けるべきか、あるいは一人の大人として敬意を払うべきか。

 だが、優しさに怯える相手に対して「敬意」という言葉はあまりに冷たく感じられた。


(みずか)らを守れぬ者を守りなさい……)


 リオナラを抱きしめながら、師の言葉が脳裏にこだました。

 それは栄光(えいこう)などではなく、冷たい短剣が心臓に突き刺さるような痛みだった。


 これほどになるまで、彼女はどれほどの苦しみを味わってきたのか。

 何も持たない者から血を流させるのは誰なのか。


 考えても答えは出ないが、その問いは彼女の決意にさらなる火を灯した。


「リオ。私も、あなたに隠していたことがあるの」


 プリシラは体を離し、リオナラの瞳を真っ直ぐに見つめた。


「私は女王陛下に仕える王宮騎士よ」

「王宮騎士……? まさか……騎士団の三傑(さんけつ)の一人なの?」


 彼女は自信に満ちた笑みを浮かべて頷いた。


「『剣と魔法の騎士』、プリシラ・アヴェリオン(きょう)よ」


 彼女は軽く笑った。


「少し名前が長すぎるかしら?」

「ううん、そんなことない……」


 彼女はボロ布の端で涙を拭った。


「なんだか、守護天使(しゅごてんし)に会ったみたい」


 その言葉が、騎士の胸を重くした。


「……リオナラ」


 プリシラは彼女の両肩をしっかりと掴み、静かに言った。


「私は女王陛下の任務でここに来ているの。結末がどうなるかは分からないし、最後まであなたの面倒を見られる保証もない。だから聞かせて。あなたはどうしたいの?」


 最初、彼女は沈黙し、手に持ったパンを見つめていた。

 外の喧騒と鍛冶場の音が部屋を満たしていた。


 やがて、リオナラは再びプリシラの瞳を見上げ、尋ねた。


「……あなたが行かなくちゃいけなくなるまで、一緒にいてもいい?」


 プリシラの胸が締め付けられ、彼女は力強く頷いた。


「ええ。全力であなたを守ると約束するわ」

※次回更新は2月24日 21:30予定です。

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