14.想いが届くとき
どれくらい月影の記憶を探していたのか。ふと、キャサリンが声を上げた。
「……あれ、今、何か光った?」
その言葉に、テオドールも身を寄せてくる。
草むらの中で、ぼんやりと白く光る何か。キャサリンは手を伸ばして拾い上げた。
「もしかして、これが月影の記憶?」
土埃を落として、高く掲げる。満月の光を受けて、それはさらに輝きを増していった。
「みんなー! 月影の記憶を見つけたよー!」
キャサリンの大声に、エンジェルとエリオットが駆け寄る。手のひらに乗せられた月影の記憶を目の当たりにして、驚きの声を上げた。
「すごいわ。五十年もの間、ずっと無事だったのね」
「こりゃ、話に聞いていたよりもきれいだな」
うっすらと青みを帯びた乳白色の石。周囲には繊細な銀細工が施されていた。裏には留め具のピンも付いている。キャサリンから受け取ったエンジェルは、そっと握りしめた。
「……うん、確かに魔力を感じるわ。でも、どんな効果があるのかしら?」
「アリオスさんがヴィンセントさんに託したんだから、きっと大切な意味があるんだよ」
三人がはしゃぐ輪の外で、テオドールはひとり立ち尽くしていた。
あと数歩で加われる距離だった。でも、足が動かない。何かが喉元につかえて、声も出なかった。
(――よかった、本当に見つかって)
そう思う一方で、胸の奥がほんの少し、きゅっと締めつけられる。
(あの輪の中に、自分の居場所はあるのだろうか)
歓声が木霊し、月影の記憶の輝きが三人の顔を照らすのを、ただ見つめるだけだった。
その時、テオドールの背後の茂みが、不自然なほどに大きく揺れた。
「テオドール、危ない!」
エリオットが叫ぶより早く、闇の中から黒い影が飛び出した。獣のような、しかし人間に近い異形の魔物。両腕を伸ばし、まっすぐテオドールへと突っ込んでくる。
振り返ったテオドールは、避けきれずにそのまま地面へ押し倒された。がっしりと組み伏せられ、身動きが取れない。
「くっ……」
剣に手を伸ばそうとしても、獣の腕が喉元を押さえつけてくる。その顔は凶暴で、赤く光る瞳がテオドールを見下ろしていた。
「離せ……っ!」
力が入らない。爪が首筋に触れ、殺気が肌を刺す。
「やめろっ!」
魔物の前には、エリオットが飛び出していた。あまりにも距離が近すぎて、弓も魔法も使えない。頼りになるのは自分の体だけ。
そのまま、エリオットは魔物の横腹に体当たりした。
「離せって言ってるだろ……!」
腕を掴み、引き剥がそうとする。魔物が怒り狂って唸り声を上げる。その爪が、エリオットの腿を横一文字に裂いた。
「……あ」
赤い血しぶきが飛び、エリオットは片膝をついた。それでも、テオドールの上から魔物を引き離そうと必死だった。
「エリオット、下がって!」
エンジェルの放った魔法が魔物の背を焼き、キャサリンの投げた丸い球体が地面に爆ぜた。
驚いた魔物が身をよじる。すかさずテオドールが剣を抜き、震える腕でその胸を貫いた。
魔物は呻き声をあげて崩れ落ちた。その横で、エリオットがゆっくりと倒れる。
「エリオット……!」
テオドールが駆け寄って、腕の中に抱き寄せる。腿の傷からおびただしい量の血が流れ、地面に滴り落ちていた。
「無事……で、良かったな」
エリオットは、かすかに笑った。
「エリオット! 済まない、私のせいで……」
テオドールの目から涙がこぼれる。
「バカだな。泣くなよ……。オレ、おまえの笑顔が好きなんだからさ」
精一杯強がっても、その声は弱々しい。
「エンジェル、早く手当てしてあげて!」
キャサリンが悲鳴に近い声を上げる。エンジェルは必死で手をかざすが、傷口はふさがらない。
「ダメだわ……魔法が追いつかない」
「そんな……」
そうしている間にもエリオットの意識は薄れていく。
「……テオドール。最後に言いたかった」
エリオットはまっすぐテオドールを見つめる。テオドールの涙は止まりそうにない。
「オレ、おまえが好きだった。酒場で初めて見た時からずっと。……一目惚れだったんだ。だから、おまえがこいつらと冒険するって聞いた時、慌てて仲間に加わったんだ」
声をかけてもいないエリオットが加わった理由を知って、キャサリンは大きく目を見開く。
「一緒に冒険するうちに、もっと好きになって……。でも、おまえは誰かに甘えたいんだろ? オレじゃふさわしくないって思ったんだ」
エリオットが自嘲する。
「そんなことない!」
テオドールはエリオットを抱く腕に力をこめた。
「私だって同じだ。明るくて活発なおまえが好きだった。どれだけ頼りない私のことを引っ張ってくれたか……」
最後の方は涙で声にならない。それでも、必死に振り絞って続ける。今、言わなければ二度と伝えられないような気がしていた。
「私は、つまらないことにこだわっていたのだ。どちらがリードするかなんて、どうでもいい。そばにいられるだけで良かったんだ。それなのに、私は、私は……」
エリオットが涙にまみれたテオドールの頬に手を伸ばす。儚げな微笑み。
「良かったよ。おまえから本当の気持ちを聞けて……」
ゆっくりとその手が滑り落ちる。瞼が閉じられ、エリオットの体からガクッと力が抜けた。
「いやーーーー!」
キャサリンの悲鳴が上がる。エンジェルは何もできない自分の無力さが歯痒くなる。テオドールはエリオットを抱きしめ、ただ泣きじゃくるばかりだった。
キャサリンは月影の記憶を握りしめる。
(アリオスさん、どうかエリオットを助けてあげて! 同じ悲しみを繰り返さないために)
祈った途端、月影の記憶は輝きを強め始める。それは四人を包み込み、たいまつがいらないくらい眩しく辺りを照らした。
「こ、これは……」
体の内側から暖かくなる感じ。それまでの疲れが吹き飛んでしまうのがエンジェルは分かった。
やがて光は輝きを強めながら星のように小さくなり、エリオットの体に吸い込まれてゆく。
暗闇になって、初めてキャサリンが声を上げた。
「月影の記憶が元に戻ってる」
「今のは何だったのかしら?」
ふと、テオドールがエリオットに目を向けると、その瞼が動いたような気がした。
「エリオット、おい!」
頬を軽く叩く。すると、ゆっくり目が開かれて瞳がテオドールを映した。
「あ……あれ?」
「エリオット!」
「オレ……生きてる?」
テオドールが何も言わずに頷いた。エリオットは照れ臭そうに笑う。二人は自然と顔を寄せて、どちらからともなく唇を重ねた。キャサリンとエンジェルが見ているのは、気にも留めていないようだった。
「もう離さないよ。一緒に生きていこう」
「オレだって離れないからな」
キャサリンはボロボロと大粒の涙を流していた。エンジェルを見ると、やはり涙を流している。
「へへへ、泣き虫さんだね」
「ア、アンタに言われたくないわよ!」
二人は、テオドールとエリオットの気が済むまで、温かく見守っていた。キャサリンはもう一度、月影の記憶を握りしめる。
(想いを届けてくれるブローチだったんだね)
あらためて、心の中でアリオスとヴィンセントにお礼を言った。




