4.ヴィンセントの後悔
依頼主は、ノズルクの西側に住んでいた。結構な距離を歩いたせいで、キャサリンもエンジェルも脚が痛んでいる。
「アタシたち、運動不足ね」
「魔法使いなら瞬間移動できないの?」
「そんな高度な魔法、アタシが使えるわけがないでしょ!」
キャサリンは小声で「役立たず……」と呟いたが、どうやら聞こえてしまったらしい。
「あら、そんな可愛げのないことを言うなら、アタシは降りるわよ」
「じょ、冗談だよ。毒舌、ド・ク・ゼ・ツ!」
エンジェルの冷ややかな眼差しを無視して、キャサリンは目の前にある家の扉をノックする。手入れされていないのか、雑草は伸び放題、壁の至るところにツタが絡んでいた。
しばらくして扉が開き、中から杖をついた老人が姿を現す。依頼を引き受けに来たと告げると、快く中に入れてくれた。自らをヴィンセントと名乗る。
「わざわざ、こんな遠くまで来てくれるなんて済まんのう」
そう言って、ヴィンセントは二人にヤギのミルクを振る舞う。ぬるくて癖のある味だったが、長距離を歩いて渇いた喉を潤してくれた。
「月影の記憶について話してくださいますか?」
キャサリンがそう切り出すと、ヴィンセントは遠い目をして語り始めた。
「あれは五十年前。儂は戦士として野山を駆け巡っていた」
ヴィンセントは少し俯いて言葉を探す。
「いつも儂のそばには、アリオスという名の魔法使いがおった。小柄で、静かな男での……一緒に旅をして、戦って、笑って――そばにいるのが、いつの間にか当たり前になっていたのじゃ」
エンジェルがチラリとキャサリンを見る。真剣にヴィンセントの話に耳を傾けているようだった。
「ある日、アリオスが儂に月影の記憶というブローチをくれた。“おまえに似合うと思った”とだけ言っての……恥ずかしそうに笑ってな。儂は、そんな意味だとは思わず、ただ礼を言った」
「それって……」
「そうよ、告白じゃないのよ」
キャサリンが口を開きかけると、エンジェルが静かに続けた。
「――気づいたのは、アリオスが逝った後じゃ。ある戦いの最中、儂を庇って、あいつは命を落とした」
ヴィンセントはそっと、指先でミルクの入ったカップを撫でた。
「その時の戦いで、儂も脚を痛めてしまった。逃げる途中で月影の記憶も失くしてしまってな……」
話が途切れる。ヴィンセントは心の底から悔やんでいるようだった。
「どうして、すぐに取りに行かなかったのですか?」
キャサリンが素朴な疑問を口にする。
「古傷が残ってしまってな。でこぼこしたところは歩けなくなってしまったのじゃ。それに……」
ヴィンセントは自分の左手に視線を落とす。薬指には指輪が嵌められていた。
「儂には結婚を誓った女性がいたのじゃ。彼女の前で月影の記憶の話はできなかった。そのうち子どもが生まれて、日々の暮らしに追われているうちに、こんなに時が経ってしまった」
「今になって、やっと素直になったのね」
エンジェルが続ける。ヴィンセントはこくりと頷いた。
「子どもたちは家を出て、妻も先に亡くなってしまった。儂も病を患っていて、後先が長くないのじゃ。せめて月影の記憶を見つけることがアリオスへの手向けだと思っておる」
ヴィンセントの目から静かに涙が流れる。しんみりした空気になってエンジェルがキャサリンを見ると、彼女もまた涙を流していた。
「ちょっと、なんでもらい泣きしてるのよ!」
「だって、五十年も後悔していたんでしょ。あまりにもかわいそうで……」
キャサリンはヴィンセントのやつれた手を取る。
「ヴィンセントさん、月影の記憶は私たちが必ず見つけます」
力強い誓いに、ヴィンセントの顔がパッと明るくなった。
「ありがとう。本当に恩に着るよ」
「では、森のどの辺りに落としたのか教えていただけますか?」
そう言ってエンジェルは地図を広げる。ヴィンセントは震える指先で、奥の方を差した。
「ずいぶんと奥だね」
キャサリンはため息をつく。
「でも場所と通り道は分かっているのだから、どこかで見つかるはずよ」
エンジェルは質問を続ける。
「月影の記憶って、どんな見た目ですか?」
ヴィンセントの話だと、色はうっすらと青みを帯びた乳白色で、ムーンストーンで作られたという。そのため、満月の夜になると月の光に反応して淡く輝くらしい。
「次の満月っていつかしら?」
キャサリンの言葉にエンジェルは頭の中で考えを巡らせる。そして、ハッとしたように
「やだわ、明後日じゃない!」
と答えた。
「そんなにすぐなの?」
目的地にたどり着くまでは最低でも丸一日かかる。キャサリンやエンジェルのような冒険の初心者なら二倍はかかるかもしれない。冒険者を雇ったり、必要なものを揃えたりする時間を考えると、のんびりしている余裕は無かった。
「帰り道に酒場によって、一緒に旅してくれる冒険者を探さなきゃね」
「ええー、まっすぐ工房に帰りたいなぁ」
ヴィンセントの前だというのに、素直なキャサリンにエンジェルは苛立つ。ふと何かを思いついて口元を歪めると
「ちょうど夕暮れ時だから、イケメンとディナーなんていかがかしら?」
「イケメン!?」
キャサリンの瞳が輝く。
「そう、食事を共有するのは恋愛の第一歩よ」
エンジェルの言葉にキャサリンは目をハート型にして何度も頷く。まったく、ちょろいわね。とエンジェルは半ば呆れていた。