4.考古学者ミュリエル
メナクワの村を出てからは道もよく整備されており、馬車は特に問題なくコルピポの集落に到着した。空はすでに茜色に染まり、山の向こうに夕陽が沈もうとしている。
「もうこんな時間か……」
テオドールは馬車を降りながら、辺りの景色を見回す。
「どうする? 今日は宿を探して、依頼主のところには明日行こうか」
長旅の疲れを見せるエリオットを気遣っての提案だった。
「賛成~。私、もうベッドに倒れ込みたい……」
最後に馬車を降りたキャサリンは、今にも地面に倒れそうである。
だが、エンジェルはテオドールの意見に真っ向から異を唱えた。
「待って。もしかしたら、依頼主が泊めてくれるかもしれないわよ」
そう言って、さっさと歩き出す。
「……あんた、タフだな」
エリオットが顔をしかめる。
「帰りも馬車に乗りたいなら、少しでも節約しなくちゃね」
エンジェルの言葉に、三人も渋々従うしかなかった。
*
依頼書に記された住所を頼りにたどり着いたのは、水辺にぽつんと建つ古びた小屋だった。窓からは明かりが灯っているのが見える。
「……ここで合ってるんだよね?」
キャサリンが不安げに尋ねる。
「看板も出ていないし……考古学者っていうより、隠者って雰囲気だな」
エリオットがぼそりと呟いた。
エンジェルが先頭に立ち、ドアを軽くノックする。すると、ギィ……という鈍い音と共に扉が開いた。
現れたのは、歳の頃は五十前後、細身で眼鏡をかけた男だった。無精髭を生やし、白衣を身にまとっている。年相応に老けてはいるが、かつてはイケメンだったと分かる端正な顔立ちだった。
「……君たちは?」
男は怪訝そうに目を細めた。
「ミュリエル・グランチェスターさんですね。アタシたちはあなたの依頼書を見て、ここに来ました」
エンジェルが依頼書を見せる。
「ああ、本当に来てくれたのか。遠路はるばるありがとう」
そう言ってミュリエルは四人を招き入れた。
*
ミュリエルの家の中は、考古学者らしく、異国風の仮面や遺跡のミニチュア、古びた地図などが飾られていた。振る舞われたお茶をすすりながら、ようやく落ち着いた一行だったが、肝心の依頼主はどこか浮かない顔をしていた。
「……君たち、男女のカップルには見えないけど」
不意の問いかけに、エンジェルが軽やかに笑って返す。
「まぁね。アタシたち、友だちなの。ああ、この子たちはカップルよ、よろしくね」
そう言ってテオドールとエリオットを指差す。ミュリエルは頭を抱えた。
「それはまずいな……ネトラーネの中にすら入れないじゃないか」
「どうして?」
キャサリンが首を傾げる。
ミュリエルは少し考えてから、ぽつぽつと話し始めた。
「ネトラーネでは、昔から同性愛が禁止されている。特に今の町長レクサスとその一族は、異常にうるさいんだ。僕も昔はあの町に住んでいたけど、カミングアウトした途端に追い出されたんだよ」
一瞬、沈黙が流れる。キャサリンが小さな声で「ひどい」と呟いた。
「僕は古代文字を読めるけど、町には入れない。……だから、誰か代わりに何が石板に書かれているか見てきてほしいんだ」
ミュリエルは力なく笑った。遠い目をして、どこか寂しげだ。
「レクサスも昔はそんなんじゃなかったんだけどな。……結婚してから、変わってしまったよ」
ふと、エンジェルが何か思いついたように不敵な笑みを浮かべる。
「じゃあ、ノンケのふりをすればいいんじゃない?」
そして、キャサリンとテオドールを見てニヤリ。
「この二人なら、恋人か夫婦っぽく見えるかも」
「……えっ?」
キャサリンは真っ赤になって目を泳がせる。テオドールもぎこちなく首を横に振った。
「オレのテオドールに何言ってんだよ!」
とエリオットが思いっ切りその腕にしがみつく。ミュリエルが思わず噴き出した。
「……いや、問題は“見た目”じゃない。もし“目の前でキスしろ”って言われたらどうする?」
「ア、アタシのくちびるを奪えるのは“推し”だけよ?」
「オレのくちびるはテオドールのものだ!」
「私だって、エリオットにしか許したくない」
男三人は揃って及び腰。ミュリエルは深いため息をついた。
「うーん、これはもう無理かもな。君たちには帰ってもらうしか……」
「待ってください!」
声を上げたのはキャサリンだった。
「私、一人でネトラーネに行きます!」
その目に迷いはなかった。ミュリエルが目を見開く。
「女の子一人なら疑われずに入れるかもしれないけど……危険だよ?」
「大丈夫です。いざとなったら爆弾があるので」
そう言って懐から球体を取り出す。
「それ、爆弾じゃなくて煙玉じゃないの?」
エンジェルが即座に突っ込みを入れる。
「……え?」
キャサリンの不安げな声に、エンジェルがため息交じりに肩を竦めた。テオドールとエリオットも、キャサリンの無鉄砲さに不安を隠せない。ただ一人、ミュリエルだけが
「分かった。そこまで覚悟があるなら、私もできる限りの手助けをしよう」
と承諾してくれた。
「とはいえ、乗り込むには準備が必要だ。今夜は作戦会議といこう。その前に、お腹空いてるんだろ? 腹ごしらえしないとね」
ミュリエルは奥の小さなキッチンに入る。しばらくして、鍋を持って戻ってきた。
「簡単なものしかないが、良ければどうぞ」
鍋の中には、香草と根菜のスープが湯気を立てていた。添えられたのは軽く焙られたライ麦パンである。
「わぁ、いい匂い……!」
キャサリンが目を輝かせ、すぐにスプーンを手に取る。テオドールとエリオットも、どこかホッとしたような表情で席についた。エンジェルは
「“推し”の料理じゃないけど……まぁ、悪くないわね」
と、ぼやきながらもスープを口に運んだ。
食事が終わって、ミュリエルは壁の棚から古びた地図を取り出す。ネトラーネの町並みが描かれたそれをテーブルに広げると、キャサリンたちは自然とその周囲に集まった。
「まず、石板があるのはレクサスの屋敷。庁舎と繋がった一角で、町の中心にある。警備は厳しくないが、訪問者の素性は厳しく問われるだろう」
ミュリエルは続けて、危険なエリアや逃走ルートを説明した。キャサリンがいつものように頭で覚えようとするので、エンジェルは“メモを取りなさい!”と促す。
一通りミュリエルの説明が終わったところで、テオドールが控えめに手を挙げた。
「私たちはどうする? 何かあったときのために、近くで待機した方が良くないか?」
「そうしたいところだが、君たちだって見つかったら危険だ。コルピポにいた方が安全だろう」
「もどかしいわね。何もできないなんて」
ミュリエルの言葉にエンジェルは顔をしかめる。
「心配しないで。必ず戻ってくるから」
キャサリンはエンジェルを笑顔で励ました。
作戦会議が一段落すると、ミュリエルは奥にある寝室を示した。
「狭いけど、寝泊まりできる場所はある。今日はゆっくり休んでくれ。明日は早いからね」
キャサリンたちはお礼を言って、それぞれに毛布を持って移動した。
「ミュリエルさんは?」
エンジェルが尋ねる。
「僕はリビングのソファで十分さ。君たちは気にせず、ここで休んでくれ」
「いいの? こっちで寝ても……」
とキャサリンが言いかけたが、ミュリエルはやんわりと笑って首を振った。
「若者には若者の夜がある。僕が混じると、寝言ひとつでも気を遣わせてしまうだろう?」
そう言って肩を竦める。
寝室にはベッドがあって、四人の目はそこへ釘付けになっていた。誰が使うのか視線で牽制し合う。
「ベッドはキャサリンが使うといい。明日も長距離を移動するし、忙しいからね」
ミュリエルはキャサリンの手を取ってエスコートした。キャサリンはポッと顔を赤らめる。
「僕の匂いが気になるかもしれないが、我慢してくれ」
そう言い残すとミュリエルは部屋を出て行ってしまった。キャサリンは
「イケメンの匂いがする……フフフ」
と嬉しそうである。
「仕方ないわね。男たちは雑魚寝しましょ」
そうエンジェルが言うと
「あと一人、一緒に寝られるよ」
とキャサリンが無邪気に言い放った。
「アンタ、年頃なんだから慎みなさい!」
エンジェルが明かりのランプを消す。すぐに室内には皆の静かな寝息と、時折もぞもぞ動く衣擦れの音だけが響いた。




