6.恋のフラグは突然に
啖呵を切ってみたものの、他に石板を見るアイデアが無かったキャサリンは、途方に暮れてネトラーネの町を彷徨っていた。いつのまにか潮の香りが強くなり、顔を上げると灯台のある防波堤が見えた。歩き疲れて腰を下ろす。
「これから、どうしよう……」
キャサリンはため息を漏らした。
その時、背後から声がかかる。
「おいおい、女の子が一人で何してるんだい?」
振り返ると、粗末な服を着た中年の男たちが三人立っていた。顔は陽に焼けて真っ黒で、昼間から酒を飲んでいたのか、足元がふらついて呂律が回っていなかった。
「べ、別に、散歩しているだけですけど……」
キャサリンは素っ気なく答える。
「へぇ、よそ者だな。ネトラーネに観光か? 案内してやってもいいんだぜ?」
「いえ、結構です」
立ち去ろうとするも、一人が行く手を塞ぐ。
「まぁまぁ、ちょっとくらい世間話でもしようじゃないか……」
男の手が肩に伸びかける。キャサリンが、かばんの中の爆弾に手を伸ばしたその時だった。
「俺の彼女に何をするんだ?」
涼やかでよく通る声が響く。
キャサリンが振り向くと、日差しを背に受けて一人の青年が立っていた。整った顔立ちにパッチリ見開いた目、スラッとしたその姿にはどこか気品が漂っていた。
「げっ、ユリウス……! わ、分かったよ、すまねぇ!」
男たちは手を引くと、さっさとその場を立ち去った。
「……え? あの、彼女って……?」
キャサリンはイケメンの言葉に戸惑ってみせる。
「そうでも言わないと港の連中は引かないからね」
青年は微笑んだ。キャサリンはポッと頬を赤らめる。
「君、俺の家に来た子だよね。ずっと追いかけてきたんだ」
「“俺の家”って、まさか……」
「そう、俺はユリウス。町長の息子さ」
大したことでもないかのようにユリウスは言う。
(ハイスペックイケメン……)
キャサリンは頭の中でファンファーレが鳴り響くのを感じた。
「どうして追いかけてきたの?」
「う~ん、どうしてだろうね。君が父さんに追っ払われたからかな」
キャサリンは先ほどのやり取りを見られたことが恥ずかしくなる。
「あの……ネトラーネの“シソ”って誰なんですか?」
「あー、“ユルゲン・ヴィネルト”だね。俺の先祖さ。父さんは心酔してるんだ。“私と似てる”ってね」
ユリウスは視線を落とした。
「でも、いい迷惑さ。そいつが“男は男らしく、女は女らしく”って言い出したんだからね」
「あら、あなたは反対なの?」
「うん、だって俺は男が好きだから」
思いがけないユリウスの告白に、キャサリンは誰かに聞かれていないかキョロキョロ辺りを見回す。
「大丈夫? ネトラーネでそんなこと言ったら追放されちゃうよ?」
「大丈夫さ。おかげで父さんからは“成人したのに彼女さえ作らないバカ息子”って言われるけどね」
ユリウスは肩を竦める。
「父さんは“力こそ正義”だって主張するけど、俺はそんな考え方、大嫌いなんだ。それって野蛮で粗暴なだけだろ?」
キャサリンは同意するように頷く。確かに彼女も苦手なタイプだった。
「しかも、男が泣いたり悩んだりするのは恥とされる。そんなの、苦しむ人を余計に追い詰めるだけだ」
ユリウスの熱弁に、キャサリンの脳裏にはエンジェルやテオドール、エリオットの顔が浮かぶ。
「私の仲間にもね、色んな人がいるんだけど、それを“当たり前”だって思っていたかも……。こんなに辛い想いをしている人がいるなんて知らなかったよ。ごめんね」
「別に謝らなくてもいい。君がそう言ってくれるだけで、ちょっとは救われるよ」
ユリウスの言葉に、キャサリンはホッとしたように笑った。潮風が二人の間を吹き抜け、港のざわめきが少しだけ遠のいて聞こえる。
「ねぇ。もし良かったら、一緒に俺の家に入ってみないか?」
「でも、さっきは追い返されたし……」
「だったら、俺の“彼女”ってことにしよう。そう言ったら港の連中も引いてくれたからね」
キャサリンは戸惑ったように視線を泳がせたが、次の瞬間、悪戯っぽく微笑んだ。
「“彼女”かぁ……上手に振る舞えるかな?」
「俺の方が君に惚れたってことにしようよ。こう見えても演技は得意だからさ」
二人は小さく笑い合った。
「私、キャサリン。よろしくね」
そう言って、キャサリンが差し出した右手が、ユリウスにしっかりと握られる。そこには、秘密を共有した者同士の親密な空気が生まれていた。




