命令
毎日22時更新します…
「ミキーッ、お風呂はーッ?」
台所で洗い物しながら母親が声を掛ける。
「……今日はパース」
部屋のベッドで。
だんご虫みたいに丸まってボーとするミキナ。
暫く現実逃避すると決めたから日常生活からはオサラバらしい。
彼女の現実逃避とは寝る事なのだが。
ただ、頭の中では色んな考えが渦巻いていて寝るどころではなかった。
まずファイターの自分が『何故映画館に行かず途中で帰ったのか』その理由を分析すべく脳内ホワイトボードに書き出していく。
それをルーザーの自分が必死に消して回る。
先程からその不毛な攻防戦が繰り返されていたのだ。
「これじゃ寝れん……」
この自分同士のやり取りに終止符を打つべく。
ミキナは『戦わないし逃げない』というスタンスを取る事にした。
半眼でパソコン机に座るとイラストソフトを起動。
今日見たシーンを描き起こす。
右斜め下からのアングルでアメコミタッチ。
最初はじいさん悪役のリーマンヒーロー設定で描き始めたのだが。
下書きが終わる頃には両方悪役になっていた。
じいさんの右腕には重火器装備の義手が、リーマンの全身には鎧仕様のパワードスーツが描き込んである。
お互い凄い形相で睨み合い。
リーマンはじいさんの襟首を鷲掴み、じいさんはリーマンの顎に重火器を突き付けていた。
「いいカット描けた」
ミキナは夢中になってペン入れと着色を開始。
完成した作品をサイトにアップした。
「私の足にも武器、装備出来ないかなー」
スッキリした表情でパソコンをシャットダウン。
幼い頃から死線をくぐっているせいか思った以上にタフな一面もある。
「……今日って新月だっけ?」
テンションが上がったのかケンケンでバルコニーに出てみる。
このマンションは辺りで一番高い建物だから外からは顔位しか見られる事はない。
七月の夜風がやけに心地良く。
少し機嫌の良くなるミキナ。
ふと、手摺の躯体部に目を落とす。
何かが視界に入ったからだ。
一匹の蟻。
外壁を登ってきたらしい。
「ここ、八階ですけど君」
思わず問いかけるミキナ。
ちゃっちゃか動き回っている蟻。
手摺を下りてバルコニー床を移動し始めた。
部屋目掛けて一直線だ。
「ちょ、ちょっと。アリ!」
ピタッ、蟻が静止する。
「え?」
また動き出す。
部屋まであと三十センチ。
「ちょ、入んないでよ!」
またピタッと止まる。
蟻とミキナ。
少し間があく。
「バルコニーから出てけ」
すると蟻は引っくり返るようにUターンしたかと思うと一目散に手摺をよじ登ってバルコニーからいなくなってしまった。
ミキナはしばらく前髪をぽんぽんしながら考え込んでいたが。
ケンケンで部屋に戻るとベッド目掛けて片足でダイブ。
ばふうぅぅん。
うつ伏せの体勢。
そのまま、寝た。
***
ミキナは自分の眉毛が嫌いだ。
習字で書く『一』みたいな眉毛。
だから前髪でいつも隠している。
先程からドレッサー前に座って前髪と格闘中。
この出来不出来でその日一日が決まると言っても過言ではないらしい。
朝は八時には起きる。
母親は仕事に出掛けているから自分一人の時間だ。
昨日は風呂に入ってなかったので朝シャンをした。
お腹が空いて髪を乾かす前に冷蔵庫を急襲。
トマトが犠牲となる。
そして前述のドレッサーへ。
だいたい一ヶ月の半分位が『ブス』で半分は『まぁまぁ』なのが彼女のお顔事情。
たまに信じられない程『不細工』な時もあるけれど年に一〜二回は奇跡的に『可愛い』がくる。
だからやっていけるらしい。
ちなみに今日は『まぁまぁ』の出来。
実際の彼女は客観的に見て相当可愛い女の子なのだが。
この年頃の女子特有の〝やけに低めに見積る自己肯定感〟のせいでミキナもまた、日々修行僧の如く鏡と向き合わざるを得ない。
近所に昔の偉い坊さんが休息した有名な溜池がある。
ミキナはドレッサーでの行を終えるとこの池を有する公園に赴いた。
子供の頃は大好きだった場所。
都内屈指の広さを誇る溜池とその周りを囲う緑豊かな遊歩道。
野鳥や昆虫、水性生物も多く生息している都会のオアシス的な公園。
ここ数年あまり足を運んでいなかったのはカップルが気になるから。
池では貸しボートをやっていて週末は特に賑わう。
「世界中のカップル達、どっかへ転生しますように」
陽が傾いていれば反射してキラキラと輝く水面も真上から照り付ける昼の日差しの下ではリアルな緑一色。
黒のロングスカートに白Tのミキナが久しぶりにここへ来た理由。
「あ。居た……」
池の上スレスレを飛ぶトンボ一匹。
これが目当てだった。
周りに誰もいない事を確認するとミキナは昨晩の蟻同様に声かけをしてみる。
「こんちはー」
特に反応なし。
トンボはカクンカクン飛び回っている。
「おーい、こっちこっちー」
軽く手を振ったところで自分にシラケるミキナ。
「シカトすんなよ!」
その時、トンボが「?」て感じで。
こっちを向いてホバリングし出したのだ。
二〜三十メートル先の遊歩道を散歩していたおじいさんも振り向く。
「やべ。聞こえた?」
トンボ、まだ待機状態。
「……こっちゃ、来ーい」
今度は小声で囁く。
すると、トンボは『つー』と飛んで来て彼女の三十センチ手前で静止した。
まるで指揮を待つ戦闘機のように。
四枚の羽根を高速で上下させてホバリングしている。
指を出してみるミキナ。
トンボを見つけるとやってしまう人間の性とも言うべきこの行動。
全く反応がなくキレる女の子。
「この指止ーまーれッ!」
止まった。
トンボとおじいさんが。
それではまた…




