【第一話】
その日、僕は見つけた。
今日は学園祭の二日目だ。時間は午前九時。僕のクラスの出し物である「昔ながらの縁日」という射的やら何やらが始まった時間だ。今年からは幼稚舎から大学まで同じ敷地内で一斉に開催することとなり、昨日の初日は、例年よりも大勢の人たちが押しかけた。
「おーい。良樹、手伝ってくれ」
僕が呼び込みの看板を持って教室を出ようとした時に、和人に呼ばれた。
「なんだ?準備に時間でもかかってるのか?」
「いやさ、亜実のやつが学外から友人が来たから後はよろしく、って言って居なくなっしまってさ。人手が足りない。呼び込みは一旦良いから中を手伝ってくれ」
この和人の言葉がなければ僕は、あの人に出会う事は無かっただろう。
「この射的は一人五発。大きいのを倒したら一転。これを倒したら三点。この一番小さいのを倒したら五点です」
僕は射的のルール説明とかを和人と分担してやっていた。そこに彼女はやって来たんだ。
「あの……」
「ああ、すみません。これからルールを説明しますね」
僕は彼女にルールを説明してからずっと彼女のことを見ていた。
「すごいですね。十七点です。今日のところの最高点数ですよ」
「そう。良かったわ」
彼女はそう言ってスーパーボールすくいの方に歩いて行ってしまった。
そして意外なほどの盛況ぶりに僕と和人は忙しく対応に追われていてあっという間にお昼休憩の時間になった。
「和人、オープンまもなく来た白のシャツにチェックのスカートを履いた子いたの覚えてるか?」
「ああ。あの。覚えてるぞ。すんげぇ美人だったな。なんか一人で来てる風だったけど」
「ちょっと探してくるわ」
「え?まじ?」
「まじ」
「そうか。無駄だと思うけど応援してるぜ」
和人にそう言われて自分でも無駄だと思ったけども、直感的に身体が動いたのだ。
この学校は中学と高校が渡り廊下で繋がっているので、どちらの模擬店に行っているのか分からない。もしかしたら幼稚舎とか初等部に大学の方に行っているかも知れない。僕は一通り中等部、高等部の模擬店を探したけども彼女を見つけることは出来なかった。と、諦めかけて自分の持ち場に戻ろうとした時に大階段下のメインステージで繰り広げられていたバンドの演奏を聴いている彼女を見つけることに成功した。しかし、なんて声を掛けたら良いのか。「さっき模擬店に来てくれましたよね?」とでも聞くのか?その後はなんて言えば良いんだ?などと考えていたら先生に階段の途中では立ち止まらないように、と注意を受けて気を取られていたら彼女はまた消えてしまった。
「で?どうだったんだ?見つけたのか?」
昼休憩を終えて教室に戻ると、模擬店で買ったのであろう焼きそばパンを食べながら和人は聞いてきた。
「ステージのところで見つけたんだけども吉野に声を掛けられて気を取られてたら見失った」
「そうか。ステージにいたってことは校舎の模擬店は一通り見たのかも知れないな。他のクラスのやつでも聞いてみれば良いんじゃないのか?」
「なんて聞くんだよ。可愛い子が居たから気になってます、とでも聞くのかよ」
「それもそうだな。一目惚れだもんな」
「そう言うんじゃないんだけどな。なんかそういうのじゃなくて出会ったのが必然的な気持ちがしてさ」
「なにその思い込み。止めた方が良いぞ。そういうの」
「うるせ」
午後も僕たちの模擬店は大賑わいで少人数制のクラスでは役回りの人数が足りなくて午後も対応に追われて十五時半の終わりの時間まで教室から出ることが出来なかった。
「ほれ。片付けは俺たちでやってるから良樹は例の女の子でも探しに行けよ。まだ居るのか分からんけども」
「ああ。さんきゅ」
と入ったものの。大学の模擬店は飲食がメインだ。その他の展示はゼミの発表やらなにやらでお堅いものが多い。そこに居る可能性は低いだろうと思ったけど、一応は、と美術部の発表室に足を運ぶと、作品を見て回る彼女を見つけた。この奇跡的な出会いを千載一遇のチャンスと捉えて、僕は一念発起して声を掛けてみた。
「あの。午前中に射的で十七点を取ってましたよね。あれ、結局最高得点のままでしたよ」
そんなことのために追いかけて来たのかと思われたかも知れない。でも他に切り出す話題が見つからなかった。
「そう。それで私に何か用事?」
そうだよな。用事がなければ追いかけて話しかけたりしないよな。でも気になってますなんていきなり言ったら、なんて反応が帰ってくるのか怖くて聞けない。でもそれしか次の会話が見当たらない。
「いや、ちょっと気になって」
「もしかして私のことが気になって追いかけて来たの?」
彼女は僕に視線を向けること無く作品を見ながらそう返事をして来た。
「その……、そうですね……。あの、この高校の生徒、じゃないですよね。制服着てませんし」
「そうね。別の高校。なんだかこの高校の学園祭は面白いからって言われて来たんだけども」
だけども。あまり満足出来なかったのだろうか。
「退屈でしたか?」
「ううん。そんなことはないんだけど、誰かと一緒に来たらもっと楽しかったのかなって思って」
やっぱり一人で来たのか。他校の学園祭に一人で行くのは僕には出来ないだろうな。なぜだか分からないけども勇気が要るような気がする。
「あなた。お名前は?」
「あ。相良良樹と言います。この学園の高校二年生になります」
「そう。私は三峯高校の東雲涼子。高校三年生。私の方が年上ね」
「そうみたいですね」
一人で来た、と言うことは彼氏とかは居ないのだろうけど、そんなことを初対面で聞く勇気はない。
「それで、私に何か用事があって来たのでしょう?こんなところまで来たのだから探したのでしょう?」
「はい。探しました」
ここで嘘をついても仕方がない。
「そう。それなら大学の後夜祭。一緒に見ていかない?」
予想外に向こうからお誘いがあって驚いて、一瞬間を置いてしまったが、僕は二つ返事で了承をした。こうも話しが上手く流れると、何かあるんじゃないだろうかと思ってしまう。
「後夜祭まで時間がありますね。何か食べられたんですか?大学の模擬店で何か買いましょうか」
「ねぇ。その敬語話し、止めにしない?たったの一歳しか違わないんだから。なんかこちらがこそばゆくて」
「そうですか。それじゃあ。何か買いに行こう。と言うよりも僕がお昼食べ損ねてるから一緒してくれると嬉しいかな」
「それって私を探しててかな?」
僕は苦笑しながら「そうですね」と答えて東雲さんが釘付けになっている画を一緒に見た。
「リンゴ飴、食べたい」
画を見ていた東雲さんは不意にそう言って、僕の方を始めて向いた。その顔立ちは僕には天使のように見えて思わず声を無くしてしまった。
「あなたもそういう顔をするのね」
「え?」
「私、初対面の人からはいつもそんな顔をされるの。何か変なのかな」
あまりに綺麗で声を無くしている。なんて言えないから僕は「急に振り向いたからビックリした」と苦し紛れの答えをして東雲さんの見ていた画を見る振りをして目線を逸らしてしまった。
「それじゃ、行きましょ」
そう言って東雲さんは僕の手を引いて教室の外に歩き出した。手を握られるとは思ってなかったから更に僕の気持ちが上ずっているのを感じてしまった。女の子の手を握るのは初めてではない。教室で手相を見るとかなんとかで手をこねくり回されたり。体育の時間になんやかやで手を握ったり。なのに。東雲さんの手は特別な感じがして心拍が更に上がるのが分かった。
「どうしたの?行かないの?」
「え?や。行きます」
「だからその敬語、止めない?」
「あ、そうだったね。行こうか」
今の時刻は十六時。模擬店は十七時までだからほとんどのお店が完売の看板を掲げていて、リンゴ飴も今から並んでも買えない可能性があると言われたけども、僕たちはその列に加わった。
「買えたね」
「ああ。リンゴ飴、なにげに初めてだ」
「そうなの?縁日の定番だと思ったんだけど。買ったことなかった?」
「うん。なんか綿飴みたいな味だ」
「外見はね。中身はリンゴだよ」
僕たちはピロティの椅子に座ってリンゴ飴を食べながら十七時の後夜祭までの時間を潰した。
「東雲さんはなにか部活とかやってるんですか?」
「だからその敬語は……。は、もういいや。そういうのが癖なんでしょう?」
「あ。そうかも知れませんね。というよりもこの方が話しやすい気がします」
「だったらそうならないようにさせるのが、当面の私の目標かしらね」
当面。彼女はそう言った。僕と当面の間は会ってくれるという事だろうか。
「かも知れませんね」
「そういえば部活だっけ?入ってはいるけども幽霊部員って感じかしらね。というよりもその部活、全員そんな感じだし。私の学校って全員部活参加とかいうルールがあってね?天文部っていう部活。ほら、どうせ夜しか活動できないから。学校での活動はできないじゃない?だから実質活動してないのと同じってわけ」
「そういう部活があるってことは学校に天文台でもあるんです?」
「よく分かったわね。あるにはあるけども、動いてるのを見たことがないわね。あれ、動くのかしら」
そんな話をしながら十七時になり後夜祭が始まった。派手なライブから始まってプロの漫才芸人なんてのも出てきて高校とじゃ比べ物にならない感じだった。でも展示物をクラスのみんなで作ったりするのは楽しかったけども。
後夜祭。そんなざわめきは今の僕にはなにも入ってこなかった。彼女の隣にいて曲に合わせてリズムを取ったりする東雲さんに釘付けだった。
「ね。連絡先交換しようよ」
後夜祭のざわめきの中で東雲さんは急にそう言ってきた。断る理由なんてない。むしろ、後で自分から聞こうと思っていたくらいだ。僕はスマホを取り出して自分の連絡先を見せたら東雲さんはカバンから小さなノートを取り出してアドレス欄に僕から聞いた電話番号とメールアドレスを書いていった。
「スマホ忘れたの?」
「持っていないのよ。だから今からいうのは家の電話だし、メールも自宅でしか読めないアドレス。それでもいい?」
いいもなにも。それしかないなら仕方がないじゃないか。
「東雲さんって実家暮らしですよね?まさか高校生で一人暮らしは……」
「一人暮らしよ?変?」
いや流石に高校生で一人暮らしはびっくりする。
「いや、ちょっとびっくりしたかな。実家はどの辺にあるの?」
「うーん……」
「あ。言いたくななら構わないよ別に」
「そう?それじゃ、私の電話番号は……」
電話番号を交換して後夜祭をそこそこ楽しんだ後は駅まで一緒に歩いて行った。
「こんな時間だし、晩御飯、食べて帰ります?」
「えーっと。それは外食、ということかしら?」
「え、ええ。まぁ。僕は家に連絡すれば問題ないと思いますので」
東雲さんは一人暮らしって言ってたし、問題ないだろうと思ったのだけれど、帰ってきた返事は思いもよらないものだった。
「私、外食はしないの。だって高いじゃない?だからもしご飯を食べて帰るなら私の家に来る?」
トントン拍子に話が進むので若干の遠慮というか、なんか大丈夫なのかという気持ちがあったけども、僕はお邪魔させて貰う方を選んだ。
東雲さんの家は僕の学校から急行列車で一駅離れたところで駅前に建っているタワーマンションの一室だった。
「なんか凄いね……てっきり……」
「ボロアパートみたいなのだと思った?」
「いや、そんなことはないけども!」
「そんなに否定しないでもいいのに。普通で考えたらこっちの方が正解を答えるのは難しいと思うし」
実際、外食は高いと言っていたし、そういう感じを想像していたから、この展開は想像していなかった。そしてエレベーターはマンションの最上階まで上がり高級そうな内廊下を歩いて行った突き当たりの玄関の前で東雲さんは立ち止まった。そして、僕の方をみて一言。
「大きな声を出さないでね」
「ん?ええ。はい」
やっぱり誰かいるのだろうか。玄関を開けて廊下を歩きリビングに出たら思わず声が出そうになった。そこは吹き抜けのメゾネットで僕の考える高級マンションの想像を超えていた。こんなに広いマンションに一人暮らしって本当なのか?もしかしたら家族がいて僕を驚かせようとしているとか?
「お待たせ。大きな声を出すとコタロウがビックリするから」
そう言って一匹の猫を抱えて、口を半分開けた僕の元に東雲さんはやってきた。
「その子、コタロウって言うんだ。じゃあ、マンションには二人暮らしだね」
「あら。猫を一人換算するなんて相良君の家にもペットがいるの?」
「同じく猫が一匹。もう妹が溺愛してて。でも僕には懐いてくれないんですよね」
「妹さんが居るのね。羨ましいわ。私は一人だから」
「それにしても凄いですねこの部屋」
「そうなのかしら。ここ以外のマンションは知らないし、他の人を入れた事がないから相良君からの感想が初めてかな」
「実家は一軒家なの?」
「あれを実家と呼ぶのなら、ね」
少し引っかかることがあったけども、他人の事情に土足で立ち入るのはアレだし、この話はここで終わらせよう。
「そうそう、晩御飯だったわね。今から作るけども好き嫌いとかアレルギーとかある?」
「特にはないです。その間、コタロウくん?ちゃん?をモフモフしててもいいですか?」
「オスだからコタロウくん、かな。初対面の人自体が初めてだからどんな反応するのか分からないけども。はい」
東雲さんは抱えたコタロウを僕に手渡してきた。僕は下から支えるようにしてそれを受け取った。おとなしい。僕の実家の猫なんて抱き抱えようとしただけで爪を立ててダッシュで逃げるのに。この違いはなんだ。
「それじゃ、そこのソファにでも座って待ってて」
僕は革張りの高そうなソファに座ってコタロウを膝の上に乗せて頭を撫でる。コタロウは気持ちよさそうにコロコロ声を立てている。そして僕は改めて周囲を見回して、この豪邸を眺める。窓から見える夜景が凄い。お金を支払って眺めるような展望室のようである。
「アクアリウムが趣味なの?」
キッチンで冷蔵庫から食材を出している東雲さんにリビングにある水槽を見ながら聞いてみる。水槽といっても一人で管理できるのかという規模の大水槽だが。
「ああ。それは……趣味というよりもそこに最初からあったのよ。月一回メンテナンスで業者が来るの。でもまぁ、嫌いじゃないわね。入っている魚の名前は全然知らないけど。いっそのこと食べれる魚でも入れれば良いのかしらね」
それはどこの鮮魚を売りとしている飲み屋の水槽か。でも東雲さんは本気で考えている感じがして想像してしまった。
キッチンからは良い匂いが立ち込めてきたので、そろそろ出来上がりなのだろう。ダイニングテーブルの準備とかその辺は僕にも出来るだろうし。そう思ってコタロウを椅子の上に移ってもらって東雲さんの居るダイニングに向かった。
「座っててもいいのに」
「いや、なんか手伝わせて欲しくて」
「そう?それじゃそこの棚からランチョンマットを出して、そっちの引き出しからスプーンと箸を……と。箸は私のしかないわね。別に私が使ってたのでも構わない?」
「えっと。割り箸とかあれば……」
「ないから聞いてるのよ」
「そうなんだ。じゃ、じゃあ、僕はフォークで食べるよ」
「ふむ。そういう手もあるか。それじゃ、それでお願い」
僕は言われた場所からランチョンマットを取り出して机に運ぼうとした時だった。キッチンの食器棚の真ん中に伏せられた写真立てがあって何気なくそれを見ようとしてしまった。
「ダメっ!」
東雲さんはキッチンから走るように飛び出して僕の手首を掴んできた。
「あ、ごめん。つい……」
「見た?」
「いや、見てない」
「じゃあ、良いけども。それはもう触らないでね」
僕は頼まれたものをダイニングテーブルに運んで作った料理も一緒に運んだ。作られたメニューはビーフシチュー。外食よりもお金がかかってそうに見えるくらいにお肉がゴロゴロしている。
「ほら。一人分のビーフシチューって作りにくいから。丁度食べたいと思ってたから丁度良かったわ」
少し取ってつけたような感じがしたけども、僕はなにも聞かずに手を合わせてから料理を口に運んだ。
「どう?」
半分身を乗り出して聞いてくる。
「美味しい」
「はぁー……。良かったぁ。私の作った料理を食べる人って初めてだから。自分の味覚がおかしかったらどうしようかと思ってたの」
「そんな事ないよ。すごく美味しい」
そのビーフシチューは文句なしに美味しかった。バケットじゃなくて炊き立ての白米なのは東雲さんの性格なんだろうか。個人的にはバケットの方が好きだけども。でもそんなのを吹き飛ばすほどに東雲さんの作った料理は美味しかった。そして。あっという間に食事を平らげてから少し話題に困ってしまって、さっきの写真のことについて聞こうと思ったら先に釘を刺された。
「さっきの写真の話はなしね。あの写真は困るのよ」
じゃあ、なんでそんなものを置いておくのか。そう聞き返したくなったけども、これ以上聞くのはマナー違反な気がするし……。
「東雲さんはこの広い部屋に一人暮らしで寂しくないの?」
「コタロウが居るしね。でも部屋の掃除が少し面倒かな。使ってなくても埃は溜まるから」
「それじゃ、僕が掃除に来ようか?」
この時は半分冗談で言ったつもりなんだが。