S0105 おっぱいが足りない!
管金は二の句が継げなかった。笛吹の安否確認をしたかったのだが、それ以上の強い衝撃に、頭をぶん殴られた気分だった。
「りゃく、略奪って、そんな……」
「君の学生服は頑丈そうだな。背中の鞄にはもしかして食料やペットボトルが入ってたりするかな?
残念ながらお姉さんは勤務先へランニング中で、昼は社食派。最低限の荷物しかない。
もしライターがあるなら大事にしたまえ。
文房具はあるかな? ナイフや裁縫道具は? 清潔な布や薬、タバコはさすがにないだろうが」
矢継ぎ早の質問に、管金は返事に窮した。そういえば笛吹は手ぶらだった。
あいつ、水は大丈夫だろうか?
「ないです」
「あったら欲しいだろう?」
不承不承頷きながらも、管金は殺してまで奪いたいとまでは思えない。
ただ、目撃した朱里の気持ちは強く理解できた。
「おれは……そんなの嫌です」
「だろうな少年。君はわかりやすく善人に見える」
不意に胸を打たれて、管金は樹上の朱里を見上げた。
逆光で表情は見えないが、その視線は柔らかに感じ取れた。
だが、それは春の雪のように儚く消え、代わりに粘つく恐怖が残る。
「わたしが見た最悪は、三人の男がひとりの女を犯している場面だ。
女は腕と足を砕かれていて、行為の途中で死んだ」
情景を上手く想像できずに、管金は返事ができなかった。
彼とて健全な男子高校生だ。性行為には当然すこぶる興味がある。
成人向けの動画を見たことくらいあるし、そしてその手の、暴力を伴う一方的な行為に対する知識がない訳ではなかった。
だが、朱里が口にしたそれは常軌を逸していた。
四肢を砕けるほど痛めつけて、犯して殺す。朱里の淡々とした物言いが、かえって現実的なリアルさを伴って管金を苛む。
「【狩人】の性別比率はわからないけれど、わたしは男性とは組みたくない」
「おれはそんなことしません!」
男である管金には理解しきれない恐怖。
朱里が贈るであろう懐疑の視線は仕方のないものだ。
「そうは言っても少年。手の届く範囲で生身の美女がすやすや寝てても、わずかもムラっとしない自信があるのか?」
「美女?」
「朱里お姉さんの事だ。文句あるか?」
「な、ないです!」
両手を振り回しながら、管金はどぎまぎした。
すぐそばで無防備に眠る誰か。想像するだけで身体がムズムズする。理性的でいられる自信はない。
ただし相手は樹上から見下ろす黒ずくめの自称美女ではない。顔も分からないと想像もできない。
「まあ口は何と言っても、若い性衝動に抗うのは難しかろう。しかしそれでは納得いくまい。
最後にお姉さんが、最大の理由を教えよう」
まだ何かあるのか。正直管金はすでにお腹いっぱいだった。
十分心に傷を負っている。これ以上のトラウマは勘弁していただきたかった。
「わたしの強みが失われる。早い話が樹上行動だ。素早く動き、静かに隠れる。誰かと組むと難しかろう?」
「さ、最初からそれを言ってくれれば……」
呻く管金。確かに、彼女は管金が悪戦苦闘した二時間で、どれだけ移動したのだろうか。
管金にはそれに追従できるフットワークがない。
「最初は完全に拒否するつもりだったからな」
不意に、声が近づいた。
管金が顔をあげると同時に、樹上の人影が消えていた。
「改めて、朱里お姉さんだ。よろしく」
地面に降りた朱里は、菅金よりも10センチほど背が高かった。
自分で美人のお姉さんを自称するだけのことはあり、顔立ちは整い、ショートボブの黒髪は艶やかで肌もきれいだった。
狐を連想させる、面長とつり目ぎみの一重。
全体的に酷薄に見える容姿だが、浮かべる笑みの優しさが印象を柔らかく、猫のようにしなやかに見せていた。
しなやかな四肢は黒のトレーニングウェアで包まれ、腰にはポーチ。頭にはサンバイザー。靴も黒のスニーカーで、夜道で出会ったら怖そうだななどと管金は思った。
朱里の最も特徴的な部位は乳房であった。管金は一瞥した後に目を逸らした。出会った時のことを思い出したのだ。全力で目を逸らそう。
これか。これが彼女の逆鱗であったか。
「露骨すぎる」
苦笑しながら、朱里は両手の平を己の乳房があるべき場所に添えた。
細い指が半円を描き、しかし悲しいかな。そこには空気以外の重みは無い。
「おれの【望み】は身長です!」
気勢を制したのは管金であった。彼の身長は150センチ。正確には2ミリ足りていないが、何はともあれそれしかない。
「お姉さんの【望み】はおっぱいだ!」
負けじと叫ぶ朱里。二人はどちらからともなく握手し、抱き合い、背中を叩いて健闘を称えあった。
言葉では作れなかった絆が、そこには紛れもなく生じていた。
女性と抱き合ったのに、管金は全く悪心を抱かなかった。
朱里が女性的柔らかさよりもアスリートのごとき尖った肉体の持ち主であることは理由にならない。
やはりあるべきものの不足に悩む戦友同士の共感ゆえか。それともやはり触れるはずの膨らみが無いからか。
「こんなことなら早く降りれば良かったな、上からだと君の身長が……なんでもない」
小さく見えなかったとでも言いたかったのだろう。
だが管金は軽く聞き流した。
「朱里さん、【ドラゴン】の数ですが」
笛吹を思い出す。彼は口を噤んだが、暗に一匹だと告げていた。
管金が提供できる情報はこれしかなかった。
彼が【質問】の重要性に気付いたのは笛吹の時であり、言うなれば管金は質問の無駄遣いをしてしたのだ。
「一匹……だな?」
だが、朱里は細い目をさらに細めて、管金の後を継いだ。
「ふふふ、仲良しもほどほどがいいな。【質問】も同じだったのかも」
「いえ、今のはさっき言ってたグレーのブレザーの」
慌てて否定する管金。朱里はわずかに考え込んだ。
「お姉さんは『【ドラゴン】の居場所』を聞き、【ラストイル】は『文明化以前の時代に反応が一つある、そこに飛ばす』と答えた。
つまりここはいわゆる原始時代で、【ドラゴン】は近くに一匹いるわけだ」
朱里の意図を管金はすぐに理解できなかった。
だがすぐに、自分が断片的な情報だけを口にしていると気がついた。朱里は説明も的確でわかりやすい。真似できそうにはなかった。
「管金少年、君は何を聞いた?」
「おれのは外れですよ」
羞恥で頬を染める管金。朱里は目を糸みたいに細めた。
「【ラストイル】の身長でも聞いたか?
大丈夫。判断はわたしがする。無駄とは限らない。お姉さんに任せて身を委ねてごらん」
「はあ」
ぐいぐい来る朱里。引き気味に管金は気のない返事をした。
しかし、本当に無駄なのだ。
「おれは『【武器】は決まってるのか』を聞いて【ラストイル】は『【武器】の形は使用者の魂で選ばれてる』って」
「それだけか?」
さすがに、見て分かる落胆はなかった。
しかし管金はその情報は無価値だと知っていた。
「おれみたいな大きい【武器】は一個だけだけど、飛び道具は人によってはたくさん出せて、貸し出せたり、その外の使い方があったりするらいしです」
「は?」